第3話
結局その後、体調が戻る事はなく、担任の先生に一言入れて早退することにした。
幸いにも、本格的に授業が始まるのは来週からだそうなので、教科書の受け取りは後日でも大丈夫なようだ。
外に出ると、まだ寒さの残る風が吹き抜ける。守るように下ろし立てのブレザーのポケットに手を入れると、くしゃりとあの四つ折りの紙に触れる。
六条さんは、スマホは壊れたと確かに言っていた。
(嘘をついた……?)
だとしたら疑問がまた一つ増える。なぜ、彼女は自分にだけ本当のことを言ったのか。連絡先を追加する気はなかった。多分、また上手く出来ないから、壊してしまうのが怖いから。けれど、追加しなければ、踏み込むことにはならないのではないだろうか……?
四つ折りの紙を取り出し、開いてみる。
中には連絡アプリのIDと、『追加してくれたら質問に答えるよ』と、綺麗な字で書いてあった。まるで、思考が読まれているかのような感覚に、恐怖を抱く。けれど、思い出す保健室で見た彼女の笑顔の印象と、その声音は、不思議と安心感を覚えた。この矛盾は、何なのだろうか。
「本物……」
ふと、引っ掛かっていた言葉を思い出した。スマホを取り出して、検索を掛ける。そして、少しだけ絡んだ紐が解けることとなる。
『天才女優、六条 慕』
最初に目に入ったのは、この一文だった。
――――――――――――――――――――――――
今住んでいるアパートの一室に着く。鍵を開け中を開けると、必要な物以外ほとんど何もない、ワンルームの部屋が広がる。
(駄目だ……)
昨日まで、唯一落ち着ける環境だった場所で、落ち着けない。
一つ解けた紐は、別の場所でまた絡まり、そしてそれは先程よりも固くなる。
踏み込むのは、やはり怖い。
けれど、自分の生活が乱されるのも嫌だ。
「自分の為だ」
そう言い聞かせ、四つ折りの紙を開き、書いてあるIDをスマホのアプリに入力していく。検索を押すと、
追加ボタンを押すのに、一瞬躊躇する。だが、不安が不安を生んでいる状況での解決策は、これしか思い付かない。いや、これしかないのだろう。
――追加ボタンを押す。
親の連絡先しか入っていなかった携帯に、他人の、本当に今日あったばかりの人の連絡先が入る。不思議な感覚だ。
(何か送ったほうがいいのだろうか……?)
迷っているうちに携帯が震える。
「で、電話……」
親であれと期待したが、画面に表示されていた名前は、やはり先程追加したばかりの彼女だった。
息を呑む。震えた手で、通話ボタンを押す。そして、音が聞こえるように、端末を耳に当てる。
「思ったより早く追加してくれたね」
端末から聴こえた彼女の声音は、教室と保健室で聴いたものと同じだった。当たり前といえば当たり前だが、教室で一瞬だけ感じた紛い物のような感覚が、今だ不安と恐怖を残している。
「……」
何を話したらいいかわからない。それを分かっているかのように、彼女は言葉を紡ぐ。
「今から会えない?」
その言葉に、俺はまた息を呑んだ。
欲望の渦潮 天野詩 @harukanaoto
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