第2話

わたり 優羽ゆうです。よろしくお願いします」


 当たり障りのない挨拶をして、若干の拍手の響く教室は、すぐに静まり返る。


「では、10分の休憩の後、教科書の配布になるので……」


 そこから隣の席が囲まれるのは早かった。


「六条さんってだよね!?」


「連絡先交換して!」


 『本物』と言う言葉に引っ掛かりを覚える。が、正体がわからない。言葉にするつもりはないが、喉まできているという表現が正しいような、矛盾した感覚を味わう。気持ち悪い。


「ごめんね、スマホ壊れちゃって今持ってないんだ」


 そんな横で、彼女、隣の席の六条さんは、先程と同じ笑顔でその人集りに応じている。


 それを見て、自分とは住む世界が違う人間なのだと、すぐに理解する。出来る限り関わらないのが正解だろう。


(いや、それは違うな……)


 誰かと関わりたくても、それが出来ないのが自分だ。だとすると、根本的な原因は明らかに自分にある。


 また、初めて開けたピアスの穴を触る。自己嫌悪した時に表れる悪い癖だ。


(一人になりたい……)


 そう思い、静かに席を立つ。幸いと言って良いのか、六条さんに皆夢中で誰もこちらを向いていない。


 足音を消すように歩く。こういうのにも、もう随分慣れた。


 廊下に出ると担任の先生とすれ違う。


「すみません、体調が悪いので保健室に行きます。場所は分かります」


 そう伝えると、「わかった」という事務的な返事が返ってくる。この人はあくまで仕事だと割り切っているのだろう。そういう教員は非常に気が楽で助かる。






――――――――――――――――――――――――


 保健室には養護教諭の先生がいた。具合の悪い旨を伝え、ベッドを借りる。カーテンを閉め、眼鏡を外し横になって、やっと少し落ち着く。


 目を瞑る。自然と、あの頃を思い出す。楽しかった。けれど、すぐにそれは壊れた。いや、壊してしまった。その出来事で、人間関係の脆さを失ってしまう怖さを知った。


「あら、貴方も体調悪いの?」


「はい、出来ればベッドを貸して欲しいのですが」


 聞き覚えのある声に目を開く。やはり、彼女の声は自然と耳に入ってくる。不思議だ。


「私ちょっと出るから、ベッドは奥のを使ってね。元気になったら戻りなさいね」


 そう言い残し、養護教諭の先生が扉を閉めたようだ。同時に、静まり返る。


 その静寂は、妙な緊張感を与えた。


 ガラガラガラと、カーテンが開かれる。


「亘くん、初めまして」


「……」


 何が起きているのか、理解出来ない。何故、彼女が自分に声を掛けてきたのか、緊張と恐怖で動悸がする。強く握った拳に手汗が滲むのを感じる。どうしたらいいかわからず、寝たふりをする。


 また、しばらくの沈黙の後、彼女は笑う。


「そんなに怖い?私のこと」


 顔に触れられたのに驚き、身体が反応してしまう。自分の身体を抱くように、彼女から逃げるように、反射的に起き上がって距離を取る。


 六条さんの顔を見ると、先程とは違う、気持ち悪さの感じない笑みでこちらを見ていた。それに、少しだけ安堵を覚える。しかし、警戒心は解けない。


「なん…で……」

 

 なんとか絞り出せた言葉はその一言だけだった。けれど、その問に対して、彼女は笑顔という形でしか答えない。


「知りたい?」


 距離を詰められる。シングルサイズのベッドはそこまで広くない。これ以上は下がれない。膝をベッドに乗せ彼女は手を伸ばす。恐怖で目を瞑る。動けない。暖かい感触が頬に触れた時、ビクッと身体が反応する。


「そんなに怖がらなくてもいいのに。かわいい」


 起こっている出来事の、何もかもについて行けない。


 彼女は何故、ここにいる?

 なんで触れられている?

 この恐怖の正体は?


 頬に当てられた彼女の手は、そのまま上に上がっていき、髪の毛を耳にかけられる。触れられたのは、右耳の、一番最初に開けたピアスの穴だった。


「ここ触るの、亘くんの癖だよね」


「……」


 驚いて、目を開くと彼女の顔が近距離に映る。綺麗で整った顔に、透き通った長い栗色の髪が綺麗に垂れる姿。甘く優しい香り。身体が熱を持ち、鼓動の高鳴りを感じる。それが彼女に対する感情なのか、過去のトラウマのせいなのか、わからない。全てが曖昧になる。息が乱れる。


(これ以上は、駄目だ……)


 そう思った時、彼女はそっと手を引いた。


「ごめんね。無理させすぎちゃったかな?」


 それに安心して、息を整えることに集中する。落ち着けと、自分に言い聞かせる。その間に、彼女はベッドを降りる。その顔はやはり、笑顔だった。


「これ、私の連絡先。追加するかは亘くんに任せるよ」


 差し出された四つ折りの紙は、彼女に握らされる形で、渡された。


「お大事に」


 そう言い残し、彼女は保健室のドアを閉める。


「何なんだよ……」


 ベッドに倒れ込み、一人呟いた。

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