第8話

 イデオロギーの転換が人類の喉元に突きつけられた喫緊の課題であるとしても、21世紀を支配する資本主義というイデオロギーがそう簡単に他のイデオロギーに道を譲るとは思えない。SDGsの理念に矛盾が含まれるのは、資本主義と何とか折り合いを付けながら地球環境を維持して行こうとするからだ。市場経済の発展と共に現れた資本主義というたががいかに厄介なものであるかは、資本主義の権化とも言うべき自動車産業を見ればよく分かる。

 人類が自動車という便利な道具を手放すことはまず考えられない。需要がある限り自動車会社は自動車を生産し続けるだろう。人類の活動が地球環境に及ぼす影響が顕在化し始めた今、自動車各社は「持続可能性」と「発展」という相反する命題を両立させなければならなくなった。そこでひねり出された折衷案が自動車の電動化である。世界各国が2030年以降を目途に大幅な自動車電動化の目標を掲げている。これを受け、世界中の自動車メーカーが自動車のEV化に向けて舵を切る中で、世界最大の自動車会社であり、日本の産業界を牽引するトヨタは自動車のEV化に消極的である。トヨタはその理由をこう説明する。


 一. 電動化とは単にEV化を指すのではなく、ハイブリッド車や燃料電池自動車への転換を指す言葉である。EVの動力は電気だけだが、火力発電への依存度が高い日本では電気を生産するのに大量の二酸化炭素を排出するため、カーボンニュートラルの点から見ると、ハイブリッド車の方が環境負荷が低い。


 二. EVの要となる電池の性能が求められる水準に達していないため、EVには航続距離や充電時間において解決すべき課題が残されている。現状、ガソリン車やハイブリッド車並みの性能を持たせるにはたくさんの電池を積載するしか方法がなく、EVは高価格にならざるを得ない。


 一に対する反論。

 ハイブリッド車といえども内燃機関を動力とする以上、ガソリンや軽油を燃料として使用する。一台一台に内燃機関を積む自動車と火力発電では、電力ロスを考慮しても、エネルギー効率の点で格段の差がある。(火力発電の方が効率的に電力を生産できる。)

 バイオ燃料を使用すればカーボンニュートラルを実現できるとの主張もあるが、バイオディーゼルは二酸化炭素以外にも温暖化ガスや汚染物質を排出する。本当の意味でクリーンなエネルギーとは言えない。化石燃料、核燃料を含め、何かを燃やして電力を発生させる方法は、何らかの形で環境汚染を伴う。

 PHEV(プラグインハイブリッド車)は内燃機関を積むが、航続距離の多くを電気で走行できるため、各国で2030年以降も販売の継続が認められる見通しである。しかし、PHEVは発電所で発電された電気を充電して使用する点ではEVと同じである。火力発電の電気を使用する方がエネルギー効率が悪いとするトヨタの主張は、この点で自己撞着に陥っている。そもそも化石燃料依存からの脱却は自動車産業だけに起こっていることではなく、エネルギー資源の転換は当然電力生産の分野でも進んでいる。世界は言うに及ばず、日本がいつまでも火力発電に依存していると考えること自体が時流を読み誤っている。

 燃料電池自動車については、電池の触媒に使用する白金の資源埋蔵量に限りがあるため、ガソリン車に取って代わるほどの生産台数を見込めない。また燃料となる水素は水を電気分解して取り出すなどの処理が必要で、エネルギーロスが大きいという難点がある。


 二に対する反論。

 リチウムイオン電池の低価格化は進んでいる。

 材料となる資源の豊富なマグネシウムイオン電池が実用化されれば、自動車のEV化は一気に加速する。


 カーボンニュートラルを目指すのであれば、トヨタは電力生産を含めた事業展開を考慮すべきであろう。世界一の自動車会社ならば、自ら自然エネルギーの導入を主導するぐらいの気概があってもよい。

 商業的に見ても、自動車のEV化は世界的な流れである。トヨタが二の足を踏んでいる間にEVの市場は膨らんでゆく。市場への参入が遅れるだけ、トヨタの市場占有率は下がる。逆に今市場に参入すれば、トヨタがこの市場をどれだけ占有できるか予測を立てるのは容易であろう。ここで潮目を読み誤れば、日本の自動車産業のガラパゴス化を招きかねず、電子機器産業の二の轍を踏む可能性がある。トヨタの栄華に翳りが兆す日もそう遠い未来の話ではないかも知れない。

 最先端技術を駆使して生み出されたハイブリッド車は、百年以上にわたる歴史を持つ自動車製造の集大成と言っても過言ではない。しかし、そこに拘泥するトヨタの姿は、原発にしがみつく電力会社に重なる。工業生産品として機構の単純なEVの製造は、事業として新興企業に対する参入障壁が低く、現にEV専門の自動車メーカーとして業界に参入したテスラは、発足後十数年で株式の時価総額がトヨタに並ぶほどまで急成長した。テスラ創業当初に資本提携を結びながら数年でこれを解消したトヨタは今、テスラの成長ぶりをどの様な思いで眺めているのだろう。

 日本の経済界をリードするトヨタにさえ迷いの気配が読み取れる。ことほどかように、イデオロギーの転換は容易ならざるものだ。


 ―追記―

 2021年12月14日、トヨタが今後のEV事業の展開について大幅な見直しを発表した。2030年時点でのEVの世界販売台数の目標を350万台に上方修正すると言う。同年春の発表では燃料電池自動車やPHEVを含めて200万台としていたことを考えると、世界のトヨタが自動車のEV化に向けて大きく舵を切ったと言える。電池の開発にも巨額の投資を行う見通しだ。しかし、図らずもこの決断によってトヨタは自らの迷走ぶりを露呈した。エネルギー問題の見通しが立たぬ中での英断であったと思いたいが、何か後出しじゃんけんのような印象が拭えない。業界最大手の会社として世界を主導する意識はあるのか、また確固たる信念をもって次世代の構想を描いているのか、一抹の不安は残る。

 トヨタの現在の世界販売台数は1000万台。2030年までこの状況が維持されると仮定すると、総販売台数の35%をEVが占めることになる。しかし、各国の二酸化炭素削減目標と世界の自動車会社の動向を見ると、この数字は控え目に過ぎる。おそらくトヨタは目標数値をさらに上方修正することになるだろう。




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