第7話

 太陽光発電はSDGsを達成する為の次世代エネルギーの代表格だが、それ以外にも自然エネルギーを利用した環境負荷の低い発電方法はたくさんある。


 風力発電・・・大型のものは人の住まない山間部や砂漠地帯、洋上に設置することが出来る。小型のものはビルの屋上や住宅地にも設置可能。日本のベンチャー企業Zephyrは高性能の小型風力発電機を開発している。


 地熱発電・・・地下を流れるマグマの熱を利用するので、安定した電力供給が期待できる。火山列島の日本では、次世代エネルギーの有力候補の一つ。日本と同じ火山国のアイスランドでは、総発電量の三割を地熱発電から得ている。現在、超臨界水を利用した地熱発電の研究が進められており、実現すれば原発並みの大出力化が可能となる。


 潮流発電・・・海底に凧のように発電機を浮かせて潮流の力でタービンを回転させ発電する。常時一定の方向に流れる海流を利用すれば安定的な電力供給を見込める。


 潮力発電・・・潮の干満を利用した発電。


 波力発電・・・波の力を利用した発電。


 水力発電・・・スイスやアイスランドなどの氷河が溶け出している地域では有力な発電方法。水資源の豊富な日本でも、総発電量の7.8%を水力発電で賄っている。


 太陽光パネルを宇宙空間に並べて電気を電磁波に変えて地上に送るなどという構想もある。

 恒常的な風を期待できる場所では風力発電を、日照量の多い場所では太陽光発電を、水資源の豊富な場所では水力発電を、火山地帯では地熱発電を、海に囲まれた場所では潮力発電を、というように地域ごとにその特性に合った発電方法を採用し、組み合わせていけば自然エネルギーだけで電力を賄うことは決して夢物語ではない。現にアイスランドは総電力需要の70%を水力発電、30%を地熱発電で賄っている。この観点から見ると、日本などは自然エネルギーに恵まれた国だと言える。資源小国とされてきた日本が資源大国にもなり得る。要はものの見方の問題だ。

 

 自然エネルギーの開拓と共に開発が求められるのが蓄電方法である。現在の電力の供給は、発電所で発電した電気を大規模送電網で広域に供給するという形が一般的である。これは送電ロスの大きい直流送電に代えて、ニコラ・テスラの提唱した交流送電を採用することにより実現したものである。送電線の敷設された地域にまんべんなく電力を供給するという意味において、これは優れた送電方法である。一方、安定的な電力供給に難があるとされる自然エネルギー発電においては、蓄電によってこの弱点をカバーしなければならない。地域ごとにその土地に合った方法で発電を行うのが自然エネルギー発電の特性である。となると、ある地域で発電した電力はその地域で蓄電するのが最も効率的な方法である。たとえば、一般家庭の太陽光パネルで発電した電気を遠方にある大規模発電所に送るという方法は非効率だ。それよりは、各家庭や地域ごとに蓄電設備を設けて、ある地域で発電した電力はその場所で消費し、余剰電力を蓄えるのが理に適ったやり方だろう。

 発電と同じく、蓄電にも様々な方法が研究開発されている。


 蓄電池・・・リチウムイオン電池やマグネシウムイオン電池。


 燃料電池・・・水素と空気中の酸素を用いて発電する。排出されるのは水のみ。燃料電池は発電器だが、たとえば余剰電力で水を電気分解して取り出した水素を燃料にするなら、一種の蓄電器と考えることが出来る。


 フライホイール・・・余剰電力で巨大な独楽を回転させ、電気エネルギーを物理エネルギーに変換して蓄える。


 こうした蓄電設備は二次電源として活用でき、家庭や地域ごとに敷設されれば緊急事態への対応もし易い。病院や工場など二十四時間電力の供給を断てない場所には、大規模な蓄電装置を置く必要があるが、そうした設備投資に対しては政府が援助をすればよい。直接的な援助ではなくとも、法人税の軽減等で対応は可能であろう。大企業など税制面で優遇を受けている団体は相応の負担を負うのが筋だ。一般家庭に対しても同様の対策を打つことが可能だ。政府は補助金を出すなり税負担を軽減するなどして、太陽光パネルや燃料電池などの普及を促進すべきである。


 化石燃料や原発に頼らなくとも、必要に応じた技術革新を起こす力を人類は持っている。そこに追いついていないのはイデオロギーの方なのだ。ルターの起こした宗教革命は腐敗したローマ教会の支配に対する痛烈な批判であった。当時ラテン語でしか読めなかった聖書を彼はドイツ語に翻訳し、広く大衆に読める形にした。大衆は教会によって歪められた教義ではなく、自らの言語で神の教えに触れ、これを解釈できるようになった。人々にとって天啓を得るとはまさにこのことであっただろう。ラテン語からドイツ語への翻訳は、一つの革新であったと言える。これがイデオロギーの転換を促し、天啓を得た人々はプロテスタントに改宗した。古い慣習に囚われて身動きが取れなくなるのはいつの時代の人も同じである。しかし、この時はルターというきっかけが世に変革をもたらした。特権的地位と巨万の富をほしいままにしたカトリックの高位聖職者は利権を食む現在の政治家になぞらえられる。プロテスタントに改宗した人々の思いはまさにこうした状況に対する抗議であっただろう。

 私はカトリックを批判しているのではない。世の因習や制度を利用して私腹を肥やす人間を批判しているのだ。今の世も世論を自分たちの都合に合うように誘導する一部の人間に支配されているのではないかと疑問を投げかけているのだ。ルターの時代の宗教改革は天変地異に等しい衝撃を人々に与えたに違いない。存亡の危機に直面する現在の人類にもそれと同程度のイデオロギーの転換が必要であろう。宗教の問題については何が正しいと言うことは出来ない。答えの出ない問題である。しかし、地球環境の問題については、判断を誤ると人類の滅亡を我々が予想するよりもずっと早めてしまう可能性がある。

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