第2話

 祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。


 古来、人の歴史は栄枯盛衰を繰り返してきた。それが種の滅びに繋がらなかったのは、栄えた文化や文明なりが局地的なもので、生態系を狂わせるほどに地球環境に影響を与えなかったからだ。しかし、現代文明の生態系への干渉は地球全体に及び、人類は様々な種を巻き込み、滅びの道を歩み始めている。技術革新と社会変革が環境破壊に歯止めをかけ、再び人類を含む全ての生命が正常な生態系を取り戻すことができるか、それともこのまま破滅に向かうのか、今地球はその瀬戸際にある。拙著『資本主義の行く末』で私は、資本主義社会がこのまま拡大を続けるなら、人類は居住域を宇宙にまで広げる程の技術革新が必要だと述べた。イーロン・マスクなど現代の大資本家は実際に宇宙進出の構想を練り、その事業化に着手している。しかし、彼らの事業が資本主義という社会システムを土台とする限り、地球資源への依存は続く。文明が宇宙資源を活用できるレベルに到達するまでには、百年単位の、ことによると千年単位の時間を要するだろう。その間、地球が人類の拡張を許容するかどうかは甚だ怪しい。

 個人的には、人類による宇宙進出自体あり得ないと思っている。『機動戦士ガンダム』に描かれるコロニーと呼ばれる巨大宇宙ステーションを建設できる技術を、仮に人類が手にしたとしても、人間社会が内包する種々の問題がその維持・存続を許容し得ない。宇宙ステーションなどという代物はテロや戦争に対する脆弱性が高く、それを克服する社会変革を起こせるのならば、人類は今、この地球上でその変革の道を模索すべきであろう。

 となると、人類はやはり居住可能な環境を維持しつつ、限られた資源と上手く折り合いを付けながら生き残りの道を探っていくしかない。そこでキーワードとなるのが、「循環」という言葉である。

 モノの取引のあるところに市場経済が生まれ、人類は取引の範囲を広げることで経済活動を活発にし、市場を拡大させてきた。そこに資本主義思想が生まれるのは当然の帰結であったかも知れない。資本主義の命題は資本を増幅させることにあり、これは市場を拡大させることによって実現される。しかし、ある閉じた社会の中で生産されたモノが人の手を介して社会全体に行き渡り、人々の生活を充足させることが出来れば、その社会の中だけで経済活動は成立する。かつては世界のどの場所でも、こうした循環型の市場経済が成り立っていたはずだ。それを外側に押し広げていくところに搾取が生じ、而して不平等が広がってゆく。拡張する余地があるうちはそれも可能だが、もはやこの地球上に新たなフロンティアは見当たらない。市場の拡張が人口増加を助長していることは先に述べたとおりである。地球環境がこれを許容できないところに至った今、人類に残された選択肢は少ない。限られた資源の中で人類が生き残る道は、地球規模で循環型の市場経済を成立させることである。しかも、それは人類や他の種が生きていける地球環境を維持した上で実現されねばならない。

 人口が極大値に達すれば、自然の浄化作用により人口は減少に転じるであろう。それがどの様な形で訪れるかも、ある程度は予測がつく。歴史を振り返れば、人類は既に何度も同じ経験をしているからだ。過度の人口増加は疫病によってか、戦争によってか、抑制されてきた。ペストや天然痘の流行、戦争の例は枚挙にいとまがない。人口調節という点から見れば、これらは人為的に起こされたものではなく、自然界にもともと備わっている自己調整機能が働いたと見ることが出来る。問題は、これまでは地域的に限定されていた災厄が地球規模で起こることだ。二〇一九年に始まったコロナウイルスの感染拡大はその前触れに過ぎない。地球の浄化作用が本格的に機能すれば、コロナとは比較にならない恐ろしい疫病が発生することも予想される。地球を何度も破滅させられるほどの大量破壊兵器を手にした人類は、自らの手でそれを行うかも知れない。そこに至る前に、人類は人口増加の問題を解決せねばならず、そのためにはまず資本主義という社会システムへの依存を断ち切らねばならない。

 我々が改めねばならぬのは、資本主義の追求が人類を幸福にするという誤った認識である。世界中の全ての国や地域が先進国並みの生活水準に達することはあり得ない。なぜならば、資本主義そのものが搾取を生むシステムであり、人の営みがその下にある限り、持てる者と持たざる者、勝者と敗者が常に存在し続けるからだ。資本主義では万民の平等は実現できない。そして、もう一つ認識しておかねばならぬのは、便利さや快適さといった物質的な豊かさが人を幸せにするのではないという点だ。人間の欲には際限がなく、欲望が満たされることは決してない。欲を満たせば満たすほど、人間は渇き餓えるだけだ。釈迦が中道を説いたのは、足るを知れということであろう。キリストが狭き門から入れと言ったのも、同じことであろう。資本主義の目的が富の増殖にあり、人間の幸福を目指すものではないという点を見誤ってはならない。幸福へ至る道はもっと別の所にあり、その方向を見定めることが人類の、ひいては地球環境の存続に繋がるのだ。



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