#3 Clair de lune

 僕が通っている賀晴がはれ高等学校は部活動が盛んであり、中でも音楽系の部活である、吹奏楽部と軽音楽部はとても人気の高い部活であり、毎年、来る年、行く年、ゆく年くる年、大勢の入部希望者が後を絶たない。




 放課後ーーー

「帰ろうぜっ!」と、僕の背中をパンと叩きながら、近付いてくる男が1人。

 この男の名前は加賀美数馬かがみかずま。《か》行が多い名前だ。

 当然と言えば当然であり、そうでないと言えばそうでないのかもしれないが、この男もまた僕と同級生である。

 もっと言えば、この男もまた軽音部所属である。

 ルックスがよく、茶色毛で、背も高く、顔もイケメンと来るものだから、もう、もはや、欠点なんてないのだろう。

 要するに女が惚れる男なのだ。男も惚れる男なのだ。全生物が惚れる男なのだ。

 そんな男が、こんな男が、あんな男が、どんな男が、どうして僕に声をかけてくれるのだろうか?

 その理由はよくわからないのだが、なんだかんだで、かんだなんだで、長い付き合いなのだった。

「部活はどうしたんだ?」

「今日は休みだよ」

「そんなんで大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。次のコンテストまではまだ時間あるしな。ていうか、いい加減、軽音部入ってくれよ」

「やだね」

「なんでだよ? 絶対、お前は吹奏楽部よりこっちの方があってるよ」

「いや、その言い方やめろ。吹奏楽部にも入る気はねぇんだよ」

 数馬に雨宮に、軽音部はポジティブな人しかいないのだろうか。



「ていうか、雨宮が僕のことを知ったのってお前がバラすからだろ!」

「そんなのバラすに決まってるだろ?」

「なんでだよ!?」

 そう、僕がピアノないしはキーボードを弾けるということを吹聴したのは、全てこの男が元凶なのである。この男こそが全ての元凶なのである。

「お前みたいな才能の塊を殺すわけにはいかないからな」

「いや、ただのバカなんだろ」

「ただのバカってなんだよ? 安心しろ、お前はいずれこの俺に感謝する日が来る」

「安心しろ、そんな日は来ねえよ」

 数馬とそんな、こんな、あんな、どんな、会話をしながら、帰宅した。

 帰宅し、自室に行くと、僕はデスクトップパソコンと向き合う。

 そう、以前のように無作為に電源を付けようものなら、彼女が、ルルシアが、起動してもないのに、現れてしまうからだ。このパソコンは既に彼女に支配されていると言っても過言ではない。


 パソコンのモニターと睨めっこすること数分、僕は結果、結局、パソコンの電源を入れないことにした。

「今更、ボーカロイドなんて手にしても、何するってんだよ?」

 ベッドに身を投げ出し、夕陽に染まる天井を平行に見上げながら、見つめながら、そんなことを思っていた。






『世海のピアノは人を幸せにする力がある。アナタの音色をこの世界に響かせて………』





 ハッとした時には、さっきまで、先程まで、夕陽で、夕陽色に、赤色に、紅色に、朱色に、緋色に、染まっていたはずの天井は、何色にも染まっていない、というよりは、染まり過ぎて暗くなっていた。黒くなっていた。

「もう夜か」

 喉が渇いたと、1階に降りると、1階もまた夕闇で漆黒に染まっていて、何も見えたものではなかった。

 しかし、そんな中でも一際、存在感を放ち、自らの居場所を発信し続けている物があった。そう、それは物だ。

「ピアノ…‥母さんの」

 グランドピアノは母さんが買った物らしい。

 らしいという曖昧で、あやふやな表現を、表現技法を用いるのには、僕が生まれた時には既にこのピアノが家にあったからに他ならない。

 この家では僕よりもこのグランドピアノの方が先輩ということになる。

 どうしてだか、何故だか、無性に鍵盤を拳で殴り付けたくなった。拳を叩きつけたくなった。不協和音を轟かせたくなった。

 でも、そんなことはできない。

 だってこれは母さんが大切にしていたピアノだから。

 母さんが死んでから10年以上の時が流れたというのに、ピアノは母さんが生きていたあの頃と同じように、綺麗に手入れされていた。

「ちゃんと調整もできてる……。叔母さんがやったんだな」

 ピアノに触れていると、母さんとの数少ない思い出が昨日のことのように思い出される。数少ない思い出だからこそ、いつまでも大切に覚えている。




『え!? もうドビュッシーの月の光が弾けるの!? なにそれ、天才じゃん!! 見てよ明日奈! 私の子はやっぱり天才なのよ!!』

『はいはい、わかったから……。ホント、姫ちゃんは親バカね』




 ♪♪♪♪




 そんな思い出に浸っていると、入り浸っていると、僕は無意識に、無作為に、ピアノの鍵盤を撫でるようにして叩いていた。叩かれた鍵盤はあの時と同じ、綺麗で、麗しい、美しい、綺しい、まさに芸術的な音色を奏でた。

 ピアノの音色が響く家内は、まるで演奏会のような、熱狂と緊張とが入り混じったような、入り乱れたような、あの場所に僕を呼び戻したようだった。

「なんだ、今もやっぱり天才なんじゃない」

「!!」

 その声を耳にした途端、僕は演奏を中断した。

「どうしてやめちゃったの?」

 明日奈は切なそうにこちらを見ている。ただ一点、ただただ一点、こちらを見据えている。

「関係ないだろ」

 僕は慌てて2階の階段を駆け、自室に戻った。

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電脳世界《ムコウガワ》の歌姫 千園参 @chen_san

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