第7話
串崎巡査部長の動きに注目したい。
九鬼龍作からの指示をもらい、奈良県警警若草署の串崎巡査部長は、わざわざここまでやって来たのである。串崎は、あれから県警には戻っていなかった。
「ここか・・・」
気のせいか、潮の香りが、串崎の鼻を突いた。
串崎は何かにつられるように空を見上げた。雲一つない初冬の青空で、気持ち良かった。
それほど大きな家ではないが、新築である。初冬の太陽はもう十分な位置にあり、この家を照らしていた。庭もちゃんと整備されていて、まだ店先に出始めたばかりのパンジーが植えられていた。何よりも目に付くのは、多くの赤いつぼみをつけた高さ一メートルほどの樹木だった。串崎巡査部長は、その樹木の名前を知らなかった。
すると、玄関が開き、中学生くらいの男の子と、ランドセルを背負った女の子が出て来た。
(そうか・・・学校に行くんだな)
串崎は結婚をしていたが、まだ子供はいなかった。でも、何だか、
「ほつ」
とした気分になり、この二人を見送った。
見送りに出て来ていたのは、四十前後の女性で、串崎を見ると、怪訝な目をした。
串崎は軽く頭を下げ、警察手帳を見せた。
「こんな時間に・・・すいません」
「何か・・・」
現れた警察官に対して、
(この人、本当に警察官なのか・・・)
疑いの目を向けている。勝代は、どうやら警察が嫌いなようで、不機嫌な表情を崩さない。
「奥さまですか?」
「はい、どんな要件でしょうか?」
「実は、今から十三年ほど前なんですが・・・」
四十前後の女性・・・名前を三木勝代という。
その勝代の顔色が青ざめた。
「神奈川の海水浴場から、一人の女の子がいなくなりました。ご存知ですか?」
勝代は無言のままである。
「その子は、二歳でした・・・」
串崎は警察手帳を見せていたのだが、変わらず不審な眼は、彼女から消えていない。
「待って下さい。あなたは、何を言おうとしているのですか?もう、いいです。帰って下さい。今の私の生活を壊さないで下さい。今更、何を・・・」
勝代は声を詰まらせた。彼女には、この人が何を言おうとしているのか、よく理解していた。だからこそ、余計に聞きたくなかったのである。
串崎の方も、そう理解をした。それでも、串崎は、
「警察の記録では、二千人の警察官を動員して、聞き込み捜査を行った、と残っています。そして、地元の消防、地域のボランティアなども事故を含めて、六か月間ほど捜索しましたが、もちろん、その後も一年に何回かチラシを配り、協力を求めていますが・・・」
串崎は、ここで言葉を切った。
勝代の表情から落ち着きが見られると、串崎は、
「その子・・・あなたのお子さんが見つかったのです」
と、事務的にいった。勝代の動きが止まり、顔色が蒼くなった。明らかに動揺している。
(あの子が・・・
あんなに探しても見つからなかったあの子が・・・今になって見つかった何で・・・。
「もっとも、まだマスコミにも発表していませんし、警察としては、その気もありません。このことは、あくまでも当事者であるあなた次第なのです」
「考えさせて下さい。余りに急なことなので・・・」
「分かります。今日、私がここに来たことは、あなたのご主人にも伝えてありません。いずれは、知らせなければならないと思うのですが、それも、あなた次第で、知らせる必要がなければ・・・警察内で、事件は解決したと処理します」
串崎巡査部長が話し終えると、少しして勝代が、
「あの子は・・・今、幸せに暮らしていますか?」
「えっ、ああ・・・優しい夫婦の手で育てられています。踊りがうまくて、この間も高校の文化祭で、白拍子の舞いを披露したようです」
「えっ、ああ・・・白拍子・・・」
勝代には白拍子がどういうもので、どういう舞なのか分からなかったが、彼女の目から涙が流れ出ていた。
「会いたい、会いたくない筈がない。この手で抱き締めたい。私が生んだ子だもの。でも、今の私には、私に優しくしてくれる夫がいる。そして、昇も輝美もいる。そうなんです。今の私は・・・幸せなんです。ああ・・・どうしたら、いいんでしょう?
「あの子の父は責任を感じて、あのころ重苦しい日々を過ごしていました。だんだん捜索の範囲が狭められ、捜索する人手も少なくなってしまって・・・あの人は悲観して、自殺をしてしまいました。
「そんな哀しい事実を・・・あの子に伝えられる・・・いいえ、それは出来なません。とにかく、私は立ち直ったのです。それを分かって下さい」
この日は、寒かった。
串崎は、防寒のための服は着ていた。多摩川からの初冬の風が、時々強く吹き付けて来る。
串崎巡査部長は襟を立て、
「会ってやって下さい」
とは言えなかった。
これ以上話し込んでも、
(無駄だ)
と、串崎は思った。
「明日、もう一度来ます。家族とよくご相談なさって・・・いや、あなた自身がよく考えて下さい。警察としては、無暗に、ことを荒立てるつもりはありません」
とだけ、いった。
ここへの出張は、あくまで個人的な休暇だった。
この旨を、串崎はホテルに帰ると、龍作に知らせた。明日、もう一度会いに行くが、今日の女の印象も付け加えた。
「あっ、それから、もう一つ、古川信綱は確保した、という連絡を受けました。
「そうか、ありがとう」
とだけ、龍作はこたえた。
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