第6話
その三日後、
「ここか?」
串崎巡査部長はある一軒の家の前にいた。
表札は、三木、とある。この家の主は、義人とある。次に、妻であろう、勝代。長男、昇。長女、輝美。一男一女という典型的な家族である。
ここは、東京の府中の南側を流れる多摩川沿いの閑静な住宅の一画である。
「おい、行って来るよ」
三木義人は急いでいた。昨夜は会社仲間の飲み会で、飲み過ぎてしまい、起きるのがいつもより三十分遅くなってしまったのだ。
「はぁぁい」
妻の勝代がキッチンから走って出て来て、
「行ってらっしゃい」
と笑顔で声を掛けた。
「子供たちは・・・」
「もうすぐです」
「じゃ、先に行くから」
玄関から飛び出しかけて、
「そうだ。今度の休みは、筑波山まで紅葉見物だ。その準備を頼むよ」
義人は念を押した。
「分かっていますよ」
義人はニコッと笑い、外に飛び出した。
(良かった)
というのが、義人の実感だった。もう、勝代の記憶からあの嫌な出来事は消えている・・・というのは間違いない。余計な心配だな・・・。
「お母さん」
長男の昇が勝代の背中を押した。振り向くと、昇が笑っている。
「おい、輝美。お母さんが笑っているよ」
「あっ、本当だ」
顔を出した長女が、母の勝代を見て、これまた笑っている。
義人は、時々見せる暗い表情を、いつも気にしている。
(もう大丈夫・・・)
と思っても、まだ完全に、あれをぬぐいされていないんだ、と思ってしまう。子供たちは何も知らないが、みんなが勝代に気を使い、それぞれが懸命に生きている。義人には、それが何よりもうれしかった。
「あっ、いかん。乗り遅れてしまう。じゃ、行って来るからね」
今度こそ、義人は家を飛び出して行った。その後、
「じゃ、僕たちも行くからね。照美、行こう」
「うん」
「気を付けて行くんだよ」
勝代は思う。
私の何がそうさせてしまうのか・・・知っているのは、あの人だけ。子供たちには、何があったのか言っていない。また、夫も勝代も十三年前の事件を、子供たちに話す気はなかった。
勝代は再婚だった。というより、義人は前夫の弟である。前夫は自殺していた。その事件は、勝代以上の衝撃であったようで、自殺という方法を取った。
勝代が前夫を責めたのが良くなかったのかもしれない。
「あなたは、あの時何処へ行っていたんです?私が来るまで、ここにいて下さい、と言ったはずです。それなのに・・・」
あの人は・・・一言も弁解しないで・・・黙っているだけだった。何とか、言って下さいと問い詰めても、ただ顔をうなだれているだけだった。
私はというと、なぜか涙が流れませんでした。夫を責めることで、娘が行方不明になった哀しさ、寂しさを紛らわしていて、全ての責任を夫に押し付けていたのかもしれません。
その頃の二人は心も体もバラバラで、生きる糧は何一つなかった。そして、一か月くらいして、夫は・・・。
勝代には、夫と二歳の子供を失ったことで、気が狂わんばかりの日々を送っていた。そして、辛うじて、勝代が立ち直ったのは、夫の弟である義人の励ましが大きかった。そして、二人の子供が授かった・・・のは、彼女には奇跡とか言いようがなかった。
でも、この十三年間、けっして、あの子のことを忘れたことは一瞬たりともなかった。心の隙間を縫って、後悔とこんなことではいけない・・・という気持ちに襲われっぱなしだった。
そんな私を気遣う夫の義人の気持ちが痛いほど分かり、もう忘れてもいい・・・とさえ思うようになった。過去にあった事件など知らない昇と輝美は優しくて朗らかに、母に接してくれている。
(しあわせ・・・!)
と、問われたら・・・。勝代は、
「はい・・・」
と小さな声でこたえるだろう。
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