第4話

その頃、ビビは静佳に抱かれて眠っていたのだが、突然、小さな顔を上げた。すると、

 「どうしたの、ビビちゃん」

 静佳は目が覚めて、まだうつらうつらの状態だった。ビビは静佳の細い腕から飛び出し、窓に飛び乗った。

 どうやら、外に出たいようだった。窓の桟を爪でカリカリし出した。

 「だめよ。こっちにおいで。話しましょ」

 と、静佳は窓からビビを抱き上げた。

 「何処へも行っちゃ、だめだからね。私・・・一人ぽっちなんだから」

 ビビは静佳を見上げた。

 「可愛いね」

静佳はビビの小さな頭を撫でた。まだ、窓の外を気にしている。

「本当に・・・どうしたの?」

ビビは、執拗に静佳の腕から、しつように抜け出ようとしている。仕方がないので、静佳は窓を少し開けた。すると、

「あっ!」

ビビは窓から外へ飛び出して行った。

「待って、私も行くから・・・」

静佳は部屋用のスリッパのまま、窓から外に飛び出した。

ビビの後をついて行くと、白壁と古い壁の境目が出来ているのだが、そこでビビは、静佳が来るのを待っていた。

「誰か、いるの?」

静佳が覗き込むと、安濃尚子の目が見えた。

「エヘッ、来ちゃったよ。少し・・・話さない」

「うん、いいわよ」

静佳はビビを抱き上げた。

尚子は、いきなり、

「ねえ、外へ出て来ない?」

と、行って来た。

「えっ・・・」

静佳は一瞬戸惑う。

「いいけど・・・お母様は・・・許してくれないと思う」

「でも、文化祭には・・・来たじゃん」

「それは、お父様がお母さまを説き伏せてくれたからなの。それに・・・」

「それに・・・」

「何なの、静佳ちゃん?」

言いよどんでいる静佳に、尚子は、

「あつ、思い出した。この前、言ってたよね。病気のことだよね。そうか・・・」

尚子は、

「直んないの、その病気?」

と、訊いた。前も、同じことをきいたような気がしたのだが。

「うん・・・でも、私・・・よく分かんないの」

「踊っているのを見ていると、病気だなんて少しも感じなかったのにね」

何だか神妙な雰囲気になり、二人とも黙り込んでしまった。尚子の後ろの方が騒がしい。

「ねえ、誰かいるの?」

「うん、文化祭の時に、私と踊りを見ていた友だち。あれから、あなたのファンになったんだって。分かったわよ、変わるから」

最初に顔を出したのは、加田弓矢だった。

「・・・」

黙ったままだ。つづいて、酒井愛子だ。

この子も、一言もしゃべらない。

「何か、言いな」

と、尚子。最後に、島原明美。

「へへっ」

だけだった。

「だめだね。ごめんよ。みんな、あんたに参っちゃってるんだよ」

静佳は、にこっと微笑んでいる。

「みんな、静佳が笑っているよ」

と、尚子が言うと、また騒がしくなった。


古川信綱は、居間の障子戸を勢いよく開けた。

 「兄貴!」

 振り向いた矢之助は、飛び込んで来た弟信綱に驚いた。昼間突然やって来たことは、妻きぬから聞いていた。だが、この時間に現れるとは・・・考えもしていなかった。

 「な、何のようだ!」

 「よう・・・?簡単なことだ。そこの和泉守兼定を、俺にくれ・・・」

 こういった瞬間、信綱は・・・もうそこに走り寄っていた。

 「待て、何をする・・・」

 矢之助は止めに入ったのだが、信綱はガラス板を投げつけた。和泉守兼定は刀身と鞘が、居間にバラバラに飛び出した。

 信綱の次の行動も早かった。すべてが、計算づくなのかもしれない。彼は刀身と鞘を拾うと、和泉守兼定を鞘に納めた。

 「待て!」

 矢之助は背後から信綱を抱き抱え、

 「お前は、その和泉守兼定で何をする気だ?」

 「ふん、お前の知ったことではない。離せ・・・」 

 信綱は矢之助を投げ飛ばした。そして、

 「これ以上、俺の邪魔をすると、本当に・・・切るぞ」

 信綱は和泉守兼定を鞘から抜き、切先を、矢之助に向けた。

「本当に、俺を切る気か・・・」

 信綱の目が陰鬱に光り、

 「試してみるかね」

 と、和泉守兼定を大上段に構え、振り下ろした。

 その瞬間、信綱の体に何かがぶち当たり、信綱は倒れ込んだ。

 「誰だ?」

 そこには、犬がいて、姿勢を低くし、唸っていた。

 「昼間来た時には、犬はいなかったぞ。よし、こいつで切り殺してやる」

 信綱は立ち上がり、犬に和泉守兼定を振り下ろした。

 「ケン・・・」

 庭の漂う闇から、鋭い声が飛んで来た。その途端、

 「ウウ・・・」

 ケンは横に飛び退き、和泉守兼定をかわした。

 「こっちに、おいで」

 ケンは闇に走り、消えた。

 そして、

 一人の男が、無言のまま、信綱の前に現れた。

 「誰だ、お前は?」

 驚愕する信綱。

 「ふっ」

 男は唇を噛んだ。

 「誰でもいい、その刀を・・・そこに、おけ」

 信綱の目が震えている。恐怖心ではなく、その男の威圧感に抑え込まれている。

現れた男は、九鬼龍作だった。

 「ふ、ふふん。何処の誰だか知らないが、他人に敷地に入り込むな」

 「それは、お互い様だ」

 「ここは、俺の兄貴の家だ。他人ではない」

 「何とでも、言え」

 「うるさい」

 信綱は和泉守兼定で、龍作に切り掛かった。

 龍作は右にひょいとかわした。

信綱は勢い余って、前のめりに倒れた。

 「どうした、それだけか?」

信綱をあおりつける。

 「うるさい」

 信綱の顔色が変わり、激高しているのが分かる。

 「それでは、私を切れまいな」

 龍作は、三つばかりある明かりの庭に、信綱を誘いを掛けた。

 古川矢之助は、この奇妙な取り合わせに驚いていた。信綱がこの時間に和泉守兼定を奪いに来るのを考えてもいなかつたし、突然現れた男は・・・考えられるのは、あの男しかいなかった。

 「九鬼・・・」

 だが、矢之助は口には出さなかった。そして、この後矢之助は二人の闘いに目を奪われてしまっていた。

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