第3話
「どうだった?」
水島矢之助は娘の静佳の様子が気になった。矢之助自身は、静佳の白拍子の踊りに満足し、感動していて、
「妻は反対したが、良かった」
と思っている。
「ありがとう、お父様。とっても嬉しいし、満足な気持ち。また、踊りたい気分」
「それは、良かったね」
静佳の腕の中には、ビビがいた。じっと矢之助の顔を見上げている。
「どうしたの、ビビちゃん。何か心配事でもあるの?」
矢之助は黒猫を見て、
「静佳は、この黒猫の心が読めるのかな?」
「不思議と、ビビの気持ちが分かるの、ねえビビちゃん」
「そうか、でも、お父さんには、何も心配なことはないよ。静佳の病気も、今は安定しているからね」
だが、水島矢之助には、気になることがあった。
九鬼龍作という人物から、家にある和泉守兼定・二尺八寸の刀をいただきに参上するという告知文が届けられていたのである。その人物については、矢之助は聞いたことがあった。だが、新聞や雑誌で報じられていること以外、たいして知らなかった。
だからと言うわけではないが、不思議と恐怖心はほとんどなかった。
「何者・・・!」
矢之助は、口をもごもごと動かしている。
「お父様・・・」
「静佳・・・何か・・・」
「お父様・・・昨日から少し・・・変よ」
「何でもない、何でもないよ」
吉野高校から水島の家まで、それ程遠くない。
「さあ、着いたよ。きぬも、静佳がうまく踊れたか、心配しているはずだよ」
矢之助は、養子として水島の家に入った。
迎えに出て来たきぬは、夫の矢之助を見ると、
「あなた、弟さんが・・・」
と言い、一瞬顔を強張らせていた。
「そうか。また、後で聞くよ」
きぬは頷いた。
「それより、静佳の踊りは素晴らしかったよ。あの静御前を彷彿させたよ」
「そう」
きぬは喜びを顔に出した。
「それよりも、静佳。身体の方は大丈夫?」
「はい、お母様。何ともありませんでした。自分の部屋で、少し・・・体を休ませなさい」
「はい。ビビちゃん、行こうか」
静佳は、自分の部屋にいる。
「あの子・・・疲れたでしょうね。だって、人前で踊ったのは初めてじゃないんですか?」
矢之助はきぬの淹れた熱めのコーヒーを一口飲んだ。
「そうだったかな」
「ええ、踊りの先生の所では、四五人の生徒さんがいますけど・・・」
きぬは高校の文化祭での参加は乗り気ではなかった。でも、良かった・・・ような気分に浸っていた。
「静佳、もう十五歳になったんですね」
きぬは目を潤ませた。
「そうだな。早いものだ」
「あの子には可哀そうだけど、学校に行かせられなかった。だって・・・」
きぬは目を押さえた。彼女の指の間から涙がはみ出て、流れた。
「それを、言うな。言ってはいけない。そういう約束だろう」
「分かっています。だけど・・・」
「お前の言いたいことは分かる。私も、何よりもあの子の幸せを考えている。今は、もう少し・・・。そんなことより、あいつが来たんだって!」」
「はい」
「それで、何だって?
「私、何も伺いませんでした。居間の・・・あの刀を見て、何かを真剣に考えて見えましたよ。その後、庭を見ながら、あっちに行ったりして見えました」
「あの刀を・・・な」
矢之助は床の間の和泉守兼定・二尺八寸に目をやった。土方歳三が所持していたのは、二尺八寸五部の和泉守兼定。今は、土方資料館に現存している。ここにあるのは、和泉守兼定・二尺八寸。近藤勇が日野の佐藤彦五郎に送った手紙には、和泉守兼定・二尺八寸とある。和泉守兼定はふた振りあるのではないか・・・水島家にあるのが本物なのか定かではないのだが、とにかく、ここにひと振りが存在する。
矢之助は服の内ポケットから、一枚のうすっべらい紙を取り出した。
「あいつ・・・まさか!」
だが、この字は、信綱の筆跡ではない。それに、こんなに達筆でもない。
「どうせ、くだらんことでやって来たのだろう。まあ、いい。すまないね、あいつが迷惑をかけて」
きぬは首を振った。
「あいつのことより、九鬼龍作の告知だ。何度か耳にしたことがあるが、何で・・・この刀に目をつけたのか、私には分からない。この和泉守兼定は、君の家の家宝だ。誰が盗みに来ようと、絶対に渡すわけにはいかない。九鬼龍作がどんな男が、何をしようとしているのか分からないが、守って見せる。今夜だな、そいつが予告した日時は。今日の深夜、二十五時・・・か」
「すみません、こんなものがあるために、あなたに迷惑を掛け・・・」
きぬは頭を下げた。
「気にすることはない。
「それに・・・静佳のことだって・・・」
「言うな。静佳の・・・その話はするな」
水島邸の前を走る国道三十七号線には、この時間にはほとんど車が通ることはない。
(静寂・・・)
そのものだった。
背後には吉野山がどっしりと構え、暗黒に覆われている。
「お前は、もう寝なさい。私は、今夜は告知された時間までは起きているつもりだ」
「でも・・・」
「大丈夫だ。私の命を狙っているわけではないのだ。龍作の目的は、あくまでこの和泉守兼定だ」
「はい」
きぬは居間から下がった。
この頃、古川信綱は、この水島邸の周りをうろついていた。
「やるか!」
白壁によじ登った。そんなに、高くない。
彼は好んで体を鍛えていたのではないが、運動神経は、兄の矢之助より遥かに良かった。もっとも若い頃の、その証拠が残っているわけではない。信綱の個人的感想である。
信綱は難なく水島邸の中に入り込んだ。
「むっ!」
誰かに見られている嫌な感覚があった。すると、
ピ、ピ・・・ピックル
庭全体が闇に覆われていて、何がいるのか見えない。だが、
「鳥か・・・?
信綱は口走った。
水島邸の、この庭は所々に樹木が植えられていた。石畳が居間から続き、庭の中がくねくねと走っていた。
「兄貴・・・いい身分だな」
信綱は不快さを顔に出した。
(ふん・・・)
「まあ、いいか」
「だが・・・何なんだ・・・」
(俺の気のせい・・・)
なのか。やはり、誰かに見られているという感覚は、以前として消えていなかった。
庭の所々には淡い明かりがあった。庭の夜景を観賞するためか、程よい明暗があり、心地よい。
居間の明かりは点いていた。
「起きているのか・・・兄貴か」
それならそれでいい。
「直に、その和泉守兼定をくれ」
言えばいい。信綱は、そう腹をくくっている。
今の障子に影が浮かぶ。
「やはり、兄貴か・・・」
(いくか!)
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