第30話 想い
「帰らないで……」
玄関に向かおうとした私の背に、佳織の温もりが触れる。
懐かしい記憶を思い起こして、間違いをリセットするのはここなのかもしれないと口を真っ直ぐに引き締める。
腰に回った佳織の腕を解いて、私は佳織に向き直った。
「ごめんなさい、佳織。私じゃ佳織のパートナーには役不足だったみたい。もうお互い無理をするのは止めよう? 進んでしまったことを元になんて戻せないのは分かってるけど、束縛しあうような関係をこれ以上続けても意味ないと思う」
「……だめ、いや……傍にいて……」
佳織の目から涙が溢れていて、駄々を捏ねる子供のように首をぶるぶる振って拒否を示す。
「佳織、私はルナじゃないから、ルナみたいに佳織の傍にいるって愛し方はできないんだ。ごめん」
「違う、真凪とルナは違うから。真凪にルナみたいにいて欲しいんじゃない。ルナはルナで真凪は真凪だよ」
「ずっと一緒にいたルナと私じゃ比べものにならないね」
「そんなことない。ルナも大事だったけど、真凪も大事だから。どっちがなんて比べたことない。真凪がいない生活なんて考えたくないから、お願い、帰らないで、ここにいて」
今度は正面から佳織に抱きつかれて、私は動きを止める。ルナと違うと言われても私は佳織の求める違いが分からなかった。
私はもう、佳織の前でどうあればいいかも分からなくなっている。
「佳織、そんなことすると本気で襲うよ? 泣いても嫌がっても止めてあげないよ」
そう言えば佳織は退くと思ったからこその言葉だった。
でも、佳織は私の体に抱きついたまま、力を緩めることはない。
「わかった。じゃあ遠慮しないから」
佳織の体に触れることすら手は震えていて、それでも今更退くに退けなくて、その日私は久々に佳織に触れた。
でも、気分が高揚するわけもなく、事務的に佳織に触れただけで、早々に体を離すことになる。
「やっぱり無理」
ベッドから逃げ出した私を、佳織はらしくもなく乱れたままの格好で追ってくる。
私が帰ってしまわないかを気にしているのだろう。
「真凪、待って」
「気持ち良くなかったでしょう? 私も気持ち良くなかった。佳織が私に体を差し出しても、もう意味はなくなってるのこれでわかったでしょう。だから、自己犠牲は意味ないから」
また佳織を泣かせるかもしれない、と構えていた私に届いたのは佳織の温もりだった。
抱きついてきた佳織は離す気がないことを示すように、しっかり私の背に腕を回して、見下ろすと佳織のつむじが目に入る。
「真凪は気持ち良くなれなかったかもしれないけど、わたしは真凪に触れられて嬉しかった。真凪がわたしをもう望んでくれてないって分かっていても、わたしは誰にも真凪を渡したくない」
「……じゃあ私が誰のものにもならないって約束したら、佳織は自己犠牲を止める?」
それに佳織は首を横に振った。
「ここにいてくれないと信じられない。わたしを愛してくれないと信じられない」
傲慢な佳織の言葉に私は溜息を吐く。
「どうしろっていうの」
「悪いのは全部私だから、今まで通り触れて欲しい。真凪がわたしを好きにさせすぎたせいでこうなったんだから、責任取って最後まで面倒見て。もうわたしは真凪がいない暮らしなんて無理だから」
「佳織……」
「真凪が引っ越して来てくれなくて、毎日わたしは泣いてる。淋しくて、淋しくて、このまま死んじゃうんじゃうかもしれない。わたしには真凪が必要なんだって、真凪がいない生活なんてもう無理なんだって痛感したから」
「でも、したくないんでしょう」
それに佳織は再び首を横に振る。
「真凪しか見えなくなるのが怖かったんだと思う。真凪とするのは気持ちが良かったし、嫌じゃなかった。でも、わたしはいつか真凪に全部を晒してしまいそうな気がするようになって、どうしたらいいかわからくなった」
そうか、と佳織の言葉に納得するものがあった。私は愛している相手に自分を隠すことなんてできない。でも、佳織はこれまで内にある自分を外側の自分で守ってきたタイプで、私はそこに触れてしまったからこそ、佳織は過剰に反応したのかもしれない。
「佳織が全部私に見せてくれるなら、一緒に住むけど」
「……すぐに全部は無理でもいい? 真凪といるために頑張るから、傍にいて欲しい」
私の嫁は堪らなく可愛すぎると、私は今日初めて愛しさで佳織を引き寄せた。
「保障できるほど自分に自信はないけど、佳織が私といることを望んでくれるなら、二人での生活始めようか」
抱きつき返してきた佳織に、私は久々のキスを佳織の唇に載せる。
合意である証のように佳織はそれを受け入れてくれて、ただ重ねるだけのキスを続けた。
掛け合わなかった想いに橋を架けられるかどうかは、やってみないとまだわからない。
それでも繋がりを解きたくないと佳織が想っていてくれるのなら、離したくはなかった。
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