第26話 熱情の行方

引越までの間、私は久々に自分の家で過ごしていた。佳織が顔を出してくれる日もあったけど、仕事以外のほとんど大半を一人での荷造り時間にあてていた。


一方で楽しみにしていた佳織との同棲生活を、どうすればいいのか迷ってもいた。


佳織は私を心の拠り所にしてくれているのは確かだろう。でも、それはもう情でしかなくて、愛し合う存在としては考えられなくなっているのではないか、とそんなことばかり考えてしまう。


私は佳織を愛したい。


「困ったなぁ。どうしよう、これ」


一緒にいたいのに、熱を持つ体を私はどう押さえればいいのかわからなかった。


佳織を思えば思う程、私は佳織が欲しくなる。


一緒に暮らして、佳織を求めずに私は過ごせるのだろうかと、自問自答しても答えは出せていなかった。


佳織が泊まりに来た翌週末に、私はどうしても今行かないといけない用事があると、佳織に嘘をついて一人で出かけた。


途中までは電車で、その先はちょっと自信がなかったけどレンタカーを借りて、うろ覚えの道を頼りに目的地に何とか辿り着く。


車を駐車場に駐めてから、山の手の簡易舗装がされた階段を上ると少し拓けた場所に出る。そこから先も場所はうろ覚えで、同じような墓石が並ぶ墓地で、記憶を頼りにしつつも石に彫られた名前を順に確認していく。

 

数回繰り返して、ようやく目的の墓の前に私は辿りついていた。


「久しぶり、お母さん」


今年私は32になるので、母が亡くなったのはもう14年以上前のことだった。最後に墓参りに来たのは就職が決まった時のことで、あまりの親不孝ぶりに自虐の笑いが漏れた。


私の記憶している母は、父に一言も文句も言わず、苦しくても苦しいとも言わない人だった。結果的にそれが母の病気の発見を遅らせる原因になったと私は思っている。ただ、母は何のために頑張っていたのだろうかと私には分からないままだった。


母の墓は最近手入れがされたらしく、改めて私が何かをする必要はなさそうだった。それでも花筒の水だけを替えてから、来る途中で買った線香に火を点ける。


「お母さん、私好きな人ができたんだ。ずっとずっと一緒に生きようと思ってる。残念ながら孫の顔は見せてあげられないけど、もう離れたくないって思ってる。でも、その人はいろいろあって傷ついてて臆病になってるみたいで、どうやって支えてあげればいいのか今ちょっと悩んでるんだ。なんか、そんなことを考えてたらお母さんのこと思い出しちゃった」


母は何かに耐えていたのだろうか。


何を思っていたんだろうか。


話をしたくてももう母は、しゃべってはくれない。


「また来るね。次は私の好きな人を一緒に連れてくるから」


そう言って私は再び坂を下っていた。


「あら、真凪。珍しいわね、あなたが墓参りなんて」


「伯母さん、どうしてここに?」


坂を上ってくる存在は、私よりも更に遠い場所に住んで居る伯母の姿だった。


貴子たかこの命日でしょう、何言ってるのあなたは」


貴子は私の母の名前で、もちろん私も命日であることは覚えていた。ただ、伯母がわざわざ墓参りに来てくれていたことに驚きはあった。


「あなたも来ないし、裕之ひろゆきも来ないし、ましてや克也かつやさんなんか来るはずもないし、誰も貴子のことを知っている人が墓参りに来ないなんて、可哀想でしょう?」


裕之は兄の名で、克也は父の名だった。三人揃って見事に似た者親子ということだろう。


「じゃあ、お墓の世話は誰がしてるの? 伯母さんだってしょっちゅう来られないでしょう?」


先程見た母の墓はこまめに手入れがされていることが分かるものだった。まさか伯母がこまめに来てくれているとは、流石に考えにくい。


「裕之のお嫁さんがしてくれているわ」


「…………あの家は相変わらずなんだ」


私の育った家は、男は座っているだけで、家のことは全部女がしろという家だった。その伝統が兄の嫁を縛っていることは簡単に知れた。


「あなたには辛い家だったのは分かっているわ。でも、それでも貴子にとっては必死に守りたい家だったのよ」


「家に縛り付けられていたのに?」


「それは克也さんがいて、あなたも裕之もいる家だったからよ。克也さんは、感情の起伏が激しくて反抗すると女でも殴る人だったから、あまりそういうところを子供には見せたくなかったんでしょうね。若い頃はもっと何でも言う、あなたみたいなタイプだったのよ、貴子は」


その言葉に少し驚きがあった。私は母とは似ていないと思っていたのに、伯母からしてみれば似ているらしい。


「それなのに自分をずっと殺し続けてたってことなんだ。離婚でも何でもすれば良かったのに」


「貴子は貴子なりに克也さんを愛していたから」


「……あれを?」


あれ呼ばわりしたのはもちろん血の繋がった父のことだった。


「そう。夫婦になって、克也さんと衝突ばかりして、このままだと子供の為にはならないって、貴子は生き方を変えたのよ。でも、病床で自分は間違ったかもしれないって、最後は悔いてはいたわ」


「知らなかった」


「あなたが結婚をする時に話そうと思っていたの。パートナを見つければ、あなたにも貴子のことを理解できるようになるかもしれないから」


「……パートナになろうとしている人はいるから、少し考えます」


母の墓に向かう伯母とは立ち話だけで別れて、私は帰路を辿り始めた。


墓から実家は近くても、実家に帰る気など始めから勿論ないし、一生帰らないだろうとも思っている。

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