第17話 ナナの恋人

佳織とつきあい始めて三ヶ月が経って、定期的にデートをしたり、ご飯を食べに行ったりと喧嘩もせずに仲良くはやれていた。


佳織は私のことを真凪と呼べるようになったし、並んで歩く時にこっそり手を繋いでも睨まれるようなことはなくなった。場所さえ気を遣えば、キスも断らなくても許してもらえるようになったし、恋人としてのつきあいに慣れようとしていた。


一つ不満があるとすれば、佳織からなかなか甘えてくれないことで、多少なりとも焦りはある。


それは佳織の人とは距離を置きがちな性格のせいだとはわかっていたけど、恋人になったのだから多少はいちゃいちゃしたい。


時間を掛けて慣れて行くのが一番いいのはわかっている。でも、そこまで自分が我慢できる自信が正直なかった。


年上ぶってはみたけど、やっぱり佳織は欲しい。


つき合う前よりももっともっと自分が佳織を求めている自覚はあった。


そんな中で、ナナから二人一緒で飲みに誘われたと連絡が入っていた。


待ち合わせ場所はいつものバーではなくて、普通の居酒屋だということに少し驚きはあった。


佳織と仕事帰りに待ち合わせをして、指定された店に二人で向かう。


「ナナも恋人できたみたい。今日は一緒に来るって」


「やっとナナちゃんの条件に合う人が見つかったってこと?」


「そこまでは聞いてないけど、わざわざわたしたちに会わせるんだから、それなりに本気なのかなって」


「そうだね」


私と佳織がつきあい始めたことは、早い段階でナナには伝えていた。


佳織の部屋から電話を掛けると、そうなると思っていたとナナには当然のように返される。佳織を好きになった気持ちは偽りがないからと告げると、隣にいた佳織は顔を真っ赤にして身を抱えこんでしまって、そんな様すら可愛かった。


予約済みだという居酒屋に入って名前を告げた後、佳織は少し変な顔をしていて、どうしたのかを聞く。


「ちょっと気になることがあって……」


「気になること?」


矢塚やつかって知り合いがいて、あまりない姓でしょう?」


「そうだね。ナナちゃんの姓なんじゃない?」


「ならいいんだけど……あのね、真凪、先に言っておくと矢塚ってわたしの前の恋人の姓なんだ。多分違うと思うけど、もしナナが連れてきた相手がその人だったら、わたしちょっと変な反応するかもしれないけど、気にしないでね。今は真凪とつきあってるんだし、心残りとかないから」


少し前にナナに内緒だと言われていたことを、私は今更ながらに思い出す。今の佳織の話で、矢塚がナナの姓だとは推測がついていた。


でも、そんなことを知らない佳織は、ナナの連れてくる相手が別れた恋人なんじゃないかと不安を感じているのだろう。


予め説明をする佳織の様が可愛くて、大丈夫だからと落ち着かせる。可愛すぎてここで抱き寄せてしまいたいけど、流石に人目がありすぎるので我慢するしかない。


私から告白をして始まったつきあいだけど、佳織も私のことはちゃんと恋人として認識してくれていて、これで後残るハードルは一つなんだけどなと、改めて思う。


店員に個室に案内されて、佳織が先に中に入ってその後に私が続く。


向かい合って座る座席しかない小さな個室にいたのは、今回の主催者であるナナと、隣に並んでいる存在に私も佳織も目を見開いて、言葉が出なかった。


「どういうことかは話すから、まず座って?」


そう言われて私と佳織は横並びで席に着く。


ビールでいいよね、とナナが店員を呼び止めて注文を済ませると、個室は四人だけになる。


「どうして、ここに唯依がいるの?」


待ちきれなくて、私は口を開く。私の目の前に座っているのはかつての恋人であった唯依だった。相変わらず可愛くて、それでも触れたいという気ももう起こらなかった。


「ワタシが七海の恋人だからよ」


見る者全てを魅了する笑みで、唯依は高らかに告げる。七海というのがナナの本当の名前かどうかまでは分からなかったけど、どう考えてもナナのことを指していた。


「嘘でしょう……」


私より先に口に出したのは佳織だった。私もそれには同意しかない。


「それが実は本当だったりします」


腕を絡めた唯依をナナはね除けるでもなく、為されるがまま唯依を受け入れている。


「ナナの好みと全然違うじゃない、この女は」


珍しく佳織の口調が険しい。私のこともあって、佳織はそもそも唯依にあまりいい印象を持っていないのは知っていた。


「好みの相手としかつき合えないって、人間が小さすぎない? ワタシは七海に惹かれたから、七海に正面からぶつかっていって恋人になった。それだけだから」


「初めはササがバトったって聞いてたから、ちょっと落とし前つけようかなって思いだったんだけどね。いろいろあって、つき合うことになってました。なんかいろいろ拘りすぎて自分を狭くしすぎてたんだなって、唯依といると感じるようになったし、つき合いたいって唯依が言うからつきあうになったんだ」


唯依を横目で見るナナの瞳は、確かに恋人を見る優しい眼差しだった。


とはいえ、佳織の方は収まらないだろうなと、私は佳織の腰を掴んで自らに引き寄せる。


「真凪……」


「ナナの心配ばかりしていると私が焼いちゃうよ」


佳織にだけ聞こえる声で囁いて、佳織の頬に軽く唇をつける。


「人前なのにやりますね、水上さん」


「隠さないといけない存在はここにはいないから」


「だって、唯依どう思う?」


「格好をつけたがるから、この人」


かつての恋人にそう指摘されて、流石に反論は出せなかった。でも、今の恋人の方が私にとっては何倍も大事だった。


「ナナ、唯依が魅力的なのは分かるけど、唯依とつき合うのは大変だよ?」


「それは昔のワタシで、今は七海一筋だから心配して貰わなくても大丈夫」


「その言葉の信憑性が全くないんだけど」


かつて唯依と一緒に暮らしていて、浮気をされた身としては唯依の発言は全く信じられないものだった。


「実は二人で部屋を借りて、もう一緒に住み始めているんだ」


「ナナ、正気に戻って。今は良くても、すぐ裏切るに決まってるから」


私と同様、佳織もナナと唯依のおつきあいを受け入れられないのは同じで、ナナの説得を試みようとする。


「ありがとう。でも何かを変えようとしなかったら、自分は変われないから、今の選択に後悔はないよ。将来的にどうなるかなんてわからないし、そこは唯依の行動次第だけど、前からちょっと自分が行き詰まっている気はしていたんだ」


「ナナ……」


「ササも水上さんも心配してくれるのは分かるし、はっきり言って唯依が相手をしょっちゅう替えてきたことも知ってる。でも、これからはワタシだけにしてくれるって言うから、今はそれを信じようと思ってるんだ」


「七海しかもういらないから」


目の前の二人はどう見ても恋人にしか見えなくて、それでも信じがたさはあったけど、事実として認めるしかないだろう。


唯依にとってナナは全くタイプじゃない存在のはずだし、ナナにとっても唯依は好みの真逆のような存在のはずだった。それでもつき合い始めたというのであれば、ただの興味本位以外のものがあるのかもしれない。

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