第13話 再会
仕事で篠野との繋がりもなくなって、私に残されたのはまた仕事だけの日々だった。あまりの日常の潤いのなさにストレス発散の目的で私はその日バーに足を向けた。
「久しぶりですね、水上さん」
そう声を掛けて来たのは、以前篠野経由で知り合ったナナだった。
篠野には偶然でも会いたくなくて別の店を選んだにも関わらず、ナナがいたことに驚きを示す。
「どこにでもいるね、ナナちゃんって」
「常に出会いを求めてますから」
「ナナちゃんって可愛いから恋人を簡単に見つけられそうなんだけど」
ボブカットで人なつっこさのあるナナは、所作が可愛くて唯依とは違う魅力がある。バーで声を掛けられることが多くても、自分のタイプについては意思表示を明確にしていて、その条件に填まる相手としかつき合わないと篠野から以前聞いていた。
「それがなかなか難しいんですよ。30代後半で、大人の余裕があって、エッチも上手くて、それでいてワタシを束縛しない人じゃないと駄目なんです。水上さんがもうちょっと年を取っていたらスコープに入るんですけど」
それに私は乾いた笑いを返す。
なかなかのぶれなさが心地よい。
「大人の余裕はゼロかな、私は」
「じゃあエッチは上手なんですね」
「不満を持たれたことはないと思ってるよ」
「言いますね~」
「それだけで繋ぎ止められればいいんだけどね」
「水上さんは若い子がいいんでしたっけ?」
「可愛い子ならそこまで拘りがないけど、前の彼女は8つ下だったのは確かだね」
「じゃあそういう子を狙っているなら、あまり話しかけない方がいいですね」
「そんなことないよ。こんな所に来てだけど、別に声を掛ける気はないから。今日はただ呑みたかっただけ。ここに来たのは普通のバーに行くとそれはそれで面倒だから、かな」
女性に声を掛けられてその場だけの会話をするのはまだしも、男性にプライベートで声を掛けられても私はストレスにしかならない。
一夜限りの出会いを期待してではないけど、どうせなら癒されるような存在と飲みたいのは自然な欲求だった。
「最近ササも見かけないから、つきあい始めたのかなって思ってました」
「むしろ逆かな。部屋が見つかったって出て行っちゃったし、仕事でも会うこともなくなったから、最近は全然会ってないんだ」
「ササは好みじゃなかったですか?」
「難しいこと聞くなぁ」
「って言うってことは、少しはササのこと気になっていたんですね、水上さん」
「気にはなっていたけど、私のことを無邪気に先輩だって思ってるって言う存在に、そんなこと言えないでしょう」
「へぇー、ササがそんなこと言ったんだ」
「それに前の恋の終わり方に苦しんでいそうだしね」
「ですね。まあ、ちょっとササのことを理解するには、人間ができてなかったと思うので、仕方ない気はします」
「知ってるの? 前の恋人」
「知ってますよ。ワタシの妹なので」
その言葉には流石に私は驚く。篠野はナナのことをバーで知り合った友達だと紹介してくれたけど、それ以上の繋がりがあったということだ。
「ササは知りませんから黙っていてくださいね。あまり似てない妹なんです。でも、姉妹揃ってビアンなんて親にはどんな業を背負ったんだって思われると思いますけど」
「まあ、そういうこともあるよね。何言われても治るものでもないし」
「ですよね。妹はササよりも1歳下で、バーにまだ慣れていない頃のササを熱心に口説いて、つきあい始めたみたいです。お互いの部屋を行き来して、かなりべたべたに仲が良く見えていたんですけど、妹はササが心を許してくれてないって不満があったみたいで、それがきっかけで別れてます」
「自分を表現するのが下手なところあるからね」
「そうなんですよ、それを分かってあげられないとササとは上手く行かないんだろうなって思っています」
「ナナちゃんはもしかして、失恋したササを慰めるためにササと仲良くなったの?」
バレちゃいましたか、とへらへら笑う姿は、本当に優しい存在であることを示している。
「ありがとう。多分、ササはナナちゃんにいっぱい救われてると思う」
「水上さんならササを任せられるんじゃないかなって、ちょっと思っていたんですけどね」
「…………買いかぶりすぎだよ。私は臆病だからね」
「しょうがないなぁ。じゃあ、呑みましょうか、今日は」
ほっぺたを舐められる気配に私は目を覚ます。
ほっぺたを舐められるなんてどんな状況だと思ったけれど、目を開けるとそこにいたのは黒猫だった。
「ルナ?」
私が唯一知る黒猫の名前はそれで、名を呼ぶと頬を擦りつけてくる。
「覚えてくれたんだ」
ルナとの時間を満喫しているうちに、ルナがいるのであればここは間違いなく篠野の部屋だろうと思い至る。そこに辿りつくまでの記憶はないものの、そうとしか考えられなかった。
「目が覚めましたか?」
「……ごめんなさい」
状況は分からないなりに、篠野に迷惑を掛けたのは間違いのない事実なので謝りを口にする。
「最近抑えてるって言ってませんでしたっけ?」
「はい。言ってました。ちょっとナナちゃんに飲まされて……」
それに篠野は溜息を吐く。
「わたしはともかくとして、水上さんはナナのターゲットになってもおかしくないですからね」
「もうちょっと年上がナナちゃんの好みなんじゃないの? 私に大人の余裕なんてないよ?」
それに篠野のくすくすと笑う声が届いて、私は上半身を起こす。頭の片隅に二日酔いらしき痛みはあったものの、何とか身は起こせた。
「完全にナナちゃんに面白がられてるだけだと思ってるけど」
「自覚はあるんですね」
「あります。ごめんなさい、迷惑を掛けてしまって」
「夜中に急にナナが引き取ってて押しかけてきて、ここに寝転がしていただけなので、大したことはしてません。むしろルナが心配してたくらいで」
「ルナ、ありがとう」
傍でぐるぐるしているルナの頭を私は撫でてやる。思っていたよりも元気そうで安心する。
「ルナ、水上さんにはすごく懐いているんですよね」
「そうかな。昔、猫を飼っていたことがあるからなんじゃないかな?」
「それでもナナが来た時なんか全然無視だし、前の恋人に至っては威嚇してましたから」
「そうなんだ。気まぐれなんだね、ルナは」
膝に抱き上げるとルナは大人しくそこに収まってくれる。
「篠野さんが出て行った後、ルナにも触れられなくなったから、ちょっと猫を飼おうか本気で悩んだりしたんだよね」
「でも飼わなかったんですよね?」
「自分が淋しさを埋める為に欲しているような気がしたから。欲しいものの代替にしようなんて人間の勝手な都合で、猫のことを考えてないなって思って止めたんだ」
「そういうところ、水上さんは真面目ですよね。猫にとっては飼って可愛がってくれれば何だっていいのに」
「じゃあ、私が猫を飼って、ササって名前をつけて可愛がってもいい?」
「えっ?」
「可愛い呼び名だなって、気に入ってるんだ」
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