第11話 先輩と後輩
本番リリースが済んだ後、篠野に引き継ぎまでを済ませるとプロジェクトは解散になって、私は自社に戻ることになっていた。
元々自社での持ち帰り案件を私は担当することが多くて、また新たな案件に携わることになる。次の顧客は今とは別の顧客だと聞いているので、篠野に職場で会うのはそれで最後だろう。
一緒に住んでいなくても職場では会えていたのが、会えなくなれば、もう関係は途切れて行くだけだとは分かっていたものの、踏み出す勇気が私にはなかった。
それでも最後くらいは二人で飲みたいと、チーム内での打ち上げとは別に篠野を飲みに誘って、OKを貰うことはできた。
「水上さんが同じ会社なら良かったのになって思います。わたしにとって先輩らしい先輩が今までいなかったので、水上さんが先輩のイメージがなんかついちゃってて、もう会えなくなるの淋しいです」
二人で会うと、自然と一緒に住んでいた頃に戻れた気がするから不思議だった。向かいに篠野がいて、何気ない会話をする。あの頃は日常だったのに、今はもうそこに戻ることはできない。
「それはありがとう。飲み過ぎて醜態をさらすしかしてない気がするんだけど、私」
私は篠野に信頼される存在には、なりえたのではないかとは自負している。だからこそ、なかなかその信頼を裏切って告白する勇気がずっと出ない。
こんな風に向かい合っていても、可愛いとか、癒されたいとか私が考えているなんて篠野は気づいてもいないだろう。
「最近は何かしでかしました?」
「ちょっとは抑えてます」
「それがいいと思います」
「お酒飲むのは楽しいんだけどね」
「水上さんって、そういう所危なっかしいですよね。脇が甘いというか」
「そうかな。でも、私は周りからは面倒くさがられてるし、飲んだ時くらいは口うるさくない方がいいかなって、楽しくしていようって思うと飲み過ぎちゃうんだよね」
「水上さんは仕事では、間違ったことは言ってないと思ってます。適当に仕事する方が悪いんです」
「みんな篠野さんみたいに真剣に仕事に向かってくれたらいいんだけどね」
性格もあるけど、篠野は安心して仕事を任せられる存在だ。自分で分からなくても、分からないなりに努力するから篠野は今後も上手く行けば伸びて行けるだろう。
「わたしはただ必死なだけです。何もできないので」
「そんなことないと思うよ。篠野さんは保守をこれからもやって行くつもり?」
「上が決めることなので、それ次第でしょうか」
「篠野さんらしい答えだけど、もっと欲張ってもいいんじゃない? 他のことにチャレンジする機会が欲しいとか、言ってみるのは悪い事じゃないよ」
「そんなこと、考えてもなかったです」
「欲薄そうだよね、篠野さんって」
「よく言われます。平凡に暮らして行ければそれでいいかなと思っているので」
「篠野さんって恋愛をしてても飄々としてそう」
口を噤んだ篠野に、流石に失言だったかと謝りを口にする。
「前に別れた恋人にそんなことを言われたなって思い出しただけです。何を考えてるか判らないって」
失礼だとは思ったけど、その言葉に吹き出してしまった。どうやら篠野は恋人に対しても同じような態度ということだろう。
「何、受けてるんですか、水上さん」
「ぽいなと思ってね。素直になればいいのに」
「他人に心を全部見せるのって無理じゃないですか? その開き方がわたしは上手くないんだろうっていうのは分かってますけど……水上さんは、むしろ隠さなさすぎな気がします」
「よく言われる。でも、嘘を吐きたくないからできる限りオープンにしても、向こうがオープンにしてくれるとは限らないんだよね」
「結局縒りは戻さなかったんですか?」
「唯依のこと? 忘れてたな。あの後ちゃんと断ってそれっきりだよ?」
「わたしがいなかったら縒りを戻してましたよね?」
「そうかもね。でも、同じことを繰り返しただけな気はしてるから、別に篠野さんが気にする必要はないよ。多分唯依は恋をすることに本気で、私は恋人と向き合うことに本気だっただけなんだろうなって今では思ってるから」
「新しい恋人はまだいないんですか?」
「いません。気になってる人はいるんだけど、体の関係があるわけでもなく、今はただの知り合いとか友達レベルでしかないよ」
「なんか、また引き悪そうな気がしますけど、大丈夫ですか?」
目の前にいるあなただと言えば篠野はどういう顔をするのだろうか。多分自分がそんな対象になっていることすら考えてないだろう。
「ひどいなぁ。そういう篠野さんは?」
「わたしは今はちょっといいかなって思っています。ルナとの時間を大事にしたいので」
「そっかぁ。人によってはたかが猫だって言うかもしれないけど、ずっと一緒に暮らしてきた家族には違いないからね」
「ルナってわたしに似てるんです。捨て猫で飼い主募集をしている中で、他の兄弟たちは早々に飼い主が決まったのに、ルナだけ人を寄せ付けなくて、なかなかもらい手が決まらなかったんです。わたしはどうしてもそれを放っておけなくて、猫嫌いの親を説得してルナを引き取りました。でもわたしに慣れてくれるのにも3ヶ月掛かりました」
「だから篠野さんは一人暮らしをしてもルナを連れて出たんだ」
「はい。わたしの責任なので」
「篠野さん、誰かに頼りたいとか、泣きたい時があったらまた連絡くれたらいいよ。篠野さんがルナと一緒なんだとしたら人に甘えるのも苦手だよね? その時に甘えられる存在がいるならいいけど、誰もいなくて一人で泣いてるくらいなら私に連絡して。少しくらいなら支えになるから」
「水上さん、有り難うございます」
告白をする勇気が私にはなかった。それでも、支えになりたいという想いはあった。
そういう所が自分の恋愛に不器用なところだとはわかっていたけど、もう性分なのでどうしようもないなとは諦めはついていた。
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