第9話 お誘い
一緒にバーに行かないかと篠野に誘われたのは、唯依の襲撃があってから少ししてからのことだった。
「水上さんは新しい出会いを求めに行くべきです」
そう力説する篠野に乾いた笑いを返しながらも、久しぶりに気分転換がてら飲みに行くのもいいかと、篠野の誘いに乗ることにした。
「わたしには気にせず、気になった人がいたら、そっちに行ってくれたらいいですからね」
コンタクトの篠野は隣を歩きながら、あくまで一緒に行くだけであることを協調する。
何でこんなことになったんだろうと思いながらも、おしゃれをした篠野と出かけられるのは素直に嬉しかった。
ほんと、私は可愛いものに弱い。
「聞きそびれてたけど、前にバーで一回会ったことあるよね? あまりちゃんと覚えてないけど」
「水上さんから声を掛けられて、ちょっと話をしました。まさか、あの時は同業者だとは思ってなかったですけど」
「篠野さんっていつから自覚したの?」
篠野とバーで会ったのは唯依とつきあい始めるよりも前のことで、少なくとも2年は経っているだろう。そうなると篠野は社会人になるかならないかくらいの頃だったはずだと、そんなことを聞く。
「高校生の頃です。水上さんは?」
「私は大学入ってからかな。上手く行った恋よりも上手く行かなかった恋の方が多くて、他の道があれば良かったのになって最近はちょっと思ってる」
「男性とを考えてるってことですか?」
「……それは無理。私は男に抱かれるくらいなら死ぬ方がマシな方だから」
寒気がして、結局自分は根っからなんだと感じる。篠野も同意をしてくれて、案外自分たちは似たものなのかもしれない。
「篠野さんって、プライベートで出かける時以外は地味な格好してるのって何か理由があるの? コンタクトは疲れるからなのはわかるけど」
「男性に好意を持たれるのが面倒だからでしょうか」
「なるほど。ちょっと勿体ないなとは思ってたけど、それなら仕方ないか」
男性の多い職場では、少しでも可愛ければ声を掛けられる機会もそれに比例して増える。それを防ぐためにわざと地味な格好をしているということだろう。
「勿体ないですか?」
「私が可愛い女の子が好きだからかな」
「じゃあ、水上さんの前では極力そんな格好しません。襲われそうですし」
「ひどいなぁ。そんなにけだものじゃないよ、私は」
いつの間にか篠野はそんな軽口を叩ける存在になっていた。
バーでは篠野の呑み友達のナナという女性と三人で話をしつつ、篠野が席を外したタイミングでナナに篠野とのことを改めて尋ねられる。
「ササとは本当に何もないんですか?」
バーでの篠野は名字の前二文字だけをとって、ササと呼ばれているらしい。
「最近ビアンだってことを知ったくらいだからね」
「でも、そういう気はないってことですか?」
「そういう気があるもないも恋人いるんじゃないの?」
「ササに? 今はいないと思いますけど」
「知らないだけじゃなくて? 時々外泊してるから、いるのかなって思っていたんだけど」
「それ、うちに泊まってる時かも。ここで会ったら、よくうちで飲み直そうになって、朝までだらだら呑んでいたりするんです」
「そうなんだ……」
篠野には恋人がいない、その情報は少し嬉しさがあった。
「恋人がいないなら気になります?」
「簡単には答えられないかな。仕事でのつきあいもあるし、いろいろ考えちゃうから」
そんな話をしていたところに篠野が戻ってきて、何の話をしていたかを探りを入れられる。
「うちで酔っ払った時のササの話」
「寝るだけじゃない」
ナナの家で呑んでいた情報も、嘘ではないことがその発言で分かる。篠野は何となく友人と朝まで飲むようなことをしないタイプに見えていたけど、内に籠もる性格でマイノリティであることを考えたら、たまにはそういう羽目を外したい時があってもおかしくはない。
「酔って寝たら何しても起きないんですよって話をしてたの。裸にしても全然気づかなかったんだから」
「水上さん、わたしとナナは何もないですからね。そもそもナナとは好みが違うので、単なる友達でしかないです。脱がされたのもナナの悪戯なだけで」
「水上さん、ササって着やせする方なんですよ」
「そうなんだ」
何となく私は家でのルームウェアの篠野を頭に浮かべる。胸の膨らみくらいは分かるものの、大きめのものを着ていることが多くて、どのくらいのものかは視認できていない。
着やせすると言われるとちょっと期待してしまう。
「て、ことできっと体の方も満足いただけると思うので、どうでしょう?」
「ナナ!」
声を荒げた篠野は珍しくて、大丈夫だからと私は笑いながらも篠野を落ち着かせる。
「ワタシなりにササに合いそうな人がいないか真剣に考えてるんだけどな。ササってガード固いから、つきあい始めるまでが結構大変でしょう?」
「たしかに、ぱっと見はそうだよね。話し始めたら印象変わるタイプなんだけど」
「ですよね?」
「別にナナにも水上さんにも心配して頂かなくても大丈夫です。わたしはわたしで好きにするだけなので」
機嫌を損ねてしまったらしいとわかり、楽しく呑もうと本来の目的を忘れてその夜は三人で盛り上がっていた。
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