第3話 些細な喧嘩

はあっと本日何度目かの溜息を私は吐く。


無駄に何度もスマートフォンを見て、それでも何も通知がないことに気づいて溜息をまた吐く。


唯依と喧嘩をしたのは3日前のことだった。


今までにも喧嘩をしたことはあって、その時は数日口をきかなかったものの仲直りをしたので、今回もそこまでは深くは考えていなかった。でも、喧嘩してそのまま出て行ってから3日間唯依は帰ってきていなかった。


「何かあったんですか?」


そう篠野に声を掛けられたのは、篠野にも参加を依頼していた顧客との打ち合わせの後だった。


「えっ?」


「今日はいつもと雰囲気が違うので、体調でも悪いんですか?」


男性はそういうところ鈍感だけど、さすがに女性はよく気がつく。いつも通りにしていたつもりだったけど、やっぱり外に出てしまっていたらしいと反省をする。


「体調は大丈夫だけど……ちょっとプライベートで喧嘩しててね」


「恋人とってことですよね?」


「そう。年が離れてると向こうが何を考えてるのか、全く想像つかなくってね」


「いくつ離れてるんですか?」


「8つ」


「三十代後半くらいの人なんですね」


「えっ!?」


「違うんですか?」


普通に考えれば年上を想像するか、と思いながらもマイナスする方だと訂正を出す。


「…………随分若い人とつきあってるんですね」


「成人はしてるからね」


「でも、新人と変わらないくらいの年頃ってことですよね? つき合えます?」


篠野に蔑視されていそうな気がしながらも、わたしはつき合ってますと、続ける。好きになったら、そんなのもうどうでも良くなるなんて、我が儘な大人の言い分だろうか。


「学生ですか?」


「専門学校卒だからもう社会人にはなってる」


「そんな人と、どこで知り合うんですか?」


興味本位で篠野に聞かれた質問には、流石に正直に答えを返すことはできなかった。わたしの恋人が女性であることも篠野は知らないはずなので、若い男の子を大人のずるさで騙してつき合っている、と思われているかもしれないとは思いつつ、真実を告げるよりもましだろう。


「それは内緒」


「相手の人は水上さんに対して、どんな感じなんですか?」


真面目に相談に乗ってくれる気があるのか篠野からの質問が更に飛んでくる。 


「ちょっと我が儘なところもあるけど、基本的に私には優しいし、一緒に住むのもそこまでストレスは感じてなかったはず」


「向こうがストレスを感じていた可能性もあるんじゃないですか? 若いと体とか、いろいろ要求も違うとは思うので」


「どうだろ。私的にはそこそこ充実はしていたけどって、何で篠野さんにそこまで言わないといけないの」


「悩んでいそうだったので」


さらっと言う篠野は、私よりも年下なのに飄々としていて可愛くない。もう少し普通は恥じらいがある年頃のはずなのに、それだけ経験があるということなのだろうかと勘ぐってしまう。


「喧嘩した理由はそれじゃないから」


「そうなんですね」


「でも、喧嘩してから帰ってきてくれないんだ。実家がそこまで離れてないから実家に帰ってるだけかもしれないけど、こっちから連絡するのも違うなって思って連絡できなくってね」


「喧嘩の原因は向こうにあるってことですか?」


「まあそうかな」


「喧嘩の内容は詳しくは分かりませんけど、そういうのって年の差関係ないんじゃないですか? 年上だからとか向こうが悪いからとかに拘る方が上手く行かないような気がします」


「……そうかもね」


「長引かせたくないなら自分が謝るのが一番早道かもしれませんよ」


なんとなく篠野の過去の経験なのかもしれないと思いつつ、私は肯きを返していた。





それから更に2日悩んで私は唯依に謝りのメッセージを送ったものの、唯依からの応答はないままだった。


その唯依が帰ってきたのが週末で、前振りなしの「出て行くから」という言葉に衝撃を受ける。


「まだ怒ってるの?」


「それはもうどうでもいいかな。ただ、他に好きな人ができたんだ。真凪のことが嫌いになったわけじゃないけど、それ以上に気になる人ができて、もうしちゃった」


唯依がもてることは分かっていた。自分よりも魅力ある存在なんかいくらでもいるので、自分に繋ぎ止めておけるのかという不安は前からあった。それがこのタイミングで重なったということは、やっぱり喧嘩したことがきっかけになってしまった可能性が高い気がしていた。


「本気で好きになったってことなの?」


「うん。ごめん」


立っている気力もなくて、手近なイスに座って私は顔を覆う。


そんな一方的な通知には頷くこともできなくて、それでもどう引き留めればよいかも浮かばなかった。


「真凪との生活は楽しかったよ」


「それでも出て行くんでしょう?」


「だって、どっちもとはつき合えないから」


二股でつき合われないだけまだいい方なのかもしれないけど、唯依にとっては私の方が魅力がないから私と別れる選択をしたということだった。


「もし、その人と別れた時に私のことを少しでも思い出すんだったら声を掛けて……ごめん、諦め悪いね」


「真凪らしいなって思うよ。これから先どうなるかはわからないから、何も約束できないけど」


それに私は小さく肯きを返すだけしかできなかった。


どうして喧嘩なんかしてしまったんだろうと過去の自分を責めても、もう唯依の心は戻って来ない。唯依との別れは私の心に大きな穴を残していた。

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