第16話 罪人
テセウスは暗闇を凝視した。手元の松明の明かりでははっきりと分からないが、兵士らしき者がこちらを向いているようだ。輪郭だけがぼんやりと影として見える。声が、聞こえた。
「し、し、
細く語りかけるような声色である。テセウス、アリンダ、ウィシュターは顔を見合わせた。
「漆胡瓶を持っているんだろう?出せよ…」
再び声がする。
「そんなものはない!お前何者だ!」
ウィシュターが威嚇するように強く言った。
「……」
暗闇に沈黙が訪れた。ウィシュターは反応がない相手に首を傾げた。
その時、テセウスが急にウィシュターの腰を勢いよく押した。そのためウィシュターはよろめいた。
「うわ!何をする!」
―ッスドゥン!
叫んだと同時にウィシュターの背後の壁に矢が突き刺さった。テセウスが押さなければ、彼の頭があった位置だろう。ウィシュターとアリンダは驚愕した。
「これは!奴が放ったのか!?」
「シッ!静かに!また音が聞こえる」
テセウスが小声で言う。静寂の中に微かだが、注意を払えば弓音がキリキリと聞こえた。テセウスは持っていた予備の松明に火をつけ、弓音のする暗闇へ投げた。
カラン!と松明が床に落ちる。薄明かりに浮かび上がったのは、今にも矢を放たんと弓を引くレザーアーマーを着た兵士の姿だった。
「2人とも!避けてっ!」
―ッスドゥン!
また矢が壁に突き刺さった。テセウス達は体勢を低くして何とかかわした。
「奴め!ジャハールの手下か?蹴散らしてくれる!」
ウィシュターが立ち上がり、剣"アキナケス"を抜いて駆け出した。
しかし、レザーアーマーの兵士は弓をウィシュターの足めがけて連射する。
―ッスドゥン!スドゥン!
危うく足を射抜かれそうになり、ウィシュターは後ろへ下がった。
「くそ!近づけない…!!」
すると今度はアリンダがクロスボウを構えた。
「そっちが弓矢ならあたしが相手になるわ!」
そう言ってクロスボウを打った。しかしそれは空中で止められた。
―ッバチ!
「!?」
テセウス達は我が目を疑った。なんとアリンダの打った矢を、レザーアーマーの兵士も弓を放ち、命中させて射止めたのだ。2人の矢は互いに裂けて地面に落ちた。
「凄い…」
あまりの達人芸にテセウスは感心してしまった。しかしその間にも兵士は背の矢立てから矢を掴み、再び弓を引こうとしている。するとウィシュターが叫んだ。
「お前!なぜ私達を狙う!何者だ!?」
その声に兵士が反応した。兵士は手を止めてテセウス達を見た。その顔は頬がこけて、やや生気に欠けて見える。
「お、俺はジャハール様の部下…レイオスだ…。兄貴から…言われてる。し、侵入者が来たら漆胡瓶を奪え…さ、さもなくば、こ、殺せ!と…」
弱々しい声が響く。
「レイオスだと、まさかお前!投獄されていた罪人ではないか!」
ウィシュターが応じた。
ジャハールがペルシアに訪れる以前、ファールスには監獄があった。そこに2人の重罪人が投獄されていたのだ。その2人は兄弟で、街の貴族の財産を繰り返し盗んだ。盗むためには貴族やその家族、家来を殺すことも
貴族達は国へ依頼して自身へ護衛をつけてもらったり、またその兄弟を捕らえるために兵を出動してもらった。しかし、簡単には終わらなかった。その兄弟は戦闘において抜きんでた技術を持っていたのだ。兄のライデルはペルシアの選りすぐりの戦士達を持ってしても敵わない剣の才能があった。そして弟のレイオスは史上稀にみる弓の名手であり、動いている者、遠くの者関係なく射殺すことが出来た。
接近戦ではライデルが、遠距離ではレイオスがその力を発揮したため数名程度の1連隊では歯が立たず、やむなく国は100名を超える兵からなる1旅団を2人の討伐に出動させた。激突の末、ファールス郊外の断崖で2人を追い詰め生捕りにしたのだった。
その後2人は投獄されたが、本来ならば死罪になるところを国が"戦闘における最良の研究材料"と位置づけ、軍事訓練や人体実験の標的として利用してきたのだった。
その最中でジャハールの侵略があったのである。牢獄も1夜にして火炎に飲まれ跡形もない。人々は皆、投獄されていた罪人達は焼死したものと決め込んでいた。しかし、である。
…
崩れた瓦礫を背にヴァロ、ソーマ、ベルクセス王は同じ方向を睨んでいる。その先にはレザーアーマーを着た巨漢の兵士がまるで建材として使われる板の様に分厚く太い大剣を下段に構えていた。
「おんし、牢獄のライデルだな…なぜここにいる?戦火の夜に死んだと聞いていたが…」
ベルクセス王が訪ねる。野太く唸る様な声が返ってきた。
「救って下さったのだ!ジャハール様が!!牢獄から解放して頂いた!私も、弟もな!」
そう言うと、ライデルと呼ばれる巨漢は剣を振り上げ駆け出してきた。
「お前がベルクセス王だな!運の尽きだ!漆胡瓶を頂くぞぉ!!」
すぐさまヴァロはブロードソードを、ソーマは狩猟用の短刀を抜き、ベルクセス王を庇う様に前に出た。
神殿の壁に掛けられた松明の火は、彼らの影を不気味に長く形造っている。それは揺らぎと共に形なき物の様に湾曲し、闇に溶けていった。
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