第14話 陣営

 北西に広がる荒野の彼方に山岳が横たわっている。その静かな稜線りょうせんに太陽が落ちようとしていた。

 石積みの階段を登った高台から、その落陽を見つめる男がいる。ターバンを巻きマントを羽織る背中に向かい、何者かが声をかけた。


「ジャハール様。これから冷えて参ります。お体に触りますゆえ、どうぞ神殿の屋内へ」


 慇懃いんぎんに話しかけるその者は態度こそ謙譲を示しているが、胸板が厚く背丈、肩幅ともに大柄で、屈強というよりも威圧的な骨格を見せつけていた。背には大きな剣を携えている。


「ライデルか。漆胡瓶は見つかったのか?」

 ジャハールは振り向かずに言う。

「申し訳ありませんジャハール様。まだ見つからぬ模様、今しがたお待ちください」

「ベルクセスは?」

「それも、兵士・市民を問わず総動員で捜索しております。見つけ次第すぐに生捕りにしますので、今しがた…」


「その台詞は聞き飽きたぞ!!」


 ジャハールは振り向きライデルと呼ばれるその大柄の男に向かい吐き捨てた。瞳は朱色に染まっている。


「いつまで待たせるのだ!もう3ヶ月になるぞ!ベルクセスが漆胡瓶とともに雲隠れしてからな!」

「おっしゃる通りです。本当に不甲斐なく申し訳ありません」

 ライデルは跪いた。ジャハールは畳み掛ける。

「兵士・市民を総動員しているなら、なぜ見つけられないのだ?」

「それは…」


 ライデルは心当たりがあるようだが、留まった。


「どうした。言え。我が身に落ち度があることとしても貴様を咎めることはない」

「恐らく市民に反乱分子がいると思われます」

 ライデルは意を決して述べた。

「反乱分子…?」

「はい。ベルクセスの情報を探しに市民を尋問をさせておりますが全く手掛かりが掴めないというのは不可解です」

「市民が何か隠していると?または兵士がか?」

「その両方かと」

 ジャハールは怪訝な表情を浮かべた。ライデルが続ける。

「ここ最近、拷問や処刑による死者が減少しています。これは私の推測ですが、兵士と市民が結託しているように思われるのです。両者ともに元はベルクセスの配下の国民。いかにジャハール様のお力が強大であっても、心まで支配することは難儀です」


 ライデルが言ったことは的外れではない。ジャハールがペルシアを侵略して以来、ペルシアの人々は服従を強いられている。しかしそれは独裁的統治に他ならない。人々は圧倒的な暴力の前に"従順な下僕のふり"をする生活に順応し始めていた。

 ライデルはさらに言う。

「またこれは真偽は分かりませぬが、ベルクセスは我々に反撃する機会を伺い、力を蓄え潜んでいるという噂があります」

「反撃だと?」

「先ほどホズが殺された村に調査に行って参りましたが、ホズ殺した者達の行方を知る者がおりませんでした。そこでその村の者を片っ端から拷問にかけたところ、そのようなことを吐いた者がおりました」

「して、ホズを殺した者やベルクセスはどこにおるのだ」

「それは誰に拷問をしても"村長しか知らない"の一点張りで、そのまま絶命しました。また当の村長はどこかへ逐電ちくでんしたようなのです」


 太陽は今まさに尾根の中に沈もうとしている。ジャハールは落陽の最後へ向けて再び一瞥をやった。ふと、笑う。

「いいだろう。向こうから討って出てくるなら好都合だ。探す手間が省ける」

「しかし敵はホズを倒す程の剣士を味方につけている可能性がありますが…」

「貴様、我を誰だと思っている?」

 ジャハールは再び振り向き言った。さらに語気を強めて言う。


「我こそは炎の神。神にいかなる人間が敵うものか!」


 ジャハールの瞳は夕日よりも朱く染まっている。ライデルはかしづいた。

「は!恐れ入りました!」

「ライデル。敵を迎え撃つ準備を怠るな!ここでこそ我の恩義に報いてみよ」

 ライデルも力強く立ち上がり声高に言う。

「御意!本件、弟のレイオスにも伝え、万全を期します。私の剣と弟の弓に敵う人間はおりません!」

 その応答にジャハールも満足したようで不敵な笑みを浮かべた。

「よし!頼んだぞ。必ずや攻め込んできたベルクセスを捕らえ、漆胡瓶を手に入れるのだ!」

「は!必ず!」

 そう言ってライデルはすぐに階段を駆け下りて行った。それを見届けてからジャハールは呟いた。

「漆胡瓶は必ず手に入れる。必ず!…必ず!」


 陽は既に落ち、空は紺色から漆黒へと変わろうとしていた。冷涼な空気が地の果てから迫ってくる。以前としてジャハールは高台から見下ろしている。

 その頭上にはうっすらと、天の川が煌めき始めていた。

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