第5話 「お風呂あがりはいちご牛乳!」

ゆっくりと開かれた扉の先はもちろん玄関だが、白をベースとした落ち着いた雰囲気の玄関で、大きな姿見が壁に掛かっている。

置物などはいっさい置かれていないので、シンプルだがセンスのよさを感じる。


玄関の両サイドにある靴置きには、様々な種類の靴がたくさん並べられているが、綺麗に並べられている靴の中に、一足の汚いスニーカーが無造作に転がっているのが目を引く。


「あら、真美ちゃんが帰ってきてるのね。」

桜子はそう言いながら、スニーカーを綺麗に揃えた。

「どうぞ中に入って。」 スニーカーを揃えた桜子が倫子を促している間に、まさみちゃんは靴を脱いで綺麗に揃えると、家の中にパタパタと入って行った。

「お邪魔します。」

倫子もそう言って靴を脱ぐと、靴を綺麗に揃えてから桜子に続いて、家の中へと入っていった。

「ここが共有のリビングよ。」

桜子がドアを開けながら言った。


リビングに足を踏み入れた倫子は、ゆっくりと辺りを見回す。 リビングはフローリングの広い造りになっており、20畳はあるだろう。 隣にはキッチンが見えるが、こちらもかなり広そうだ。

壁には80インチはある、大画面のTVが掛けられており、その前には大きなテーブルがある。 そのテーブルの三方を囲うように、フカフカで柔らかそうな黄色のソファーが置いてある。


ソファーの上におさるやクマ、ウサギなどのぬいぐるみが置いてあるのが、いかにも女子っぽい。

ただ、サングラスをかけたコックさんみたいな、ぶたさんのぬいぐるみがあるのが少し気になる。

「広いリビングですね。」

倫子は辺りを見回しながら、桜子に尋ねた。

「寮には今、10人の入居者がいるの。これでも狭いくらいなのよ。」

「そんなにおられるのですか。」

「うちのお店、結構大きいでしょう。それに24時間営業の3交代のシフト制だから、これでも人手が足りないくらいなの。」

「忙しいんですねぇ。」

「ありがたいことなんだけどね。」

二人がそんな話をしていると、リビングの奥のドアの向こうから、話し声が聞こえた。


「またそんな格好でうろついて。おじさんじゃあるまいし。」

「別にいいじゃない。お風呂あがりにはこれが一番よ。」

「誰かに見られたらどうするのよ?」

「べっつに~。男だったら、思いっきりふっかけてやるのに。」

「もう!」

と言う話し声が聞こえてきた。

と同時にドアが開き、二人の女の子がリビングに入ってくる。

二人は倫子を見て、一瞬、キョトンとした表情を見せた。

一人は、部屋着と思われるラフな格好に、眼鏡をかけたショートカットが似合う可愛らしい女の子だ。


しかし、もう一人の女の子を見て、倫子は驚いた。

頭にタオルを巻き、首から長めのタオルをたらしているので胸は隠れているが、あとは青と白の縞柄のぱんつしか履いていないではないか。

右手には今どき、瓶のいちご牛乳を持っているので、100%間違いなく、湯上がり女子だろう。

倫子は湯上がり女子と目が合った。

「あら?見かけない顔ね。新しいアルバイトの人?」

湯上がり女子は、いちご牛乳を飲みながら倫子に尋ねた。

「私は神楽坂…。」

倫子がそこまで話すと

「あー!やっぱりお風呂上がりにはこれよね!メロンもいいけど!ん?やっぱりメロンよりいちごね。」

湯上がり女子は、自分から質問しておいて、人の話を聞かないらしい。

「ごめんなさい。この子ったら、いつも人の話を聞かなくて困っているの。」

眼鏡女子が間髪を入れずに言った。

「い、いえいえ!」

倫子は右手を激しく左右に振る。

「桜子さん。この子は誰?新しいアルバイトなの?」

湯上がり女子が、桜子の顔を見た。 「それじゃあ、自己紹介してもらいましょうか。」 桜子に促され、倫子は姿勢を正すと言った。

「か、神楽坂倫子です。よろしくお願いします。」

そう言って倫子が頭を下げる。 「私は青山真美。」

湯上がり女子が、頭に巻いたタオルを外しながらそう言った。 長くて艶やかな黒髪が宙を舞う。

「渋谷真奈美です。よろしくね。」

眼鏡女子がそう言って倫子に微笑んだ。 「ここのバイトは結構きついわよ~。」

そう言って、真美はニヤリと笑った。

「まだアルバイトをすると決まった訳じゃないのよ。」

「え?」

「え?」

真美と真奈美は不思議そうだ。

「神楽坂さんは大学進学で今日、島に来たのだけれど、さっきの騒ぎで入居予定のアパートが壊されちゃってね。」

「ぶっ!」

真美は瓶を口に当てたまま、口の中のいちご牛乳を吹き出した。

「えぇ!」

真奈美もびっくりしている。

「へ、へえ~。そうなんだ…。」

真美は手に持ったタオルで慌てて床を拭くが、なぜか非常に慌てている。

「アルバイトするはずだった、岡田屋さんも潰されちゃってね。週末でホテルも満室だし、しばらくはうちに泊まってもらう事にしたの。」

「そ、それは大変だわ!災難だったわねぇ。」

真美はそう言ったが、なぜか真奈美は下を向いて肩を震わせている。

「それにしても、このあたりの建物が破壊されるなんて、珍しいわねぇ…。」

桜子はそう言って首を傾げた。

「き、きっと犯人の操縦がへたっぴだったのよ!操縦ミスかなにかでころんだんじゃないの?そうよ!きっとそうに違いないわ!ねぇ、真奈美ちゃん。」

そう言って真美が真奈美のほうを見ると、真奈美は下をむいたまま、小刻みに肩を震わわせていた。

「ちょっと真奈美ちゃん!」

「そ、そうね。き、きっと操縦が…へ、下手だったのよね…。」

真奈美はそこまで言うのが精一杯で、プルプルと肩を震わわせながら、顔を上げようともしない。笑いを堪えているのは明らかだ。


『渋谷さんは何がおかしいんやろか?』

倫子にはちんぷんかんぷんだ。

「じゃ、じゃあさ、ここでバイトすればいいじゃない。ここなら家賃はタダだし、三食賄い付きよ?あんなぼろアパートより部屋も広いし、綺麗なんだから。ここも人手が足りないんだし、ちょうといいじゃない。ねぇ?桜子さん?」

『青山さんて、ええ人やなぁ…。』

真美の言葉を聞き、倫子は感動した。

「神楽坂さんには話をしたんだけど、明日、神楽坂さんのお母様が島に来られるの。その時にお母様にお話してみるわ。」

「そ、そうよ!それがいいわ。そうしましょ。いえ、そうするべきだわ!」

「青山さん…。」

倫子の目が涙で潤む。

何故、これほどまでに親身になってくれるのだろうと思うと同時に、『初めて会った私のために、こんなに真剣になってくれはるなんて。青山さんは神様みたいにやさしい人や。』と倫子は思った。


「だいたい、あんなボロアパートじゃ、ろくな防犯対策はされていないに決まってるわ。その点、この乙女座なら防犯対策はバッチリ!なんの問題もなーし。ねぇ?ハルさん。」

真美は天井に向かって言った。

「はい。なんの問題もありません。」

天井からハルさんの声が聞こえた。 「え?」

倫子は慌てて天井を見た。天井にはいくつかのスピーカーがあり、そこから声がしているようだ。

「私がいる限り、乙女座に男性は入れません。」

「さすがハルさんね。」

桜子は笑っている。

「頼りになるわぁ。」

そう言って真奈美も笑う。

『ハルさんて凄いねんなぁ。みんなとこんなに仲がええんや。』

さっきからずっと、倫子は感心しっぱなしだ。

「あら?もうこんな時間?そろそろお店に戻らなくっちゃ、アイちゃんに怒られちゃうわ。」

桜子はリビングの時計を見ながら言った。

時計の針は16時5分前を示している。

「真美ちゃん、真奈美ちゃん。神楽坂さんに寮の案内をお願い出来るかしら?お部屋にも案内してあげてね。ちゃんと服を着てからね。」

「はーい。あ、桜子さん。神楽坂さんの部屋は私の隣でいいの?」

真美が桜子に尋ねた。

「そうね。あの部屋が一番よさそうね。それじゃあ二人ともお願いね。まさみちゃん。行きましょうか。」

桜子がまさみちゃんに声をかけると、制服から洋服に着替えたまさみちゃんが、右手に手提げ鞄を持ち、桜子に向かってパタパタと駆け寄ってきた。

桜子がまさみちゃんに左手を伸ばすと、まさみちゃんは笑顔で桜子の左手をぎゅっと握り、お互いに微笑みあいながらリビングを後にした。

「神楽坂さん。しばらく真奈美ちゃんと、ここで待ってて。すぐに着替えてくるから。」

真美はそう言うと、急いでリビングを出ていった。

「慌ただしい子でしょ?いつもあんな感じなのよ。悪い子じゃないんだけどね。」

真奈美は笑いながら倫子に声をかけた。

「青山さんはすごく良い人です。」

「そう?」

「初めて会った私の事を、あれだけ親身になって心配してくれるなんて、青山さんはすごく良い人です。」

倫子がそう言うと、真奈美は急にお腹を押さえ、倒れ込むように前かがみになって、大きく体を折り曲げた。

「大丈夫ですか!」

急にお腹でも痛くなったのだろうか?もしかして盲腸?いろいろな考えが頭の中を交錯する中、倫子は慌てて真奈美に駆け寄った。


「も、もうダメ!耐えられない!」

真奈美が叫んだ。

「渋谷さん!」

倫子が慌てて、真奈美の背中をさすろうとした時

「アッハッハッハ!」

真奈美が体を大きく揺らしながら、大笑いを始めた。

「アッハッハッハ!」

「あれ?」

突然笑い出した、真奈美の行動があまりに予想外だったので、頭がついていけなかったのだろう。 倫子はキョトンとしてしまった。

真奈美はひとしきり笑い終えると、肩で大きく息をしながらゆっくりと息を整え、倫子に言った。

「神楽坂さん…。」

真奈美は慈しむような目で、倫子を見つめた。

「はい?」

倫子は不思議そうに尋ねる。

「あなたって、本当に良い人ね。」

「はぁ…。」

倫子は狐につままれたような顔になった。

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