第31話 虚無に立つ者

 リムは目の前に倒れている相手を見下ろし、違和感を覚えていた。

 先日までは名前すら思い出すことのない幼馴染だったが、ぼんやりとした記憶だけは残っている。

 足元の男は、主力として使った氷の魔法がぴったり当てはまる風貌をしていた。その冷酷な顔つきは、彼自身、鋭く尖った氷を彷彿とさせる。

 幼い頃のタバサは、いつもワタシの後を付いてきて、なんというか、タンポポの綿帽子のような頼りなさげな子供だった気がする。いくら曖昧な思い出だったとしても、昔日の面影を欠片も見いだせないなんてあるだろうか。


「…………」


 歳月は人を変える。結局こいつも、グニーエの血を受け継いでいるということだ。

 リムは、遠い日の思い出を無理やり奥深くに沈めて、自分を納得させた。

 タバサからはグニーエの情報を聞き出さなくてはならない。しかし、抗い難い衝動がリムの身体を突き抜けた。

 リムは、デュシスを倒れている男の頭部に向けた。引き鉄に掛けた指が震える。

 大きく息を吐いた。天井を仰ぎ、デュシスをホルスターに収めた。


「リム」


 ズィービッシュが戻ってきた。銃声が途切れたので、勝負が決まったと察しをつけたのだった。

 リムは、今の行動を見られてなかったかと、少しだけ気まずくなった。


「タバサは、この通り捕まえた」

「こいつが、自ら戦線に加わるとは思ってなかった」

「もう、あなたたちは自由ね」

「ああ。しかし、こいつの口から真実を聞きたい。俺たちは、こいつのいうことに望みを託したからこそ、言いなりになってたんだからな」


 リムは、ディビドに到着してからずっと抱いていた疑問をぶつけた。タバサに勝利した今なら、答えてくれると考えてのことだった。


「いったい、こいつはなにを吹き込んだの? あなたや街の人たちは、なにに怯えていたの?」

「……黄昏に沈んだ街だよ」


 ズィービッシュの一言は、リムの心臓を跳ねさせた。


「俺たちは見てないが、中庭でそれが発生していると聞かされた」

「なんのこと?」

「そして、タバサは、あれを阻止する手段を知っていると言ったんだ」

「なんの話をしているの?」

「あいつは、それを完成させるには、この遺跡のどこかにあるものが必要だと言ってた。詳しくは教えられていないが、魔法に関わるものらしい」

「だからっ、なんの話をしてるのか説明してっ」


 リムが苛立たって声を荒げた。


「説明してるじゃないか。こいつが、タバサが……」


 リムの一喝にも動じなかったズィービッシュが、突然、青ざめた。


「リム、おまえ……、誰と戦っていた?」

「?」

「タバサを捕らえたってのは、いったいなんのことだ?」

「……なにを言ってるの?」

「おまえこそ、なにを言っているんだっ? こいつはタバサじゃないっ」

「なっ?」

「こいつの名はエンリィ・チェインだ。タバサ・ハルトなんかじゃないぞっ」


 ズィービッシュが言った内容に心臓が早鐘を鳴らし、リムはさきほど感じた違和感が間違っていなかったと確信した。幼き日の面影を捉えられなかったのは、この男がタバサなどではなかったからだ。


「こいつは、タバサの信徒の一人だ」


 リムは、焦りでまとまらない思考を強引にねじ伏せ、ラルゴで経験した出来事に思い至った。

 ……こいつも、あの時のダーダーと同じで、タバサの傀儡になっていた? タバサはグニーエと同じ魔法を使えるのか?


「くっ」


 リムは、中庭目指して駆け出した。


「おいっ。一人で行くなっ。リムッ」


 ズィービッシュの声は、リムに届かなかった。リムは背後から迫る闇から逃れるように、必死に走った。

 頭の中で道順を描いたわけではないが、リムは迷わず中庭までたどり着けた。自転車の運転を一度覚えたら決して忘れないのと同じで、身体が勝手にここまで運んでくれた。

 傾きかけた太陽をまともに受け、暗闇に慣れた目が白い悲鳴を上げた。


「うっ」


 きつく閉じられたまぶたを、ゆっくりと開く。


「これは……」


 眼前の光景は、先程の死闘など忘却に押しやられる程、衝撃的だった。

 なにもなかった。所々ひび割れた大地以外、なにもない。

 草木も、人工物も、生命力にあふれた動物も。

 規模こそ比較にならないが、この光景は、幼い頃に体験した『黄昏に沈んだ街』そっくりだった。

 だから、ズィービッシュはギリギリまで隠そうとしたのだ。こんなことがよその人間に知られ、噂が蔓延してしまったら、ディビドに訪れる者などいなくなってしまう。

 街人も同じ思いだったのだろう。いつ街が消滅してしまうか分からない恐怖と、自分たちが生活している場所を守らなくてはならない焦りがせめぎ合った。

 リムたちが、ダーダー一家のことを聞き回ったのは、街人の心の拮抗を崩すには十分な行為で、襲って秘密を守ろうと短絡的な狂気に陥ったのだ。


「あ……」


 目が眩む。意識が遠くなる。体の中身がすべて引きずり出されるような、鈍い痛みを伴う記憶が甦る。

 リムは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


「……聞かされた話は本当だった」


 ズィービッシュが追いついた。ある程度の覚悟はしていたが、前もって入れていた情報は、緩衝材にはならなかった。実際に自分の目で見てしまうと、必死にしがみついていた一縷の望みさえ、音を立てて崩れていった。


「これが……、あなたが、街の人たちが、隠していた秘密……」

「ああ……。タバサは、この現象を阻止できると俺たちに持ち掛けたんだ。それには、この遺跡のどこかにある『なにか』が必要だと……」

「あなたたちは、それを信じたの? そんな胡散臭い話を」

「自分たちが暮らしている街を守るため、愛する家族を守るためだ。そんなふうに言われちまったら、乗るしかないじゃないか。どんなに嘘くさい話だろうが」


 ズィービッシュの悲痛な叫びに、リムは黙るしかなかった。


「……ひとつ、確認したいんだ」

「……なに?」

「俺は今まで、『黄昏に沈んだ街』は、自然災害だと思っていた。人間にはどうすることもできない、運命だったんだって」

「…………」

「違うんだな? あれは魔法が関わっていたんだな? 魔法による人災だったんだな?」


 リムは、なにも言えなかった。その沈黙が、ズィービッシュにとっては明確な答えだった。


「あれが魔法だというんなら、タバサの目的がはっきりした」

「え?」

「あいつは、黄昏に沈んだ街の再来を阻止しようと考えているんじゃない。逆だ。もう一度起こすつもりなんだ」


 リムは、立っている地面に穴が空いた心地だった。


「あれを、もう一度起こす? まさか……、なんのために?」

「わからねえよ。けど、ここを見りゃ、そう考えなきゃならないだろ。いかにも偶然見つけたってツラしてたが、見つけたんじゃない。これはタバサがやったんだ」


 空いた穴が底なしと化す。リムは落ちる感覚を確かに感じ、立っているのもやっとだった。


「リムッ」


 光来たちが遅れてやってきた。

 光来はシオンの肩を借りて立っている。クーアで治療したようだが、シャツにはべったりと血の跡が残っており、戦いの激しさを雄弁に語っていた。


「キーラ……」

「よかった。無事だったか……って、なんだ、ここは?」


 光来は、目の前の光景に圧倒された。

 なにもない荒れた大地だが、それだけでははない。果てしない砂漠や荒野の峡谷だってなにもないが、それでも母なる大地という形容は当てはまる。しかし、目前に広がるのは虚無だ。見ているだけで不安になる。ここだけ、月の表面を貼り付けたみたいだった。


「あそこ……」


 光来を支えているため、腕を動かせないシオンが、視線で一点を指した。

 全員が注目した先には、一人の男が立っていた。夕日を背にしているため、顔がよく見えなかった。

 光来には、影が厚みを得て自立しているように見え、ひどく禍々しく映った。

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