第29話 罠と狩人
「…………」
エイブロは、意識を耳に集中させていた。
今の攻撃で、一人に傷を負わせることができた。命に別状はないが、動くには困難なくらいの、丁度よい攻撃だ。しかも、その後の攻撃や足音から察すると、怪我を負ったのはキーラの方だ。
あとは女を始末すれば、この戦いは終わる。
キーラは殺すなと仰せつかっているので加減が必要だったが、少女の方がどうなろうが、タバサは関心がない。
先程、銃声が数発聞こえた。まったくでたらめな撃ち方で、遺跡の至る箇所が崩れ落ちる大音響が響いた。入口を塞いだのと同様、瓦礫で俺を足止めしようという作戦か。それとも、俺が音で動きを察知していることに気づき、破壊音を響かせている隙に身を隠したか……。
いずれにしても、無駄なことだ。確実に追い詰める。すべての勝負において「チェックメイト」と声高らかに宣言する、グランドマスター級のチェスプレイヤーのようにな。闇の中での戦いは俺の独壇場だ。加えて、遺跡の構造は頭に叩き込んである。
エイブロは、弾丸を装填し立ちあがった。
薄暗い中で、光来とシオンは抱き合うように身を潜めていた。
キーラの速くなっている鼓動が伝わってくる。きっと、自分の鼓動もキーラに伝わっているだろう。それを思うと、シオンは、なぜだかますます落ち着かなくなった。
それにしても……。
シオンは思った。キーラの先程の行為は、いったいなんだったのだろう。
キーラは「俺だけの魔法だよ」と言って詳しく説明してくれなかったが、あんな仕掛けで敵を捉えることなど本当にできるのだろうか。
キーラの息が荒い。クーアの魔法を使ったが、傷が深くて完治できなかった。早くケリをつけて、改めて治療しなくてはならない。
極度の緊張の中、シオンはあとわずかに迫る勝負に備えて、息さえも潜めた。
エイブロは、用心深く光来たちに近づいていた。先程から囁くような話し声が聞こえる。しかも、キーラが一人で延々と喋っている。恐怖のあまり、神にでも祈っているのか。
「聞こえる……」
目が見えない分、聴力が発達した。鋭い聴力のおかげで、これまで不自由を感じたことなど一度もない。日常生活でも、戦いにおいてもだ。
自身は足音を立てないよう、細心の注意を払っていた。
じっと動かないで、勝機を伺っているようだが、無駄だ。俺の耳から逃れることはできない。
とうとう、声の発信源と思われる部屋の前まで接近した。ただし、エイブロが足を止めたのは、声が聞こえる部屋の一階下のフロアだ。
あれだけ正確に銃弾を喰らえば、俺が音で位置を把握していることくらい察しが付いているはずだ。それなのに、これ見がしに、いや、これ聞がしにか。声を立てている……。
つまり、これは罠だ。おおかた、一緒にいた女が死角に隠れているのだろう。俺が部屋に飛び込んだ途端、横からか後ろからか撃ち込んでくる手筈だ。キーラは、俺をおびき寄せる囮というわけだ。
エイブロは、怒りと屈辱を感じた。
タバサが一目置いているほどだから、どれだけの人物かと思っていた。だが、こんな見え透いた罠を仕掛ける程度では、とんだ期待外れだ。いったい、タバサはこんな奴のなにに魅せられているのか。
エイブロは銃口を天井に向けた。
「引っ掛かると思っているのか。バカが」
ふつふつと沸き立つ怒りが、辛辣な侮蔑となって口に出た。
キーラの声は、部屋の奥、左端から聞こえる。となると、女の方は手前の入口横辺りだろう。
瓦礫か柱に隠れて、俺が乗り込んだと同時に撃ち込んでくるか……。
「床ごと崩れ落ちな」
口元を歪めながら、エイブロは三発放った。天井を穿ったのは、すべて破壊の魔法ツェアシュテールングだ。
スチールグレイの魔法陣が広がり、天井を覆った。亀裂が走った音を聞いた時、エイブロは勝利を確信した。
「罠にはまったのはお前らだっ。落ちてこいっ。蟻地獄から抜け出せない虫けらのようになっ」
エイブロの叫びに呼応するように、天井が一斉に崩壊した。
瓦礫と共に落ちてくるキーラとシオンを狙い撃ちするべく、エイブロは銃を構えて耳に全神経を集中させた。
「?」
予想に反して、二人は落ちてこなかった。それどころか、まるで何事もなかったかのように、キーラは独り言を続けている。
馬鹿な? 俺は間違いなく、床がすべて落ちるように撃ち込んだ。踏ん張れる足場など残ってないはずだ。
「くっ」
混乱しそうになる中で、エイブロは声の発信源に向けて一撃放った。しかし、キーラの様子に変化はない。
「これは……、いったい?」
「虫はおまえの方だ。おまえは灯りに吸い寄せられた蛾だ」
エイブロは、戦慄で背筋が凍った。上階では相変わらずキーラが喋っているのに、今の声は下から聞こえてきたのだ。
キーラが二人いる? いったいなんだ? なにが起こっている?
「姿を見せない用心深さだ。真正面には立たないと思っていたよ。シオンッ、天井を撃ち抜けっ! 飛ばしてやるっ」
エイブロのほぼ真下で、銃声が立て続けに二発轟いた。
姿見えぬ敵が吠えた直後、上階で瓦礫が崩れ落ちる音が響いた。光来とシオンは一階にいた。先程、光来が手当たり次第に天井と床を瓦解させたとき、落下する瓦礫に紛れて、二人も一階まで落ちながら移動したのだ。
激しい破壊音から敵が三階の床を破壊したのは想像できたが、シオンには、なぜここまで誘い込めたのかが分からなかった。
光来がシオンの背中に手を回し、しっかりと抱きかかえた。
「姿を見せない用心深さだ。真正面には立たないと思っていたよ。シオンッ、天井を撃ち抜けっ! 飛ばしてやるっ」
シオンは状況が飲み込めなかったが、光来の叫びに圧され、咄嗟にアルクトスを天井に向けた。
シリンダーの中には、一発目はツェアシュテールング、二発目はブリッツが装填されてる。光来の指示だった。
「んっ!」
シオンが放った弾丸は、天井のほぼ真ん中に命中した。
同時に、光来は床に向けて一撃放った。床面積より大きい、エンジェルブルーの魔法陣が広がる。風の魔法ヴィントだ。
風の魔法があるという認識を得て、光来の想像力が弾丸を書き換えた。
狭い室内に突然発生した風の奔流は、行き場を求めて荒れ狂った。
圧縮空気のように固まったエネルギーは、穴が空いた天井を逃げ場に定め、一気に上昇した。二人が身を潜めていた狭い部屋は、巨大な空気銃と化した。撃ち出される弾丸は、光来とシオンだ。
崩れ落ちつつあった天井を、二人は突き上げぶち破った。
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