第28話 穿孔し潜行する

 リムが連射したブレンネンは、至る所から炎を噴き出した。炎に喰われた氷の柱は水蒸気と姿を変え、遺跡内はたちどころに霧中の迷路となった。

 タバサは煙幕同様の霧の中に立たされ、次の行動に移れなかった。


「あんたが張った氷を、利用させてもらった」


 リムの声が聞こえた。思わず首を回し姿を探す。彼女の声は、前から聞こえたみたいで、後ろからのような気もした。場所が特定できない。


「今度は、ワタシがあんたを追い詰める」

「やかましいっ」


 リムの挑発に、タバサは思わず頭に血が上った。


「この程度でっ、一度危機から脱したくらいで勝った気になるなっ」


 タバサは声がしたと思った前方に向けて、フリーレンを撃ち込んだ。しかし、魔法が発動する前に、リムのブレンネンが撃ち込まれた。氷結する前に炎の餌食となり、フリーレンはその効果を発揮できないまま蒸発した。


「ううっ!?」

「昔は一緒に遊んだのに、ワタシたち随分冷たい関係になっちゃったね」


 今度は背後から声がした。


「うああっ!」


 タバサは素早く弾丸を入れ替え、闇雲に撃った。


「この濃霧の中、当たりっこない」


 リムが続ける挑発に、タバサは口元を歪めた。


「当たるさ。入り組んだ遺跡の中だ。どこかしらには当たる。そして、着弾すれば魔法は発動するっ」


 タバサが放った弾丸から、ヴィントの魔法陣が拡がった。


「ヴィントの弾丸っ!」

「俺が、フリーレンしか持っていないと思ったか?」


 ヴィントの発動により生まれた突風は、遺跡内部を駆け巡った。瞬く間に霧の領域を侵して、強引に空気を浄化した。

 まだ完全に晴れていないものの、タバサの視界の端に、銃を構えようとしているリムの姿がかすめた。


「遅いっ! 捉えたぞっ」


 タバサは、止まらぬ動作で素早い一撃を放った。撃ち出したのはヴィントの弾丸。しかも、カミソリよりも切れる刃と化す烈風の形態だ。

 凶悪で見えない風の刃は、リムの首を一直線に斬り裂いた。


「がっ⁉」


 リムの頭部と身体が完全に切り離された。


「はあっ!」


 タバサの叫びが遺跡内に響いた。歓喜か惑いか、後悔か。それとも、それらすべてが綯い交ぜになった乱れた感情か。

 タバサの頭を満たしたのは、「勝った」ではなく、「終わった」という思いだった。


「馬鹿め……。馬鹿めっ」


 抑えられない気持ちの昂りが、タバサを黙らせなかった。しかし、波が引くように感情が鎮まると、今、見ているものがあり得ない光景だと気付いた。

 なぜ、首が落ちない? なぜ、血が噴き出さない?


「魔法での殺人も辞さないなんて、堕ちたわね」


 あるはずのない事態に、タバサは焦りと恐れを同時に感じた。なにが起こっているのか見極めようと首を切断されたリムに近づこうとした。もどかしいほどに足の動きが覚束なかった。


「ううっ?」


 そして、さらに信じがたいことが起こった。リムの顔に亀裂が走ったかと思うと、頭部がゴトッと落ち、砕け散った。

 足元に残留していた霧が、徐々に薄れて完全に視界が開けた。


「これは……、氷?」


 タバサは驚愕した。状況が理解できても、頭が受け入れることを拒んだ。


「俺が張った氷をプリズム状に溶かして、鏡を作ったのか!?」

「言ったでしょ。あんたの氷を利用させてもらうって」


 振り返ると、しっかりと狙いを定めたリムが、鋭い眼光を放ち立っていた。


「キサマアッ!」


 タバサは吠えたものの、既に敗北を認めていた。

 リムは無言でデュシスを撃った。

 弾丸をまともに喰らい、タバサの意識は遠のいた。



 シオンに引っ張られて逃げる光来の背中に、ドンッとなにかがぶつかった。


「うあっ⁉」


 衝撃は鋭い痛みに変わり、光来は切られたのだと気付いた。


「うああっ!」

「キーラッ」


 光来の視野に稲妻のような光が走った。足がもつれて、シオンと折り重なって倒れ込んだ。


「ぐっ」


 光来はすぐに立ち上がろうとしたが、体が動いてくれなかった。熱を帯びた痛みが背中から全身に広がり、額から脂汗が滲みだした。

 シオンが下から這い出し、光来の背中を確認した。


「うっ」


 シオンは、思わず声を漏らした。

 シャツがカミソリで切ったように裂け、血で染まっていた。傷の深さは分からなかったが、おびただしい血の量から、相当深く斬られたと想像できた。


「ひどい……」


 傷の様子を詳しく見る間もなく、連弾が襲ってきた。今度は壁が迫ってくるような突風で、二人は耐え切れず弾き飛ばされた。

 シオンは辛うじて受け身を取ったものの、光来は為すがままに転がされ、床に血の染みを塗りたくった。


「キーラッ」


 シオンは光来に駆け寄ろうとしたが、足元が風の刃で斬りつけられ、派手に転んでしまった。強く胸を打った。しかし、湧き上がる疑問に痛みは相殺された。

 こんな薄暗い場所なのに。なぜ……。なぜ敵は、こんなにも正確にワタシたちの位置を把握できるのか? こっちは、場所さえ特定できないのに。


「くっ!」


 シオンは、盲撃ちでツェアシュテールングで壁や天井を撃ち抜いた。亀裂が走り次々と崩れ落ちるものの、光来が撃った時とは破壊力に決定的な差があった。これでは、数秒時間を稼げる程度だ。

 光来は朦朧とした意識の中で、なぜかナタニアが昨夜口にした台詞を思い出していた。

 鳥は鳥だから飛ぶ。魚は魚だから泳ぐ。彫刻家は彫刻家だから彫る。

 ……ならば、俺は?


「シオン……」

「黙って。今、クーアで治療する」

「ここは、何階だった? たしか、三階まで上った気がするけど……」

「黙って」

「俺の世界には、魔法に負けないくらい便利な道具が溢れてるんだ」


 シオンの声を無視して、光来はしゃべり続けた。


「キーラ? ……今は、そんな話している場合じゃない」

「いや、今、聞いてほしいんだ。俺が異世界の人間だというのは本当だ。信じてもらわなくちゃ、奴には勝てない」


 シオンには、光来の言っていることが理解できなかった。こんな追い詰められている状況で、支離滅裂な話を続ける神経も癇に障った。


「いい加減にしてっ! そんな空想の話、どうでもいいっ」

「聞くんだ。空想なんかじゃない。俺は間違いなく、こことは違う世界で生きていたんだよ。それを信じて、俺の言う通りにしてほしい」

「あなたは混乱してるのよ」

「……奴は、姿を見せる気はないらしい。だから、おびき寄せる。灯りに吸い寄せられて集まってくる蛾のようにだ」

「?」

「シオン……。魔法よりもすごい、文明の力ってやつを見せてやる」

「キーラ……」


 シオンの心に迷いが生じた。

 キーラの言っていることは、わけが分からない。常軌を逸している。これは、うわ言なのだろうか。しかし、キーラの身から滲み出ているのは、例の黒いスゴみだ。本当に朦朧としているなら、こんな重圧感は出せない。


「可能なの?」

「敵はこの薄暗い中、俺たちの位置を正確に掴んでいるらしい。異常に耳がいいのか、遺跡内を知り尽くしているのか……。どっちにしても、仕留める気なら、必ず近づいてくるはずだ。確実にやるために。なにより、やったのを確認するためにな」


 キーラの目のギラつきが尋常ではない。重傷を負い、精神が張り詰めている……。いや、そうではない?

 シオンは、恐ろしい仮説を立てた。

 ひょっとして、まさか……。これがキーラの本性なのか? ホダカーズでの決闘の際、彼はトートゥを使ってネィディを撃ち殺した。禁忌とまで言われた魔法を使ってだ。その特徴的な黒い魔法陣と同じように、キーラの精神に漆黒が宿っているとしたら……。


「シオン」


 不吉な考えが充満していく途中で名を呼ばれ、シオンの心臓がは思わず跳ねてしまった。


「あそこだ。あの部屋に逃げ込もう。肩を貸してくれ」


 光来が指さしたのは、物置として使われていたのではないかと思われるほど、小さい部屋だった。


「だめ。あんな狭い部屋に入ってしまったら、逆に追い詰められてしまう」

「狭いからいいんだ。狭い方が声がよく響く」


 相変わらず、言っていることの意味は計り知れなかった。しかし、シオンはキーラに一縷の望みを掛ける決心をした。迫りくる脅威に対抗できる策があるなら、それに乗ることにした。そして、これでキーラの正体がはっきりするかも知れないという目論見もあった。


「……分かった。つかまって」


 シオンは、光来の腕を肩に回した。立ち上がり、光来が指示した部屋へと慎重に歩き出した。

 室内に入ると、光来は壁を背にしてルシフェルを構えた。天井と床に次々と弾丸を撃ち込んだ。撃ち込まれたのはいずれもツェアシュテールングで、崩壊した天井の瓦礫が、叩きつけるように床に落ち、ぽっかりと大穴が開いた。光来は射撃を止めない。遺跡そのものを消滅させかねない勢いで、ツェアシュテールングを連射させた。

 光来の意味不明な行動に、シオンの不安に恐ろしさが上塗りされていった。

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