第23話 風の前の塵
ズィービッシュたちを中心にして、騒乱は水面を駆ける波紋のように広がった。中にはわけも分からず騒ぎ暴れている者もいるようだ。よほど鬱憤が溜まっていたのか、意味不明な言葉で罵りながら、猿まわしを殴り倒していた。高揚だけの野蛮な暴力だろうが、この際ありがたかった。この場を掻き回すだけ掻き回して、乱戦に持ち込むのだ。
猿まわしが渡されていた銃は、さほど脅威にはならなかった。これまで、ろくに魔法を扱わなかった連中だ。気が急いて狼狽え弾を撃つだけだ。スコップやスレッジハンマーなど、掘削道具を振り回す方が、よほど攻撃力が高い。
猿まわしが、どの程度タバサの命令に忠実かは知らないが、体を張るまでではないだろう。実際、既に逃げ腰になっている者があちこちに見られた。
これならいける。ズィービッシュは反乱の成功を確信した。
俺も遺跡を抜けて中庭へ……。
中庭に通じる遺跡に向かおうと目を向けると、入口にへばり付いている二人の人影が見えた。
「あれは……」
間違いない。数時間前に出会った少年と少女だ。もう一人は見当たらなかった。
「あいつら、なにやってんだ」
打ち合わせでは、騒ぎに乗じて中庭まで乗り込むはずだ。それなのに、入口でもたついている。
「くそっ」
急いで合流すべく、駆け出そうとしたズィービッシュの足元に、一発の銃弾が撃ち込まれた。地面にスカイブルーの魔法陣が広がり、ズィービッシュは吹き上げる突風に弾き飛ばされた。
「うぉあっ⁉」
ズィービッシュは転がる体をなんとか制御し、顔を上げた。目の前にはエンリィ・チェインが、如何にも『お前を見下しているぞ』といった太々しい表情で立っていた。
こいつは、他の有象無象と一緒にはできない。身に纏っている空気からして違う。見つかりたくない奴に見つかってしまった運のなさに、ズィービッシュは心の中で「これは罰だ」とつぶやいた。
「おまえが抵抗軍のリーダーか?」
「軍って程じゃないけどね。やっちまおうって煽ったのは確かだ」
「馬鹿なことを……。あの方がいなければ、こんなちっぽけな街など、消滅してしまうのだぞ」
「それって違うだろ。街人の不安を水増しさせ、逃げられないようにしやがって。そもそも、あの現象が人の手で止められるわけが……」
ズィービッシュは、突如抱いた疑惑に愕然とした。
なんで、その可能性に至らなかったのか。タバサが探しているのは、あの現象を止める方法などではない。ひょっとしたら、その逆なのではないのか? あれは、自然現象などではなく……。
「おまえら……、まさか」
ズィービッシュが、確信に近いものを掴んだのが伝わったのか、エンリィは口角を上げて歯を覗かせた。
エンリィが銃を発射するのと、ズィービッシュが駆け出す動作が重なった。紙一重で弾丸をかわしたが、背後に放置されていた荷車が爆発で破壊され、破片が四方に飛び散った。
なんだっ? あれも魔法なのか?
魔法とは縁のない生活を送ってきたズィービッシュは、襲い掛かる魔法の威力に戦慄した。
エンリィの射撃の腕は確かだった。あちこちにある砂山や積荷の影に隠れて、なんとか直撃は免れているが、このままではいずれ追い詰められる。しかも、厄介なことに、遮蔽物に隠れてやり過ごそうとしても、弾丸から発生する魔法はそれすらも吹き飛ばしてしまう。
くそっ、こんな厄介な力…………。
しかし、ズィービッシュの動きには計算があった。逃げながらも、光来たちが立ち往生している遺跡に近づいていたのだ。遺跡の入口まで、もう少しだ。
「ええいっ」
ズィービッシュはタイミングを見計らって、一気に駆け出した。遺跡の中は、迷路のように複雑に入り組んでいる。入ってさえしまえば……。
「そんなに速く走りたいなら、手伝ってやるよ」
背後でエンリィが呟くのが聞こえたが、振り返る余裕などなかった。ただ、このまま真っ直ぐ走ってはいけないと、ズィービッシュの直感が警報を鳴らした。
直感を信じて、ほんの少し軌道を変えたのが功を奏した。足元を弾丸が抉り、スカイブルーの魔法陣が広がった。
「やべえっ!」
ズィービッシュは知らなかったが、それはヴィントという風を巻き起こす魔法だった。
突風というには生易しい風の濁流。竜巻を真っ直ぐ伸ばしたような凄まじい気流に飲み込まれ、ズィービッシュの体は、十数メートルも吹き飛ばされた。
「くそっ、遺跡の中でなんて魔法を使うんだ。これじゃ、一気に飛びでもしない限り、リムに近づけない」
三人は膠着状態にはまってしまった。光来が前に出るのを躊躇っていると、突如背後から強風に襲われ、壁に押し付けられた。
なんだ? と思う間もなく、徐々に大きくなる悲鳴と共に一人の男が吹き飛ばされてきた。光来たちの前で叩きつけられるように着地した。見てるだけで顔を歪めたくなる、痛々しい着地だった。そのままの勢いでゴロゴロ転がり、リムの手前で止まった。
「ズィービッシュさん?」
光来は、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。ぶっ飛んできたズィービッシュは、リムに向かって微笑みかけた。
「おまえら、大丈夫か?」
「こっちの台詞でしょうっ」
リムは、ズィービッシュの服を掴んでぐいと引っ張り、自分の隣に座らせた。砂だらけで、あちこちに擦り傷を負っている。
ズィービッシュはパンパンと服を叩き、砂埃を舞い上げた。
「おまえらが入口でグズグズしてるのが見えたんでな。様子を見に来たんだ」
「それはどうも。あなたの話に乗ったら、待ち伏せされてて、足止めを食らってる」
「待ち伏せ? くそ、情報が漏れたか」
「あなたたちの、なんて言うの……抵抗軍ってあてになるの?」
「寄せ集めの集団だからな。でも、騒ぎは起こせたろ?」
「混乱させてるだけでしょ」
リムはデュシスを抜いた。
「しゅっ」
ろくに狙いを定めず、闇に向かって一撃放った。
「ぐっ」
奥からくぐもった声が聞こえた。その直後、何十本もの矢が立て続けに放たれ、あちこちで爆発が起こった。こちらが一発撃てば、何十倍にもなって返ってくる。まるで矢のミサイル攻撃だ。
「おい、このままじゃ、崩れちまうぞ」
ズィービッシュが、悲鳴に近い叫び声を上げる。
「二〜三人倒しても埒が明かないわね」
リムとズィービッシュは、完全に動きを封じられてしまった。
身動きできない二人の後ろで、光来はルシフェルを抜いた。
「シオン、ツェアシュテールングの弾丸は持ってる?」
「あるけど……」
「一発もらえるか?」
「…………」
シオンは、黙ってベルトからの弾丸を抜き取り、光来に渡した。普段の彼とは違う。その黒い瞳の中に、青白い炎を見た気がした。
光来は受け取った弾丸を弾倉に込め、矢が飛んでくる遺跡の奥に向かって照準を定めた。
「なにを?」
「あいつら、遺跡を壊したいらしいからな……」
光来の呟きに、シオンの背中にぞわりと冷たいものが走った。普段の弱気な態度とはまるで違う。青白い炎どころではない。正体を探るのも憚られる『なにか』が取り憑いたような凄み。自分に銃を向けられているわけではないのに、臓腑に食い込む恐怖を感じた。
「くっ、これじゃ一歩も動けない」
リムの苛立ちを含んだ罵声に、光来が応えた。
「リム。それでいいんだ。一歩も動けない。だからいい」
「キーラ? なにを?」
「そこから絶対に動くな。そして備えろ」
銃口からツェアシュテールングの魔方陣が広がった。今まで、シオンが見たことのない大きさまでスチールグレイに光る魔方陣を肥大させ、ルシフェルが咆哮を上げた。
「リムッ、衝撃に備えろっ」
巨大な力を纏った弾丸は、一直線に天井を穿った。発生した魔法陣が砕け散ると、弾丸は破壊の魔法を発動させた。
遺跡そのものを破壊しかねない、巨大な崩壊が始まった。奥の方では、悲鳴がいくつも上がっている。重たい物が崩れ落ちる音、舞い上がる砂埃。暗くて見えないが、阿鼻叫喚の様相を呈していることは容易に想像できた。
シオンは戦慄した。奥で繰り広げられているであろう悲惨な状況にではなく、光来に対してだ。
彼は、たしかにワタシが渡したツェアシュテールングの弾丸を撃った。あれはワタシが自ら精製した魔法だ。だから断言できる。あれほど凄まじい威力などあるはずないのだ。いったい、彼はなにをしたのだ?
今の崩壊が、この場にいる全員の注目を集めてしまった。シオンが抱いた懐疑の念に解を導き出す暇もなく、猿まわしたちが怒涛の如く集まり、抵抗勢もその後を追う。こうなっては、敵も味方も区別がつかない。
その中でも、特に意識が向いてしまう一人の男が存在した。漫画が並んでいる本棚の中に、一冊だけ六法全書が収まっているような違和感。男が醸し出す重圧な存在感は、遠目からでも容易く『敵』と認識できた。
「くっ」
光来は、振り向きざまリムとズィービッシュに向かって叫んだ。
「行けっ、リム。ズィービッシュ、あんたもだ」
ズィービッシュに対して、『さん』付けではなくなっていたが、光来本人も、他の三人も気付く者はいなかった。
「でも、キーラッ」
「早く行くんだっ。なんかやばそうな奴が近づいてくる」
リムの躊躇いを強引に引き剝がした光来の台詞に、ズィービッシュはぴんときた。
「エンリィか? そいつは手強いぞ」
エンリィというのか。ズィービッシュを痛めつけたのも奴だな。奴がリムと俺の邪魔をする者なら、なんとしてでも喰い止める。
光来はエンリィの全身を観察し、改めてリムに向った。
「必ず追いつく」
「行って」
シオンも背中を押す。
「歩けるわね……。行くわよ」
リムはズィービッシュと共に、遺跡の奥へと消えていった。
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