第21話 賽は投げられた
十二年前、ズィービッシュはまだ少年だった。青臭くはあったものの、芸術で身を立てたいと強く願う荒削りな夢は、失敗することなど微塵も考えない勇気と行動力となった。
しかし、堅実さに欠いた危うい夢想は、両親との摩擦を生む原因ともなり、ズィービッシュの独り立ちは、家出同然となった。
十四歳になった日、見習い修業に就くべく、生まれ育ったカトリッジから出た時だ。後ろから泣きそうな声で自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り返らなくても、声の主は分かった。ナタニアが必死に駆けて追い付こうとしていた。ちくりと胸に痛みが走った。
両親とは、散々話し合い、怒鳴り合い、拗れた仲だ。今さら後悔などない。ただ、この可愛い妹を置いていくのだけが心残りだった。決心が鈍りそうになるのを自覚しながらも、もう決めたことだと自分に言い聞かせた。夢を、胸の奥から湧き出る情熱を捨てて生きていくことなどできない。
「どうした? もう別れなら済ませただろ」
わざと突き放すような態度を取った。
「おかあさんが、これを持ってけって……」
「お袋が?」
ナタニアから受け取ったのは、クエリで作られた鈴だった。小さな手から摘まんで受け取り、振ってみた。すると、ナタニアのポケットから軽やかな音が聞こえた。
「……なんだ? どうなってるんだ?」
「これは、同じものを持っている方が鳴る鈴なんだって。ワタシももらったの」
ナタニアは、ポケットから同じような鈴を取り出した。
「これを持っていれば、どこにいようが繋がってるって、お母さんが……」
ズィービッシュは、鼻の奥がつんっと痛くなるのを自覚した。
「そうか……」
ズィービッシュがナタニアの頭を撫でようとした時、それは起こった。
耳を劈く大轟音に時間が掻き消され、目を射抜くまぶしさに世界が消し飛んだ。
ズィービッシュは、咄嗟にナタニアを庇い覆い被った。考えもせず、身を丸めて衝撃に備えたのは、命あるものが生き永らえようとする本能のなせる業だった。
五秒か六秒か、あるいはもっと長かったか……。無音となった不気味さを訝しく思い、ズィービッシュは、再び目を開けた。
「なんだ……? いったい、これは……?」
目の前にあるはずのカトリッジの街が跡形もなくなくなっていた。一瞬、自分は死んでしまったのかと思った。凄まじい力により、瞬時に塵芥となってしまったのかと。
「……ん……。お兄ちゃん……」
妹の弱々しいつぶやきで、はっと我に返った。ズィービッシュはナタニアを抱きかかえて、カトリッジに、カトリッジが存在した場所に走り出した。
辛うじて正気を保っていられたのは、妹を守らなくてはならないという使命感があったからに他ならなかった。
あの日のことを思い出すと、未だに冷静ではいられなくなる。芸術家を目指す者として、あらゆる事象に目を凝らして観察する心積もりはあったが、あの光景はあまりにも……。
あの長髪の少女は、一泡吹かせたいのだろうと言っていたが、それだけじゃない。タバサが何者なのか、タバサが言っていたことは本当なのか。はっきりさせなくてはならない。
「ズィービッシュ」
名を呼ばれて、思考が中断された。あの時のことをこんなに鮮明に思い出したのは、久し振りだった。
顔を上げると、屈強な男が立っていた。名をファウルいった。ズィービッシュが集めた仲間の一人だ。
「みんな集まったぞ。本当にやるんだな?」
「ああ、あの怪しげなイカサマ師の化けの皮を剥がしてやる」
口ではイカサマ師と罵ったが、一方で、一抹の期待は捨て切れないでいる。自分の中の二律背反に心が苛つく。もし、タバサの言ったことが口から出まかせの噓だったら、それは万死に値する愚行だ。
ズィービッシュは、ファウルが投げてよこした物を片手でキャッチした。それは一セットのトランプだった。
光来は落ち着かなかった。そろそろ、ズィービッシュが騒ぎを起こすはずだ。なにかが起こるまで待たなくてはならないのは、ひどく落ち着かなくなる。ホダカーズを脱出する時に、汽車の発車時刻を待つ時もそうだった。
しかし、今回はリムの方が落ち着かない様子だ。シオンは……、普段と変わらなかった。
あの時に、リムからいろんな話を聞いたんだったな……。
暁に沈んだ街、グニーエ・ハルトとの因縁、すべてが、光来にとっては理解を超えた話だった。
リムの旅の到着点、グニーエ・ハルトに、もう少しで辿り着く。リムの推論が正しければ、俺は元の世界に帰れる。それが目的で、リムと旅を共にしているのに、感情が掻き回されるような複雑な気落ちになった。
「……変だな」
二人に聞こえないくらいの小さな声で、光来は独りごちた。
皆が休憩所に集まった。ズィービッシュとファウルを含めた七人が、円陣を組むように床に直接座り込んだ。
この建物は、鉱山発掘が盛んだった頃に現場作業員が使っていたものだ。鉱石が出なくなり廃鉱となってからは、この建物も捨てられ、瞬く間に廃墟同然となった。誰も足を運ばなくなったのだから、当然だった。
ダーダー一家は、誰からかこの廃鉱に残る建物の話を聞き、当面の塒にしようと考えたのだろう。数日前までここに滞在していた。
ディビドの保安官は、厄介事に発展させまいと数人の若者を引き連れて様子を見に来たが、既にダーダー一家は立ち去った後だった。胸を撫で下ろしたのも束の間、まさかダーダー以上の問題に巻き込まれるとは思ってもいなかった。
保安官が連れて行くのに選んだ若者の中に、ズィービッシュが含まれていなければ、まったく違う展開になっていたかも知れない。
「それじゃ、始めるか」
ズィービッシュの掛け声を合図に、ファウルがカードを配り始めた。
こんな岩山だらけの環境でできる暇つぶしと言えば、賭け事くらいだ。別段、注目されるような行為ではない。しかも、賭けるといっても、夕食のおかず一品とか、パンをひとつといったささやかなものだ。
しばらくは、純粋にゲームを楽しんでいるように見せた。しかし、ズィービッシュはじめ、参加している者全員が、相手の手札がなんであるのか考えている余裕なんてなかった。
打ち合わせは日中に済ませておいた。あとは行動を起こすだけだ。
ズィービッシュは、カードを見ているフリをして、全員に目配せした。
男たちは一斉にズィービッシュの目配せに応えた。本当にやるのかと問うている。
ズィービッシュは力強く頷くと、トランプを床に叩きつけ、ファウルの胸ぐらを掴んだ。
「てめえっ、ふざけんじゃねぇぞっ」
室内の全員が、ズィービッシュに注目した。その中には、猿まわしも含まれている。
「こんな手札が揃うわけねえだろっ。イカサマしてんじゃねえっ」
胸ぐらを掴まれたファウルも、負けじと怒鳴り返した。
「ああっ? てめえの腕がないのを棚に上げて、言いがかりつけんじゃねえぞっ」
ズィービッシュの計画を知っている者は、さり気なく立ち上がったり移動したりし、知らない者は面白半分に囃し立てた。
「てめえの下手くそなイカサマなんざ、お見通しなんだよっ」
ズィービッシュが、ファウルを引き寄せ、顔面に拳を叩き込んだ。
ファウルは勢いよく後方に吹っ飛び、尻もちをついた。
室内の空気が、一気にヒートアップした。
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