第20話 合流

 ズィービッシュは、鈴の音に誘われるがまま森の中に入った。再び日の光が遮られる。しかし、遺跡とは違った、落ち着きのある暗さだ。

 なんとかここまでたどり着けたが、これ以上近づけず立ち往生しているのか……?

 ズィービッシュは、首飾りを手に持ち軽く揺らした。向こうも鈴の音を奏でているはずだ。こうして進んでいけば、必ず見つけられる。


「…………っ!」


 いきなり、後ろから口を抑えられ、喉仏にナイフの刃を当てられた。声を出す間もなく体が硬直し、動けなくなる。鈴の音に意識を集中していたので、まったくの不意討ちだった。


「動かないで」


 喉に当てられたナイフよりも切れそうな声が、耳元で囁いた。

 女?

 意外な展開に、混乱しそうになる。ズィービッシュが考えをまとめる間もなく、ナイフの主は質問を浴びせてきた。


「あなた、ズィービッシュ・カロン?」

「なんで俺の……」


 口を抑える手とナイフを当てる力が強まった。


「声を出さないで。イエスかノーかは首を振って答えなさい」


 有無を言わせない迫力に、ズィービッシュはコクコクと頷いた。正直、ナイフの刃よりも、背後で発せられる声の方が恐怖心を煽った。


「あなたが、ズィービッシュ・カロン?」


 声の主は、同じ質問を繰り返した。

 ズィービッシュは、こくりと頷いた。すると、目の前の茂みから二人の影が出てきた。一人は少年で、一人は少女だ。

 少女の方は銃を構えて、しっかり狙いを定めている。さっきのいけ好かないコーザとは違う。海底に沈んだ鉄塊のような、重みのある覚悟を秘めた眼だ。どんなに機転を利かせたところで、逃れるイメージが湧かなかった。

 一方、隣の少年は、なんとも申し訳なさそうな情けない表情をしている。これでは、どちらが銃を突き付けられているか分からない。しかし、腰に下げている銃は、今までに見たこともない見事な物だった。銃に関しては大した知識はないが、一目でかなりの逸品だと分かった。武器であるのに、怪しい美しさまで感じさせる。こんな状況であるにも関わらず、ズィービッシュは創作意欲を掻き立てられた。


「ズィービッシュさん、あの、これ……」


 光来が、クエリの首飾りを差し出した。声が少し上擦ってしまう。理由は、ズィービッシュの容姿に虚を突かれたからだ。まるで、彼自身が彫刻で造られた芸術品のような美しさだった。

 ズィービッシュは目を見開いて首飾りを凝視した。それは間違いなくナタニアの物だった。彼の脳裏に、最悪の場面が過ぎった。


「おまえらっ、ナタニアをどうしたっ?」


 ナイフをあてがわれ、銃を突き付けられているにも関わらず、ズィービッシュは激高し光来に向って突進した。しかし、リムが咄嗟に足を絡めたため、ズィービッシュは顔から勢いよく崩れ落ちてしまった。リムは間髪を容れない俊敏な動きでズィービッシュの腕を背中に捩じり、関節を極めて身動きできなくした。


「ぐっ」

「落ち着いて。ワタシたちはナタニアから頼まれて来たの。暴れないと約束するなら、自由にする」


 煮えたぎる感情を無理やり抑え、ズィービッシュは深く頷いた。踏ん張るのをやめ、四肢の力を抜いた。


「暴れたら躊躇なく仕掛けるわよ」


 背後の襲撃者は、すっとナイフを引っ込め、立ち上がった。

 ズィービッシュも、顔や胸の土を払いながら立ち上がる。


「いくらなんでも、いきなり……」


 振り返りながら出てきたズィービッシュの言葉は、途中で途切れた。リムを見て、愕然とした。自分より一回りも小さい少女が、隙きもなく睨めあげている。

 不意討ちとは言え、こんな女の子に組み伏せられたことに、ズィービッシュの矜持はひどく傷ついた。


「……おまえら、その首飾りはどうした?」

「ナタニアに託されたんです。お兄さんが帰ってこないと心配してます」


 ズィービッシュの問いに答えたのは、首飾りを持った少年だ。


「ナタニアが?」


 ズィービッシュは、少し考えた。

 ナタニアが頼んだ……。可能性はある。妹にはろくに説明もしないで出てしまった……。

 改めて、三人の少年少女を見る。

 ……それにしても奇妙な連中だ。三人とも銃を携帯しているが、明らかに用心棒や自警団じゃない。街の連中とは一線を画する匂いを放っている。


「…………」


 ズィービッシュが黙り込んでいるので、光来は説明を続けた。


「ナタニアから、あなたを見つけてほしいと依頼されたんです。あなたを探すのに、これがあれば見つけられると……」

「俺を連れて帰れと?」

「違う。あなたはついで」


 先程、銃を向けていた少女が口を開いた。感情の籠もらない口調と「ついで」という単語のせいで、冷たい印象を受けた。


「……ナタニアは、無事なんだな?」

「街であなたの帰りを待ってます。あなたと上手く落ち合えるよう、この首飾りを俺たちに預けたんです」


 クエリの鈴の特徴を知っている者は、決して多くない。ナタニアが渡したという話には、信憑性があった。

 ズィービッシュは、目の前の気弱そうな少年の言うことは、信用できると判断した。


「ワタシたちは、ある人物を探している」


 今度は長髪の少女が喋った。こちらは、先端の尖ったなにかを突き付けられているような口調だ。


「?」

「グニーエ・ハルト」


 ズィービッシュは、その名に違和感を覚えた。シャツを後ろ前逆に着てしまい、しばらく気づかないで、なにか変だなと思うのに似ていた。


「グニーエ・ハルト? いや……でも、『あいつ』もハルトって名乗ってたな……」

「なにをブツブツ言ってるの? グニーエ・ハルトという奴を探して、ここまで来たの。知ってるなら、教えて」

「いや、ハルトってのは『あいつ』のことだと思うけど……」


 会話が嚙み合わない。リムは苛立ちを募らせた。


「いるの? いないの? はっきり言いなさい」

「いや、そいつはここにはいない。ここにいるのは、タバサ・ハルトって奴だ」


 リムは息を飲んだ。

 タバサ……?


「そいつは……いくつくらい……?」

「いくつ?」


 ズィービッシュには、リムの質問が咄嗟に飲み込めなかった。


「歳よ。年齢。タバサという奴は、いくつくらいなの?」

「あー……」


 ズィービッシュは、リムの迫力に引きながらも、光来を指差した。


「彼と同じくらいだ」


 光来は眉をひそめたが、リムはそんなことにかまっていられなかった。長らく忘れていた名前。頭の奥から浮上する記憶が、リムの景色を過去に戻す。

 タバサ。そうだ。たしかにそんな名だった。タバサ・ハルト。

 幼い頃、一緒に遊んだ男の子。グニーエの様子がおかしくなってから、会えなくなった男の子。そして、あの日、父親と共に忽然と姿を消した男の子。

 長年追い求めていたものが目前に見えたのに、リムの頭は、なかなか現実を受け入れようとはしなかった。視野が曖昧になり、森のざわめきが遠くなる。鼓動が高まり、口を開けて酸素を貪らないと、呼吸が苦しい。

 とうとう……、とうとう射程内に捕らえた。グニーエも近くにいるに違いない。タバサを拘束し、拷問をしてでも居場所を吐かせてやる。

 青白い炎に包まれたリムに、光来は背筋が冷たくなった。脳漿が酸味のきつい酢に入れ替えられたように、ピリピリとした痺れが気持ちを縮ませる。

 物音を立てるのも躊躇われる静寂を破ったのは、シオンの一言だった。


「あなたたち、なんで逃げ出さないの?」


 それは、光来も疑問に思っていたことだった。ここまでたどり着くのに、目立った妨害はなかったし、ズィービッシュとも簡単に合流できた。看守のような者がうろついているが、こんなザルみたいな監視体制では、ないも同然だ。


「それができない理由があるんだよ」


 ズィービッシュは憮然と答えたが、説明になっていないと思ったらしく「街を守るためだ」と付け加えた。

 身体は自由なのに、逃げ出せない。その理由は一つしかない。精神的束縛だ。


「なにか、外に知られてはまずいことがあるんですね? 街の人たちも、なにかをひた隠しに隠していた」

「…………」


 光来は、ズィービッシュが黙っているので、逆に確信を得た。


「俺たちは、山の向こうにある遺跡まで行くつもりです。そこにタバサがいるんですか?」

「……自分たちで確かめな」


 ズィービッシュの歯切れが悪くなる。


「行きましょう。ナタニアとの約束は果たした。あなたは、このまま帰るなり、作業に戻るなり、好きにしなさい」

「リム」


 突き放すような言い方に、光来は咎めた。しかし、リムは意に介さない。


「待て」


 リムが動く前に、ズィービッシュが止めた。


「それなら、日暮れまで待て。俺だって、黙って言いなりになっていたわけじゃない。仲間を集めて機を伺ってたんだ。おまえたちが機を連れてきた」

「手助けはいらない。あなたは自分と妹の安全だけ考えてなさい」

「人の話を聞けって。タバサは妙な魔法を使う。舐めてかかると痛い目にあうぜ」


 リムが反論する前に、ズィービッシュはさらに言葉を被せた。


「それに、なんか知らんが、奴のシンパが現れ始めやがった。そいつらは銃を所持している。たった三人じゃ身動き取れなくなるぞ」


 リムは顎に手を当てて考えた。


「あなたがなんとかしてくれるっての?」

「ああ、捜索作業は四時までだ。あんまり働かせ過ぎると、反感が高まると知ってるのさ。辛抱できるギリギリの線ってわけだ」

「それで?」

「それまでに、仲間と打ち合わせを済ませる。作業が終了して、しばらく経ってから騒ぎを起こす。むこうは逆らうはずがないと思い込んでるから、混乱するはずだ。その機に乗じて、おまえらは中庭まで行け」

「中庭?」

「タバサが詰めている遺跡だ。山ん中にぽっかりとできた盆地なんで、俺たちはそう呼んでいる」

「タバサは、そこでなにをしてるんですか?」

「…………」


 光来が質問した途端、再びズィービッシュの口が重たくなった。


「そこに行けば分かる。俺たちが逃げ出せなかった理由もな」

「……いいわ。その話に乗る。あなたもタバサに一泡吹かせたいだろうし」


 リムの承諾を得て、ズィービッシュはにやりと笑った。


「俺たちが暴れるまで、どこかに身を潜めてな。俺は一旦戻る」

「じゃあ、これ……」


 光来は、ナタニアから預かった首飾りを渡そうとした。しかし、ズィービッシュは受け取らなかった。


「……いや、それはまだ持っててくれ。また合流しなくちゃなんないかも知れないだろ。そいつがあれば、お互いに呼び合える。魔法より便利だろ」


 ズィービッシュは、気の利いた台詞を吐いたつもりのようだが、スマートフォンで連絡を取り合うのが日常茶飯事だった光来は、反応に困り愛想笑いしかできなかった。

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