第19話 贖罪

 舞い上がった砂が目に入り、その痛みに思わず手を止めた。目を擦るついでに捜索作業を止め、涙目で周囲を見渡した。皆、一様に疲れているのが分かる。それはそうだ。自ら進んで作業している者などいないし、そもそも、なにを探しているのかも教えられていない。

 いや、そうではないと思い直す。この数日で状況は変わった。チラホラとではあるが、『あいつ』を支持し、崇拝する者が現れた。水滴に打たれて徐々に凹む石畳のように、すぐに変化に気付けるわけではないから見逃していた。

 ここは日の光がわずかしか入らない。埃だらけの遺跡の中で、ズィービッシュ・カロンは、密かにため息をついた。

 先日まで普通に会話していた者が、『あいつ』に反感を示す台詞を吐いたりすると、まるで汚物を見るような目になり「彼のことを悪く言うな」などとほざく。あの態度、怪しげな宗教の教祖に心酔するみたいな態度はなんだ? しかも、それまで神なんか敬いもしなかった奴がだ。

 ズィービッシュは恐ろしいと思った。若輩者とは言え、もう仕事をして自立している大人だ。これまでの経験があり、自分で考え、判断することができるはずだぞ。それが、たった数日で、まるで洗脳されたかのように振る舞う。人間とは、そんな簡単に流されちまうもんなのか? その芯の脆さが恐ろしい。


「そこっ、手を休めるな」


 今、耳障りな怒鳴り声をあげた奴もそうだ。この前までは泣きそうなツラをしながら捜索作業をしていたのに、いつの間にか監視の方にまわっている。コーザという名の小者だ。しかも、『あいつ』から渡されたのか、銃まで所持している。なにを勘違いしているのか、態度まで横柄になっていやがる。

 ズィービッシュたちは、彼らのことを囚人の監督を行う者をもじって『看守』、さらには看守を意味する隠語の『猿まわし』と呼んでいた。

 聞こえない程度の舌打ちをして、作業に戻った。

 捜索と言っても、単純に探し回ればいいというものではなかった。形も大きさも分からないものを、広い遺跡内から探し当てなくてはならないのだ。与えられている示唆は『魔法に関するもの』だけだ。気が遠くなる作業だった。

 これじゃ、遺跡捜索というより廃墟漁りだ。俺の生業は捜索じゃなくて創作だっつーの。

 苦痛を伴う作業に、思わず愚痴がこぼれる。

 しかし、こっちだっていつまでも手をこまねいてなどいない。反旗を翻す準備は進めているのだ。もう少し、あとちょっとだけ仲間を得られれば……。  

 突然、ズィービッシュの耳に軽やかな音色が入り込んだ。作業を再開して、十分と経ってない。

 思わず後ろを振り返ったが、状況は先程と変わっていない。男たちが、やる気のない顔で土を弄っているだけだ。

 再び、音色が響いた。ズィービッシュは、シャツの上からクエリの首飾りを握った。

 聞き間違えるはずがない。こいつが共鳴しているんだ。まさか、ナタニアが近くに来ているのか?


「…………」


 迷ったのは、ほんの数秒だけだった。ズィービッシュは立ち上がり、出口に向かった。


「おい、どこへ行く」


 コーザがズィービッシュの前に立ちはだかる。ご丁寧に銃を構えて威嚇している。

 アウトローにでもなったつもりか? 裏切り者のクソが……。

 心の中で罵り、口からも同様の言葉を吐いた。


「クソだよ。クソ。朝飯があたったらしい」

「噓を言うな。他の奴はなんともないぞ」

「俺はデリケートにできてるんだよ。はやく行かせてくれ。漏らしちまう」

「ダメだ」


 コーザは、銃口をズィービッシュの胸元に合わせた。しかし、ズィービッシュは怯まなかった。コーザの目は完全に泳いでいる。舐められたら示しがつかないと必死に虚勢を張っているのが透けて見えた。これでは、こんな至近距離でも当てることはできまい。


「じゃあ、ここでしちまうぜ。こんな閉鎖された場所でクソを垂れたら、匂いが充満して、捜索どころじゃなくなるぞ」

「ふざけるなっ」

「ふざけてなんかいねーよ。もう限界だ。やらせてもらうぜ」


 ズィービッシュは、いきなりデニムパンツをずり降ろして、下半身を丸出しにした。そして、しゃがんで力み始めた。


「ばっ」

「むむむ……」

「馬鹿野郎っ。ズボンを履けっ。さっさと便所に行ってこいっ」

「へっ、はじめからそう言っときゃいいんだよ」


 ズィービッシュはデニムを上げると、ベルトも締めないまま小走りした。コーザに一瞥くれていたので、どんっと前から歩いてきた男とぶつかってしまった。


「おっと、すまない。急いでるんで」


 これ以上、余計なトラブルを起こしたくなったズィービッシュは、そそくさと足早にその場を去った。男はなにも言わなかったが、ズィービッシュの背中をじっと見ている。射すくめるような視線に冷や汗が出た。

 たしか、エンリィ・チェインとかいったな……。

 この街から掻き集めた連中とは違う。元々、『あいつ』と一緒にこの街に居ついた男だ。心酔どころではない、狂信的に『あいつ』に仕えている『信徒』の一人だ。

 薄気味悪い連中だぜ……。

 ズィービッシュは振り返らず、出口に急いだ。

 


 遺跡を出て、日の光をまともに浴び、ズィービッシュは思わず目を細めた。

 見渡したところ、ナタニアの姿はない。捕まっている妹の泣き顔を想像していたので、とりあえずは安堵した。

 あいつ……、おとなしく待ってろと言ったのに。

 たしかに、詳細も伝えず、しばらく帰らないだけでは、心配するのは無理もない。だからと言って、乗り込んでくるなんて無謀過ぎる。

 ズィービッシュは、ナタニアの危機感のなさに苛つくと同時に、我が身を案ずる優しさが嬉しくもあった。

 トイレに行くと言って出てきたので、そっちに向かって歩き出した。

 このクエリでできた鈴の音は、お互いに共鳴しあって響く。距離が近づけば近づく程、音が高らかになるので、おおよその位置が分かる。

 周りの喧騒を無視して、鈴の音だけに聴覚を集中させた。心なしか、音程が先程より高い気がする。

 少し歩調を速めた。くそっ、音が途絶えた。……いや、聴こえる。どんどん音色が高らかになる。この方向を進んでいけば、ナタニアを見つけられる。運がいい。変にうろちょろせずに済む。

 集落の中にある共用便所に近づいた。入口で猿まわしに睨まれたが、トイレに入る人間にまで、いちいち注意しない。ズィービッシュがにかっと笑うと、眉をひそめて、早く入れと顎をしゃくった。

 中は全て個室で区切られている、三人で満席になる小さな共用便所だ。ズィービッシュは真っ直ぐに進んで、奥に取り付けられた窓から表に出た。

 遺跡が残る一画を抜ければ、そこはもう深い緑に覆われた森の中だ。逃げ出すのは造作もないことだが、それはできない。ディビドを守るためだ。『あいつ』も猿まわしもそれが分かっているから、逃亡防止には力を注いでいない。監視しているのは、捜索作業が滞りなく進んでいるかを見ているのだ。

 いっそ、街の連中を見捨てて、妹と一緒によその街に移り住もうか……。

 そんな考えが過ぎる。そして、湧き出た誘惑とディビドに育まれた者の義務との間に挟まり、身動きが取れなくなる。

 これは罰だ。

 人は誰でも、祝福を受けてこの世に生まれる。我が子の不幸を願いながら出産する母親などいない。俺は逃げ出して、自ら親の祝福を手放してしまった。これはその報いだ。

 ズィービッシュは、心に迷いが生じたり挫けそうになるような事態に直面すると、これは贖罪だと言い聞かせる癖があった。とくに、妹であるナタニアを幸せにするためなら、どんな犠牲も厭わないと決心していた。


「ナタニアを探さなくては……」


 一瞬過ぎった迷いで止まってしまった足を、再び鈴の音に向けて動かした。一歩進むごとに、鈴の音が近づいてくる。間違いない。この先にナタニアがいる。

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