第17話 しじまの語らい
光来は、紅茶を一口含み、アトリエに置いてある像を眺めた。
「それにしても、上手いもんだな。まるで生きている人間を固めたみたいだ」
こっちの世界に飛ばされてから、初めて血生臭い争い以外のものに触れた喜びが、光来の口数を多くさせた。
下手な比喩だったが、褒めてくれたのは分かったナタニアは、にっこり微笑んだ。
「キーラは造形に興味があるの?」
「いやぁ、美術なんかさっぱりで。ものを作ったのなんて、子供の頃、プラモデルを作ったくらいかな」
「なにモデルですって?」
「あ、いや……。俺の村にあった玩具で、予め作られた型を組み上げて作るんだ」
「初めから形ができてたら、つまんないんじゃない?」
「それが、結構、奥が深いんだよ。みんな好きに改造するから、それぞれの個性が出るんだ」
「へえ……。なんだか面白そうね」
「面白いよ。ロボットの関節をいじって可動範囲を広げたり」
「ロボット?」
光来は、調子に乗って喋りすぎていることに気付いた。こっちの世界では、会話の内容にも気を使わなくてはならない。
「……からくり人形のことだよ。そいつを元の形よりかっこよくするんだ」
ナタニアはくすっと笑った。
「キーラって想像力が豊かなのね。子供みたい」
「そうかな?」
「兄と気が合うかもね。ズィービッシュも、いつまで経っても子供みたいなの」
「まあ、男はいくつになっても、ね」
静寂の中を、柔らかい時間が通り過ぎる。ナタニアにとっては、不安と緊張が続いた日々に訪れた、貴重な時間だった。
「……リムのことだけど」
会話に区切りが付き、少し空いた間を狙うように光来が切り出した。
「悪く思わないでほしいんだ。言い方はあんなだけど、お兄さんのことは、ちゃんと考えてるよ」
ナタニアは、紅茶を一口飲んだ。それを言うために、わざわざ顔を出したのだろうか。そんな考えが過ぎった。
「気にしてないわ。不器用なのね」
「不器用……。そう、不器用なんだよ。彼女は」
リムを庇う光来を見ると、微笑ましくなる。彼も相当に不器用だ。
「彼女、気持ちを張り詰めてるわね。心に梁を架けて、必死に崩れ落ちまいとしてるって感じ」
「そうかな……。そうかも知れない。彼女もいろいろあったから」
「好きなのね」
ナタニアのストレートな言い方に、光来は虚を突かれた。そして、慌てた。
「そんなんじゃないよ。リムとは、行きずりで一緒に行動するようになっただけで、旅が終われば離れ離れになる関係さ」
「そうなの? 旅が終わっても一緒にいればいいじゃない」
「こっちには長くいられないんだ」
ナタニアは、こっちという表現が気になったが、深く追求しなかった。
「ふうん。お似合いだと思うけどな。じゃあ、あのシオンって娘は?」
「あの娘も同じだよ。いずれは、自分の家に帰るんだ。旅が終われば家に帰る。そういうもんだろ?」
光来は、自分が発した言葉にぎこちないものを感じた。
自分は元の世界に帰るし、シオンはワイズの元に帰るだろう。しかし、リムは? 天涯孤独の彼女は、すべてが決着したらその後はどうするのだろう。家族の敵を追い旅を続け、青春を犠牲にして生きてきた。この旅が終わった時、彼女は新しい人生を迎え入れられるのか?
誰かに恋したり、バウンティーハンターなんかではなく、もっとまともな仕事に就いたり、家に帰ったら温かい食事をとり、マシュマロのようなベッドで眠る。バリィ・ガーラントがうんざりだと唾棄した、当たり前の生活を手に入れることができるのだろうか?
彼女のこれからの生き方を想像し、胸が締め付けられた。
「どうしたの?」
ナタニアの声が染み込む。
「あ、いや……」
リムやシオンが持っていない、ナタニアの包み込むような優しさに、つい口が滑りそうになる。自分がこことは違う世界の住人であること。この旅の目的。グニーエ・ハルト。なにもかも打ち明けたくなる。
混濁した思いを、紅茶と一緒に飲み込んで、光来は立ち上がった。
「ごちそうさま。もう休むよ。明日、いや、もう今日か。早くに出発するらしいから」
「そう。ワタシはもう少しだけ進めてから寝るわ」
光来は、ナタニアが作業していた胸像を見つめた。まだ仕上がりまで何段階か必要らしく、その胸像の表情は、微笑んでいるのか、翳っているのか、はっきりとは判断が付かなかった。
翌日、日の出と共にナタニアのアトリエを出た。まだ、街が目覚めていない時間だ。光来は空気の透明度が高いような気がした。
「気をつけて。兄のことを、よろしくお願いします」
ナタニアは何度も繰り返した。誰かに見送られながらの出発は、こっちの世界に来てから初めてだ。
「少し肌寒いな」
「ん……」
光来はリムに話し掛けたが、素っ気ない返事しか得られなかった。昨夜から気になっていたが、リムの様子が少しおかしい。沈んでいると言うか、物思いに耽っている。
「どうかした?」
「ん? んん、なんでも……」
光来の心配も上滑りだ。彼女のことだから、きっと大丈夫だろうが……。
シオンを見た。彼女はいつも通りだ。いつも通りに無表情で、なにを考えているか読めない。シオンに、リムに注意を払うよう言っておいた方がいいかも知れない。
なんだか、ゾワゾワする。
光来は、早くも気持ちが強張り始めていた。
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