第12話 夜の襲撃

 囁き声は次第に明確になったいき、強引に闇の深い場所から引き揚げられた。

 まだ覚醒しきれていない頭にリムの声が響き、それが囁きと表現するにはふさわしくない緊張を含んだ声だと気付かされる。


「……なさい。起きなさい。キーラ」

「んん……リム?」


 光来は、すぐ横にリムの気配を感じ取り目を開けた。室内は暗い。日はとっくに沈んでいたようだ。


「リム、こんな時間にどうしたんだ?」


 光来は言ってから、こんな時間とは何時なのか分からないことに気付いた。暗さの濃度から、深夜だと思い込んでいたが、それらしい静寂とは雰囲気が異なる。夜が連れてきた闇に惑わされてしまっている。

 リムが止める間もなく、光来は挿しっぱなしだったイヤホンを外し、スマートフォンの時計を見た。こっちの世界と元いた世界では、時間はそれほどずれていないのは確認済みだ。

 タッチスクリーンに大きく表示されている時間は九時三分だった。寝入ってから三時間程しか経過していない。


「それなに?」


 いきなりシオンの声がしたので、光来は体が跳ねる程驚いた。寝ぼけ眼だったので、リムの背後に立っていたのに気が付かなかった。

 リムが目を吊り上げて睨んでいる。


「シオン? いや、これは……」


 光来は慌てて取り繕おうとした。スマートフォンは現代人の必須アイテムだが、それは飽くまで光来の世界での話だ。こっちの世界の住人には、理解を超えたオーバーテクノロジーだ。


「これは、あの、御守り代わりに持ってるもんで……」


 しどろもどろで、わけの分からないことを口走ってしまった。シオンには、いずれ自分が異世界の住人であることを打ち明けるつもりだったが、今の状況は唐突過ぎて、完全に機を逸してしまった。


「それよりも、早く準備をして」


 リムが助け舟を出してくれた。


「準備って……?」


 光来は、改めて今の状況を把握しようと考えた。まだ浅いとは言え、もう夜だ。男の褥に這い寄るように忍び込むなんて、まるで……。

 昨夜の、湖で目撃した二人の裸体を、嫌でも思い出してしまう。

 しかし、自分はまだ未経験。清い身体の童貞なのだ。いきなり二人を相手にするなんて、いくらなんでも……。

 唐突に、ワイズの豪快な笑顔が浮かんだ。


「ワシも、お前さんの年頃にはおなごのことばかり考えておった」


 ええい、ひっこんどれ。ジジイ。

 頭を振って、慌ててワイズを追い出す。


「なにしてるの。早く身支度しなさい」

「え? 身支度?」


 その一言で、思春期特有の馬鹿らしいほど乱れた妄想から脱した。落着いて見てみれば、二人とも日中の服装で、銃まで装備している。このまま出て行っても問題ない身なりだ。

 ここに至って、光来は、ようやく呑気にしていられない事態であると気付いた。

 言われた通り、ベルトを絞め、帽子を被り、上着に袖を通した。その途中から、臆病者の武器とも言える、危険を察知するセンサーが働いた。階下から不調和で不愉快なにおいがした。物音を立てないよう注意しているが、毛羽立った気配が不安を煽る。そんなザワザワするにおいだ。


「なんだ?」

「しっ」


 リムは人差し指を口に当てた。光来に下がるよう手振りで指示を出し、そっと扉を開けて廊下の様子を窺った。

 何人もの、固い表情をした者たちが階段を上りきって通路を塞いでいた。誰が最初に踏み込むか、決めあぐねているようだ。動きに統率がなく、素人の集団だとすぐに分かった。


「シオン、シュラーフを使いなさい」

「分かってる」


 リムは、扉の隙間から覗いたままデュシスを抜いた。シオンも銃に手を掛ける。

 業を煮やした若い男が、階段を登りきった場所で固まっている者たちを押し退け、一歩前に出たのが見えた。集団の中でも、大柄な身体の持ち主で、頭一つ分抜き出ている。

 集団を相手にする時には、リーダー格を真っ先に片付けるのが常套手段だ。群れをなす者のほとんどは、頭に付き従うだけで主体性がない。しかし、それが却って強みになることもある。先端が明晰な者ならば、指示に従う者たちは、鋭い刃や堅牢な盾となる。


「…………」


 リムは躊躇いを覚えた。首謀者が誰であれ、今、この瞬間、皆が頼りにしているのはあの大柄の青年だ。あの青年を仕留めさえすれば、殺気と慄きが入り混じった行進を止めることができるかも知れない。しかし、纏まりのない即席の寄せ集めだ。逆に混乱を招いて暴走を引き起こす危険性も孕んでいる。

 どっちにしても、ただ待っていたら蹂躙されるだけだ。吉と出るか、凶と出るか……。


「しゅっ」


 リムは青年の足下を狙って一撃放った。張った空気を引き裂く銃声が響いた。

 撃たれた青年は前のめりに倒れ、そのまま深い眠りに落ちた。

 短い悲鳴が通路を満たした。

 リムは既に次の標的に狙いを定めていたが、指先は軽く引き鉄に触れたままで、二発目は撃たなかった。

 どう転ぶ? リムは逸る気持ちを抑えて待った。

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