第11話 道標
光来たちが一晩の寝床に決めたのは、『穴蔵』という名の宿屋だった。その名に反して、中は明るく清掃も行き届いていた。名の由来は鉱山に掘られる坑道を捩ったというところか。
三人の来訪で、穴蔵の主は顔を強張らせた。明らかに歓迎されている感じではない。態度も声音もよそよそしく、とても客商売をしている者とは思えない程だ。部屋を借りることはできたが、宿泊代を期待したのではなく、断る口実が見つからず渋々招き入れたのが分かった。
ここまで煙たがられるなんて、俺たちはディビドの人たちにとって、よほど厄介な存在なのだな。
光来の中で不安が膨らんだ。行く先々でトラブルに巻き込まれている。臆病者ほど危険を敏感に察知する。甘いとも苦いとも言い難い液体を胃の中に流し込まれたようなざわめきは、よくないことが起こる兆候だ。
「お部屋は三室ご用意すればよろしいですか?」
固さを纏った声とは裏腹に、言葉遣いは飽くまで丁重だ。それが余計に居心地を悪くした。
「いえ、一つでいい」
「一室、ですか?」
主が不思議そうに訊き返した。驚いたのは光来も同じだった。
「あの……、リム、さん?」
光来の腰の引けた声は無視され、リムは部屋の注文を始めた。
「ベッドが三つある部屋はあるかしら?」
「……いえ、生憎と三つ入れてある部屋は……二つある部屋ならご用意できますが」
「他の部屋から一つ運び入れられない?」
「いや……、さすがにそれは……。いかがですか。お嬢さんお二人で二人部屋に泊まって、そちらの方は一人部屋というのは」
そちらの方と言う時、ちらりと光来を見た。
「そうね。それじゃ、二部屋お願いする」
「承知致しました。それでは、お部屋は二階になります」
リムと光来はそれぞれ鍵を受け取った。
カウンターに背を向け階段を上っても、凝視されているのが分かる。こんな感じで、ゆっくり休めるのか不安になる。
それにしても、今のやり取りはなんだったのだろうか。
部屋の前まで来ると、光来が問う前に、リムが口を開いた。
「それじゃね、キーラ。もう休んだ方がいいよ」
「まだ、宵の口じゃないか。眠れる時間じゃないよ」
「それでも寝るの。休める時に休んどきなさい」
お喋りは終わりだと言わんばかりに、リムはさっさと部屋に入ってしまった。後に続こうとするシオンの肩に手を掛けた。
「シオン。リムのやつ、なに考えてるんだ?」
「言ったでしょ。餌は撒いた。あとは待つだけ」
「待つ……。誰か来るのか? 接触してくる者ってのが?」
「……ならいいけど」
どういう意味だ? それ以外にどんな来訪者がいるというのだ。光来がさらに訊こうとしたが、階段が軋む音に邪魔された。
振り返ると、穴蔵の主が足音を忍ばせて上っているところだ。上りきる前に二人と目が合って、動きをぴたりと止めた。まだ部屋の前で立ち話をしているとは思わなかったのか、道端で寝転がっていた猫がなにかの気配を察知し、瞬時に警戒の姿勢を取るような止まり方だった。
「なに?」
シオンが問いかける。
「あ……、伝え忘れたことがありまして……」
主は少し間を開け、取って付けた感じで説明を始めた。
「お食事のご用意はできますが、ご注文されるなら、七時までにお願いします」
「そう。分かった」
シオンの素っ気ない返事。主はそそくさと戻っていった。
「それじゃ」
シオンも部屋に消えてしまった。扉が閉まる時、室内がちらりと見えたが、リムはもうベッドに横になっていた。
結局、詳しい説明は聞けなかった。モヤモヤしたものが残ったが、わざわざ扉を開けさせてまで説明を求める気にもならなかった。
光来は、一度階下を見下ろしてから、自分にあてがわれた部屋に入った。
窓を開けて目の前の通りを見下ろした。そろそろ買い物をする者から夜遊びに繰り出す者に入れ替わる頃だ。こっちの世界は照明器具が未発達なので夜が長い。
「…………」
窓を閉め、部屋の中をうろうろしたが、すぐにベッドに腰を下ろした。落ち着いたのはいいが、手持ち無沙汰になってしまった。こっちの世界にはネットがない。テレビもラジオもない。暇をつぶすには、初めて訪れた街を見物すればいいのだろうが、もう日も暮れかかっているし、街の人々からは距離を置かれている。とても出掛ける気にはなれない。
仕方なく、もう何度も繰り返し聴いた音楽を耳に流し込もうと、スマートフォンを取り出した。イヤホンを耳に差し込み、ベッドに勢い良く寝転がった。
そろそろ、リムに充電してもらわなきゃな……。
日本ではかなり有名なアーティストの歌を聴きながら、ぼんやりと思う。
こんなことをしていて、本当に元の世界に戻れるのか。
グニーエ・ハルトは、俺がこっちに飛ばされたのと因果関係があるのか。
そもそも、俺がこっちの世界に来た原因はなんなのか? なにか必然的な力が作用したのか。それとも、たまたま飛んできたボールに当たったくらい、くだらない運の悪さに巻き込まれただけなのか。
一人になると、知りたいこと、知らなくてはならないことが、洪水となって押し寄せてくる。頭の防波堤は決壊寸前だ。
「なにか……、なんでもいい。道標があれば……。トレッキングルートのような、確実な道標さえあれば、こんな思いは……」
さっきはリムに「まだ眠れる時間ではない」と言ったが、思っていた以上に疲労が蓄積されていたのか、横になった途端に意識が遠のいていった。
「道標が……」
光来は、なおも独り言をつぶやく。心地よい気怠さを伴いながら、夢の中へ、闇の中へと沈んでいった。
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