第10話 影を追う者

 その後、あちこちの酒場や商店に訊いて回ったが、対応はどこも似たようなものだった。最初は愛想笑いで迎えるが、話し始めると途端に口が重たくなる。あからさま過ぎて、勘ぐるなと言う方が無理なくらいだ。あまりの煮え切らない対応に、リムが癇癪を起して喧嘩沙汰に発展しそうになったところもあった。

「なあリム。これじゃ埒が明かないよ。違ったアプローチを考えないと堂々巡りだ」

 休憩を取るために入った茶屋で、光来は弱音を吐いた。いい加減、足がじんじん痛くなり、歩くのも億劫だ。


「……そうね。撒き餌はもう充分かしら」

「撒き餌?」


 光来の怪訝な顔に、リムはにっと微笑む。


「そろそろ宿を確保した方がいい。街中くらいはベッドで寝たい」


 シオンがカップを持ったまま提案した。たしかに、もう日が傾き始めている。それに、横になって足の疲れを癒やしたい。


「そうしよう。なっ、リムも今日はこれくらいでいいだろ?」


 光来はすぐに食いつき、リムに同意を求めた。


「そうね。餌も撒いて糸も垂らした。あとは待つだけだしね」


 先程から、リムの言っていることは要領を得なかった。消化不良になりそうなついでに、光来は二人に今日一日の感触を語った。周囲に聞こえないように、声を潜め顔を二人に近づける。


「なんか、この街おかしくないか? 全体的に秘密めいてると言うか、いや、絶対になんか隠してるだろ」

「怪しさ満載。だから……」


 シオンはリムを横目で見た。


「わざと騒ぎを起こしたのね?」


 えっ? と光来が驚くのとリムがニヤリとするのが、ほぼ同時だった。


「それで乱闘騒ぎまで起こしたのか」


 光来はあきれる思いだった。過度なやり方は必ず自分に跳ね返ってくる。彼女はそれを分かっているのだろうか。それとも、騒ぎを起こしたのが彼女の言う『餌』なのか?

 光来の心中を察したのか、リムは明るく言い放った。


「大丈夫だって。危ない橋は渡っても落ちない工夫はしてるから」

「でもさ……」


 リムの無邪気とも言える明るさが、却って光来の不安を掻き立てる。


「俺たち敵視されてるって感じだぞ。ことが動いたってトラブルにしか発展しない気が……」

「相手はディビドという街そのものなのよ。一枚岩であるはずがない。必ず接触してくる者が現れる」


 リムの自信は揺らがない。


「接触してくる者って……そいつが有益な情報をもたらしてくれるのか?」

「情報と、それから助けを求めてくる」


 光来の質問に答えたのはシオンだった。


「助け?」


 光来が訊き返す。さっきから疑問符ばかりが口から漏れ出ている。


「トラブルというなら、この街こそ問題を抱えている。それは結構大きくて、外部に漏らしたくない秘密を帯びたもの。キーラの言う通り、ここの人たちは何かを隠している」


 シオンは一気に自分の推察を述べ、ジュースを一口飲んだ。そして、

「ディビドの人たちは、私たちの聞き込みで秘密を暴かれるのを恐れている」と付け加えた。

 リムの考えも同じようで、黙って聞いている。

 秘密? シオンの言う通り、街ぐるみで隠蔽したがっている秘密があるとしたら、そして、それを俺たちが掘り返そうとしていると思われていたら、結構、いや、かなりやばいんじゃないか?


「なあ、それって……」

「そろそろ行きましょう。シオンの言う通り、宿を探さなきゃ」


 光来の言葉に被せて、リムが立ち上がった。シオンもカップを置いて席を立った。他の店同様、入店した時から、店主や客からの決して目を合わせない視線を感じていたので、光来も遅れまいと立ち上がり、店を出た。

 光来が薄々思っていることがある。

 もしかしたら、シオンもリムと同じくトラブルメーカーに属する方なのではなかろうか。一日も早く元いた世界に帰りたくはあるが、下手に藪を突いて蛇が出るのも勘弁してほしい。俺のような豪放さのない人間が問題の収拾役なんか務めたら、ストレスでどうにかなってしまうんじゃないか?

 磊落を絵に描いたようなワイズのことが頭を過ぎる。半分でいい。自分にもあの度量があればと思うのだった。

 そんな光来の心配など関係なく、既にことは動き始めていた。茶屋の端の席に、窓から光来たち三人を密かに観察している一人の若い女性がいた。


「…………」


 光来たちが茶屋から充分に離れたのを見計らって、彼女も席を立った。彼女に注目する者がいれば、少しだけ気負っているのが分かっただろう。どことなくぎこちなく、それでも、なんとか冷静を装って歩き出す。

 光来たちとの距離を保ったまま、尾行を開始した。



 山稜に掛かった太陽は、まるで隠れるのを拒むようにいつまでも暮れなずむ。今のディビドのようにグダグダとして、その眩しさに苛立ちが募った。

 さっさと沈んで、落ち着かせてよ。

 八つ当たりな怒りを太陽にぶつけ、ナタニア・カロンは木製の椅子に腰掛けた。乱暴に座ったものだから、ぎっと嫌な音が鳴った。

 ここは兄のズィービッシュ・カロンと二人で営んでいる彫刻店の工房だ。ディビドは鉄鉱石が主な採掘対象だが、副産物としてグラニートという石材も出る。鉱物としての値打ちはたいしたことないが、カロン兄妹の手に掛かれば、立派な彫刻やネームプレートなど、価値ある物へと変身するのだ。

 両親は既におらず、兄妹二人で懸命に生きてきた。しかし、ズィービッシュが数日前から行方不明になっている。ダーダー一家が出ていったのと入れ違いにだ。

 消えたのは兄だけではなかった。ダーダー一家が去った後、ズィービッシュを含む街の若い連中が様子を見に行った。それきり、帰ってきた者は一人もいない。ディビドの自警団に参加している若者たち、それに保安局の者まで姿を消した。

 当然、ナタニアは保安局に捜索の依頼をした。行先の心当たりはあるのだ。しかし、保安局側は「心配ない」の一点張りで話にならなかった。

 様子がおかしいのは保安局だけではない。ズィービッシュが行方をくらました日を境に、街なかには要領を得ない不気味な噂が飛び交い、住人以外の者、つまり商人や旅人等との接触は極力避けるよう、話さぬよう箝口令まで敷かれた。特にダーダー一家について触れてくる者には要注意しろとも言われた。

 いったい、この街でなにが起こっているのか?

 兄の行方を知るのがなにより優先だ。自分一人では無理なのは分かっている。しかし、あの三人の協力を得られれば、もしかしたら……。

 焦りが頭上にまとわりつく虫となり、考えが一向にまとまらない。

 ついさっきだ。捜していた三人組を見つけた。滞在していたダーダー一家について嗅ぎ回っているという三人組。

 こんな小さな街では良い噂も悪い噂も瞬く間に拡散する。至る所で騒動を起こしている彼らを見つけるのは難しいことではなかった。むしろ、困難の度合いが増すのはこれからだ。一介の彫刻師である自分には、彼らに接触する方法が思い浮かばない。あの三人は決して物見遊山でダーダー一家のことを聞いて回っていたのではない。れっきとした目的があり、それは彼らにとって、とても重要なことに違いない。いきなり面会を求めて助けを請うても聞き入れてくれるとは思えない。


「彼らの目的……」


 ナタニアは独りごちた。街の人々の話では、彼らはダーダー一家の滞在場所や、滞在中に誰か接触した者はいないかを聞いて回っていたらしい。滞在していた場所なら知っている。それを取引材料に使えないだろうか。

 ディビドの秘密……。みんなが必死に隠そうとしている事実とはなんなのか? それが暴露して、どのような結果をもたらそうと構わない。隠ぺいしたところで、根本的な解決にはならない。ただ先延ばしにしているだけだ。

 立ち上がり、彫りかけの彫刻を指先で撫でた。まだディテールに手を加えていないせいで、卵の殻ようなざらざらした手触りだ。工房内には出荷を待つだけの物や、造りかけの物が所狭しと置かれている。今、触れているのは、数日後に納品が迫っている品だ。

 もう生活の一部となっている石材を彫る音。ズィービッシュが奏でる槌と鑿のリズムカルな音がしないだけで、嫌でも兄の不在を思い知らされる。


「兄さん……」


 あれこれ考えても仕方がない。とにかく、会いに行こう。慣れない尾行をした甲斐があって、宿泊先は分かっている。ダーダー一家の情報と引き換えに、兄の捜索を頼んでみるのだ。

 先程まではなかなか沈まないと苛ついていた太陽が、いつの間にか頭をわずかに覗かせているだけの頼りない光源となっていた。

 ナタニアは意を決すると、乱暴に外套を掴み、外に出ていった。

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