第9話 丸い吊り看板の店

 通りを進んでしばらくすると、一軒のレストランが目に留まった。丸太をスライスして加工したらしい素朴な吊り看板が印象的だ。瀟洒過ぎず、かと言って退廃的でもない。いかにも街の定食屋といった感じの店舗だった。

 リムが馬を止めた。光来たち三人は同じ印象を持ったらしく、誰が言い出すこともなく、食事処が決まった。

 光来たちが入店すると、まず感じたのは、食事する人が集う場所独特の和やかさだった。耳障りにならない程度の会話と食器の音。光来は密かに胸を撫で下ろした。街中の寂れた様子から、店の中も同様の雰囲気を連想していたのだ。殺伐とした空気の中では、どんな料理を出されても美味くない。

 しかし、光来の安心と引き換えたのか、それまで楽し気に食事をしていた先客から、会話が途切れた。ほんの一瞬のことだったけれど、光来はその反応に心細くなった。リムとシオンが一緒でなければ、気づまりで踵を返して出てしまったかも知れない。

 小太りのおばさんが愛想笑いをしながらテーブルに案内してくれた。厨房を見るともなしに見ると、おばさんに自分の体重を分けてしまったのではないかと思わせる、痩せぎすのおじさんがフライパンで野菜を炒めていた。油が跳ねる景気のいい音がした。香ばしいにおいと相まって、食欲をそそった。

 光来は、夫婦で切り盛りしている店なのだろうと単純に推察した。

 席に着くと、まず水を運んできてくれた。ここらへんの流れは、光来の世界と変わらない。メニューを訊かれたので、リムは魚料理を、光来とシオンは肉料理を注文した。

 意識しないようにしているが、背中に視線を感じる。おそらく、向こうも背中でこっちを見ているのだろう。背中同士であるのに、見知らぬ他人と目が合ったような気まずさを感じた。

 光来たち三人のよそ者の登場で、店内にさざ波が立った。周りの客はそ知らぬふりで食事をしているようだが、確実に意識の一部を光来たちに向けていた。

 そんなに旅人が珍しいのか?

 いや、そうじゃない。光来は頭に浮かんだ疑問をすぐに打ち消した。この人たちは、妙に張り詰めている。仕事でミスをしたがとっさにトボけて、いつ発覚するか気が気でないサラリーマンのようだ。


「お待たせしました」


 小太りおばさんが料理を運んできた。凝った盛り付けなどしていない、色気のない皿だ。だが、決して素っ気なくはない。空腹で料理を待っている客に不満を抱かせない、絶妙なバランスである。

「お客さん、ここらへんじゃ見ないわね」

 おばさんが話し掛けてきた。なんでもない挨拶代わりなのかも知れないが、先程の狂言面爺さんと、見られずして感じる視線のせいで、探りを入れられている気になる。


「さっき、この街に着いたの」


 リムがさっそく料理に手を伸ばしながら答えた。少し焦げ目が付いた魚を一口頬張って「美味しい」と付け加えた。

 どこから来たのか、どこに行くのか、どういった旅行なのか、余計なことは一切言わない。シオンも同様だ。

 会話の継ぎ目を失ったおばさんは「ゆっくりしてってね」と言って厨房に戻ってしまった。

 少しだけ申し訳ない気持ちを感じながら、光来も肉に噛み付いた。美味かった。盛り付け同様、素朴な味付けだったが、大量の調味料でごまかし、ベッタリとした味付けのものより余程いい。

 周りの客から、ダーダー一家の噂が出ないか注意していたので、しばらくは会話のない静かな食事となった。

 耳に神経を集中させたが、ダーダーの話は一向に上がらなかった。肉を咀嚼しながら、光来はどんどん期待値が下がっていくのを自覚した。考えてみれば、噂話に聞き耳を立てて情報を拾おうなんて虫がよすぎる。光来がいた世界でもそうだ。情報は鮮度が命だ。どんな衝撃的な事件が発生しても、次々と新たに発生する事件が上塗りされて、あっという間に下層へと追いやられていく。ダーダー一家が通り過ぎただけだとしたら、話題にすら上がるまい。

 なにもないまま、料理はあらかた片付いてしまった。光来は当てが外れたなと諦念を膨らませていたが、リムとシオンが示し合わせたように仕掛けた。


「そう言えば、ラルゴでダーダー一家が壊滅したってね」


 その一言は効果を発揮した。足がつったようにビシッと場の動きが固まった。


「ダーダーは保安局に拘束されて、今頃はマズルに移送されてるはずね」


 リムに続いてシオンが言った。相変わらず抑揚のない口調で、天気の話題を口にしているようだ。


「あんたら、それは本当かい?」


 光来の斜め後ろのテーブルに座っていた年配の男が話し掛けてきた。向かいに座っている女性が「あなた」と引き留めようとしている。夫婦で食事に来ていたらしい。


「ええ。ワタシたち、ラルゴから今日ついたばかりなの。ワタシたちが出発する前日に捕まったわ」

「あのダーダーを捕まえるなんて。よほど凄腕の保安官がいるんだな」

「捕まえたのは保安官じゃなくて、賞金稼ぎよ」


 男はまばたきを二回繰り返した。


「そりゃあ凄い。レンダー・ダートンには多額の賞金が掛けられてたからな」

「なんでも、ダーダーが言うには、ラルゴに来る前はこの街に滞在していたらしいけど」


 十分に餌を飲み込んだ魚を釣り上げるようなタイミングで、リムは切り出した。男の好奇心がつんのめって止まった。妻らしき女性が避難の目を投げている。


「……そうなのか? ダーダーが言ってた? 本当に?」


 男の喋り方が途切れ途切れになる。咄嗟の機転が利くタイプではないらしく、明らかに不自然な対応に、光来たちの疑惑は濃度を深めた。


「あの連中が目立たないで滞在してたなんてあり得ないと思うけど、どこに寝泊まりしてたか知らない?」

「いや、知らん。ダーダー一家が来ていたなんて、今初めて聞いた」

「誰かと接触していたはずなんだけど」

「だから知らんよ。あんた、聞き間違えたんじゃないのか?」


 リムに話し掛けたのを後悔し始めているのが分かった。その時には、非難の視線は妻のみならず周囲の客や店舗の夫婦からも向けられていた。


「あんたら、なにが目的だ? なにをしにこの街に来た?」

「ダーダーに接触した人物がいる。そいつを探している」

「ダーダーと接触した者……そんな奴は知らん。いや、そもそもダーダー一家なんて来ていない」

「あなた、そろそろ……」


 しどろもどろになる夫を見かねたのか、夫人が割って入った。


「あ、ああ。そうだな。それじゃな。我々はこれで失礼する。おまえら、よそモンが余計な詮索はしないことだ」


 遠吠えというわけではないだろうが、男は一言ぶつけて席を立った。

 店内に張り詰めた空気が充満した。会計を済ませ、名も知れぬ夫婦は出ていった。テーブルの上には、まだ料理が残っている皿が見られる。

 どうにも気まずい雰囲気で居たたまれない。光来は、料理をすべてたいらげた後でよかったなどと、つまらないことを考えてしまった。


「ワタシたちも行きましょう」


 リムが立ち上がり、光来とシオンも倣った。もう背中で様子を窺うなんてまどろっこしい真似は誰もしていない。店内の全員が三人に冷めた視線を送っていた。

 リムが差し出した金を、太っちょおばさんが苦々しい表情で受け取った。入った時の愛想笑いはすっかり鳴りを潜めている。もしかしたら、金なんかいらないと啖呵を切りたかったのかも知れないが、そんなことができるのは有り余る程の金を持っている者だけだ。その日その日の収入を必死に稼ぐ者にとっては、どんな者の手から渡されようが金は金だ。


「なかなか美味しかったわよ」


 リムは、わざと挑発的に言った。こう言う時の彼女を見ていると、光来は胃を掴まれた気分になる。

 店内の刺々しさを無視して、さっさと出ていく。シオンも無言で続いた。残された光来は焦った。


「ほんとに美味しかったです。ご馳走様でした」


 おばさんの顔を見ずに礼を言い、二人の後を追った。

 光来は嫌な予感がした。人の好意や敵意は、些細なことがきっかけで生じるし、実にくだらないことで拗らせてしまう。会話によるコミュニケーション、相互理解が必要不可欠なのだ。しかし、大抵の人は相手の雰囲気や態度から手探りで距離を測る。自分が安心して相手と接することができる距離を。

 リムの、最短距離でグニーエ・ハルトに近づこうとする焦りは、時として刃となり触れる者を切り付ける。そして、一番怖いのは、彼女自身がそれに気付いていないことだ。

 大きな厄介事に発展しなければいいが……。

 ちらりとシオンを見ると、菓子屋だろうか、色とりどりに並べられたケーキみたいな菓子が並べられている台をまじまじと見つめていた。

 振り返り、二人に向って訊いた。


「なにか、デザート食べる?」


 彼女の飄々とした態度を見て、光来は心底羨ましいと思った。

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