第九話:REASON
〜♪〜〜♪♪〜
バイオリンだ。俺はダンの家の前に来ていた。門をくぐるとバイオリンの音が聞こえてきた。
あの日以来、何度がダンの家に来ていたが、まだ慣れない。家の前に来ると、少し緊張してしまう。でも帰る頃にはクレラおばあちゃんのアイスコーヒーで決まって気分が良くなり、緊張が解けるのだが。
今日はダンに呼ばれてきたわけじゃない。あのサーフィンでの感動を伝えたくて、つい足を運んでしまったのだ。今日は学校での選択クラスが違っていて会わなかったから、家に行くことにした。
ーピンポーン
少し緊張しながらチャイムを鳴らす。約束もせずに来てしまって迷惑だろうか。 そんな心配が胸をよぎった。
「はい、どなたで…サム!」
出てきたのはダンだった。来たのが俺だと知って驚いた顔をした。
「あ、悪い、来ちゃまずかったか?」
驚かれた俺は、少し決まり悪くなってそう聞いた。ところがダンは、次の瞬間大声で笑った。
「あはは!なんだよ、その断られた新米のセールスマンみたいな顔は?」
…新米のセールスマンって!
「なんだよ!人がせっかく…」
「ハハ、だって、友達の家に来るのにそんな、クク」
俺の反論もむなしく、ダンはまだ笑っている。俺は複雑な気持ちで彼を見つめた。とりあえず、迷惑というわけではなさそうだ。
「はあ、ごめん、ごめん。さ、迷惑だなんて思わないから入ってよ」
まだ笑いの治まらない様子で、ダンは俺を家の中に招き入れた。俺は盛大に笑われて、少々傷ついていたのだが。
「今バイオリンの練習してたんだ」
家の中に入ると、ダンはそう言った。 そしていつものリビングではなく、 二階に案内される。
「聞こえたよ」
俺は答えた。
「ああ、そういえば窓が開いてたね。ここが僕の部屋だよ」
そう言ってダンは廊下の一番奥の部屋の扉を開けた。目に飛び込んできたのは、大きな窓から見える景色だった。ものすごく綺麗な田園風景の。俺はしばらくそれを眺めた。
俺は今の今まで、この街を殺風景で、何もない、つまらない町。そんな風に思っていた。それがこんな景色が見れる場所があったなんて。
「窓を開けると風が入って気持ちいいんだ」
ダンは俺が部屋に入ったのを見るとドアを閉めた。
「こんな景色が見れるんだな、 この町も」
俺は呟くように言った。ダンの部屋から見る景色は特に素晴らしく見えた。
「この家は町外れだし、しかもここは丘だから。この眺めがすごく綺麗でさ。小さい頃、ばあちゃんちにくるのはいつも楽しみだった」
ダンは窓の外を眺めながらそう言った。そこで俺はずっと気になっていたことを訊くことにした。
「なんでダンはこの町に来たんだ?家族は別にいるんだろ?」
俺が尋ねると、ダンは肩をすくめながら即答した。
「家族から逃げたかったんだよ」
「…」
12歳の俺では想像できなかった答えが返ってきて、俺はしばし沈黙した。
「驚いた?」
「…家出かよ」
ようやく出て来たのはそんな言葉で、少しだけ目を逸らしてしまった。なんだか、聞いてはいけなかったような気がして。
俺の様子にダンはクスリと笑った。そして机にあったバイオリンを手に取ると、ケースにしまう。
「僕の家は音楽一家なんだ。父方の曽祖父から代々ね」
それが家出とどう関係するんだろう、と俺は思った。
「だから僕も小さいときからバイオリンをやらせられたんだ。バイオリンは大好きになったけど、先生は大嫌いだった。好きな曲も弾かせてくれないし、すぐコンクールに出させるし」
ダンはため息をついた。
「家族は家族で、コンクールで1位取ったらちやほやするくせに、2位とか3位だった日には練習室に監禁さ」
「監禁!?」
「同じだよ。学校も休まされて朝から晩まで練習、練習。ああ、うんざりだ」
ダンはリアルに思い出したのか、露骨に嫌な顔をして前髪をかき上げた。
「だから、父さんに言ったんだ。家を出るって」
「そうだったのか…。じゃあ、ここにいるってことは、許してもらえたってこと?」
「まさか。もちろん反対されたよ。でも僕は引かなかった。それくらいうんざりだったんだよ。しばらく色々とボイコットして口も聞かないでいたら、ようやく条件付きで許しが出て。あるジュニア・コンクールで最優秀賞っていうね。しかも最年少だよ?今までそのコンクールで最年少で最優秀をとった人はいないんだ。でも、それができたら、家を出てもいいって」
なんだか違う世界の話過ぎて想像つかないけど、それが難しいことなんだろうということは分かった。
「それで…その最優秀賞とやらは取れたのか?」
「サム、僕は今どこにいる?」
そう言ってダンはニヤッと笑った。
「ダン、お前ってすごいな」
「そんなことないけどさ。まあ、家を出れたから良かった」
ダンは再度肩をすくめた。俺は素直に、すごいなあと思った。俺が家出するとしたら、着の身着のまま無謀にどこかへ飛び出して行って、連れ戻されるーそんな光景が目に浮かぶ。
「今一緒に住んでるばあちゃんは母方で、特に音楽界とは関係がなくて。だから、僕がバイオリンで何を弾いても、綺麗な曲ねぇって言ってくれる。どこかの誰かみたいに、いったいどれだけ失敗すれば気が済むんだ! なんて言わないのさ」
そう言ったダンは、すがすがしく笑った。そうか、ダンは自分の好きなことに自信を持っているから、強要されて生まれたわけではない、バイオリンへの思いをきっと誰にも邪魔されたくなかったんだろう。
ダンは堂々としていて、俺より何百倍も大人だった。それをひしひしと感じて、俺は何も言えなくなった。ダンがとても眩しかった。少しだけ、羨ましくなった。
「どうしたんだよ?変な顔して」
気がつくと、ダンが俺の顔を覗き込んでいた。俺の心が見透かされてしまうのが嫌で、俺は目を逸らした。
「なんでもない」
「あーごめん、僕ばっかりしゃべっちゃったね。なんか話があったんだろう? 聞くけど」
ダンはそんな俺の思いを知ってか知らずか、思い出したように言った。ああ、そうだった。俺はそのために来たんだった。
「ああ、いや、大したことじゃないんだけど、…俺この間サーフィンやってー」
「サーフィン!?サーフィンやったの?」
俺の言葉をさえぎり、ダンがあまりに大声を上げたので、俺はびっくりして彼を見た。
「すごいや!ばあちゃんが聞いたら絶対喜ぶ!で?どうだった?楽しかった?」
ああ、おばあちゃんと孫も似るんだろうか。俺がスノボをやると聞いたときのクレラおばあちゃんと同じ、キラキラした顔が今目の前にもある。
そんなダンがおかしくて、俺は笑い出したいのを堪えて、サーフィンの感想を述べた。
「そうだな、波に乗れたときは、まるで宙に浮いてるみたいだった」
あの眩しい太陽の光を思い出して俺は言った。自分がいかに小さいかを思い知らされた瞬間を。
「はじめは恐かったんだ。でも水面がキラキラしてて、なんだか安心して…思い切って飛び乗って、見えたのは雲ひとつない空だった。最高だったよ」
ああ、どう言ったらあの感動が伝わるんだろう。きっとあれは体験しなければ分からない。俺はダンにあの空を、あの太陽を見て欲しいと思った。だからとっさに言っていた。
「ダン! やってみないか? サーフィン」
「え、ええ? そんな、無理だよ、僕は運動はぜんぜん駄目だし…」
「大丈夫だよ、俺だって初めてだったんだ。でも大丈夫だった。サーファーの人に教えてもらったんだ、きっとできるよ」
「でもサムはもともと運動好きだし…」
「そんなビビることないって!そうだな、今度の土曜は?晴れたら行ってみようぜ」
俺はこのときあまりに興奮していて、ダンがどんな顔をしているかなんて見ていなかった。
あんなことになるって知っていたら、こんなこと言い出さなかったのに。
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