第5話 帰還


 窓の外は吹雪の様相だった。街灯の光も黄色くかすんでいる。ニュースはかなりの積雪を警戒し、暖かい部屋にコーヒーの香りが漂っていた。

 部屋の壁をスクリーン代わりに、潤子がフォトショップで手を入れた写真を映し出していた。コンピューターは足立が操作し、潤子が解説を挟む。坂本と荒川は初めて見る画像だった。霧のようにうごめくそれは確かに自然現象と違う。レイは口を押え悲鳴を飲み込んだ。オジが立ち上がり映し出されたそれを撫ぜるように、壁に体ごと抱き着いた。

「お二人とも見えるんですか」

 潤子は驚きの声を上げた。

「これが天から降りてきた、俺に声をかけたんだ」 

「あたしにまとわりつき、なにか話してた。恐怖と絶望で悲鳴を上げた私を優しく包んでくれた、命を守ってくれた」

 レイは過呼吸気味に言葉を発し、自分の体を抱きしめる。生々しい記憶と衝動があふれ出てくる。

 オジが振り返りみんなを見回す。

「いまこの空間にいて、空に帰ろうとしているんだ」

 足立は息をのみ足元を確かめるようにつま先をトントン叩く。

「俺が撮った写真に、本当は何が写っているんだ。俺には意味が分からん」 

 イラつく坂本が押し殺した疑問を投げかけ、荒川が巧に鋭い視線を向ける。柘植に聞かされた意味がやっと理解できた。EMS攻撃が某国でなければ、何らかの通信手段で、未知の生物かもしれいぞ、笑いながらの口調に違和感を覚えた記憶がある。

「私たちが調べた限り悪戯じゃない、何か心霊的な現象だと思っていたんです」

 潤子は首を横に振る。

「君はどう思う?」 荒川が巧に聞く。

「柘植をたきつけたんだってな、航空自衛隊に動きがあると」

 慌てて立ち上がり、顔を赤らめた。

「発端は亡くなった従兄の裕樹さんの事故の時に、歩道で頭がおかしくなった奴がいたんだけど、同じ時間にバスの運転手も含めて3人が異常な行動をした。僕は柘植先生にそのこと、話したんだ」

 巧は続けた。

「裕樹さんの葬儀に古くからの友達が集まって、不謹慎だけどホラー小説みたいな話で盛り上がり、その時に自衛隊に食料品を収める出入りの業者さんから聞いた話ということで、レーダーに映った幽霊というのがあった。それも裕樹さんが死んだ同じ時刻。そういえば霊感の強いアイドルが死んだとか。そんな話題で通夜がにぎやかになり、裕樹さんだったら絶対反対意見を酔っぱらって怒鳴り散らかすのになー、女の人が泣いて、悔しがっていた。先生をたきつけんじゃなく、宇宙から何かが落ちてきた、と僕の感想を言ったんだ」

「どうしてそう突飛なことになったんだい」

 坂本がレイをチラリと見てから聞く。

「葬儀の時の話やレーダーが捉えた物体が空から落下して、祐樹さんいたあたりで消えたんだよ。宇宙人しか考えられないでしょ」

 これだから男ってガキなんだ、潤子のため息に足立がにやりと笑う。レイは親指を立てて同意のサインを送る。それで? 潤子が巧のわき腹を突く。全部白状しなさい。

「柘植先生から調査を命じられて、潤子さんと一緒に荒川さんと話したり、データ集めたりして、どうしても宇宙生物説が頭から離れなかった。宇宙を旅する生き物が、何かの拍子に地球の引力に捕まり、重力の井戸に落ちた。助けを求めて叫び声を上げた。それが電磁パルスとなってヒトの脳に幻覚を幻聴を引き起こした。潤子が描いた画像を見て、先生はそう断言したんだ」

 研究室で柘植准教授が真剣な目を空に向け、助けを求める声に仲間が助けに行くとしたら、どんな方法を採るか聞いてきた。宇宙船、と答えた巧みに、首を横に振る。宇宙船ごと落ちてきたのなら隕石並みの衝撃波が発生してたはずだ、宇宙生物は海を泳ぐ魚のように、宇宙を回遊しているんだ、船に乗ってじゃない。

「先生はクラゲのような生き物を考えていたと思う。仲間を呼んで、長い手を地上まで伸ばして引き上げる。1回目は失敗したようだと、言っていた。自衛隊のスクランブルがあって分かったって」

「彼女たちが宇宙生物が見えるのは理由があるのかい」

 坂本が聞く。

「おそらくなんだけど、共感覚を持っているからじゃないかな。宇宙生物が仲間と連絡する手段で近くは電磁パルス、遠方は量子もつれを利用した共感覚と考えたんだ。簡単に言えばテレパシーだな」

 あっ、いま馬鹿にした。巧は坂本や荒川の表情に落胆が広がったことを見て取れた。量子もつれなんて柘植先生に解説してもらわなければ納得なんてできないだろうし、宇宙生物が暗黒物質、ダークマターをエネルギーにしているなんて説明したら、口もきいてもらえないかも知れない。しかし、現実の世界ではどの研究チームが最初に観測データを手に入れるかの競争になっていて、ダークマターが存在していることは共通認識となっているのだ。

「ただね、この話は僕と柘植先生の妄想に近いものなんだ、だから誰にも話さなかったんだ」

 視点はいいんだけどね。坂本が笑う、なんとなく合理的に理解できるからだろう。巧はホッとした。

「そうか、だから危険なんだ」

 荒川がうなずく。同時に柘植が考えていた警報の意味が身に染みてくる。考えをまとめるように荒川は言葉を続けた。

「永井君が話した通りなら、政府とか自衛隊、外国の諜報機関なども同じような結論を導き出すのは時間の問題。宇宙生物がいて捕獲できれば軍事的にも優位に立てる」

「それでうちの社に警察が来たの? 殺人事件とかじゃなくて」足立のため息。

「柘植はあちこちの伝手を頼って情報を得ていたんだ。どこかが気付いたんだ。柘植が宇宙生物を何とかしようとしていると。半信半疑が現実味を帯びたんで動きが活発になった。問題は日本なのか外国なのか」

「やだー。スパイ小説の狙われる側なの、私たち?」

 レイの間延びしたアイドル声に、間違いないね、坂本の顔に皮肉な笑いが浮かぶ。クスリと笑う足立に、荒川は場馴れしたように咳ばらいをする。

「権力が怖くて記事が書けるか、なめるなよ、一世一代のスクープだ。みんなには取材費だすぜ、経費使い放題で動けるぞ」

 オジが手を叩いて笑う。つられるように緊張感が体から逃げ出した。巧も潤子から背中をどやされ、笑い声を上げた。

 巧の携帯が震え、柘植准教授の名前があった。先生から、横から潤子がのぞき込む。



 荒川はいるか、柘植准教授の切羽詰まった声の奥から人の騒音が地響きのように重なる。いま、脱出しようとしている、非同期軌道スカイフックだ。気をつけろ、EMSが来る。最後の言葉は消えた。通信回線が途切れた。


 一瞬の瞬きと同時に、光が消え闇が浮かび上がってくる。無意識に聞いていた音が消えた。窓の外の雪明りだけがかすかに見える。携帯電話は死んで、明かりの助けにならない。あらゆる電子機器が死ぬ。

 電子部品の塊の自動車はすべてが動きを止めた。空調が消えると、シンとした冷気が忍び込んでくる。潤子が巧みに抱きつく、彼女のぬくもりが震えていた。誰も動こうとしない、その中でオジの姿がかすかに発光していた。

 あら、レイが微笑みを含んだ声を漏らした。足立はレイの声に誘われて部屋を見回し、蛍光塗料の塊が消えていく様に、感謝の感情が生まれた。潤子は巧の体に隠れ、オジが去っていく姿は見なかった。ただ、後悔の念が湧きあがり、消えていった。

 雪が舞う都会の空に、巨大な何かが浮き上がってきた。てるてる坊主のように大きな布の中心にボールを置いて持ち上げたような形だ。空中に浮かび上がったてるてる坊主は形を変えた。魚のエイのような形態で、ゆっくりと飛行しているようだ。眼下の街並みは、それが移動した周囲の明かりが消えていく。

 いきなりのブラックアウトが広がり、何人かの男女が雪が舞う空を見上げて、虹色に輝く飛行物体に気が付いた者は驚嘆の声を上げた。


 レーダーが捉えた物体は高度を下げ高速で移動してる。都心近くでは地上数百メートまで降下する軌道が計算された。そのスピードは驚異的で、プラズマ化した大気の激しい衝撃波が予想された。原子力爆弾何発分ものエネルギーで、都心は壊滅的な損害に見舞われる、レーダースコープを操作する自衛隊の士官は報告の声さえ上げることができなかった。緊急事態宣言と迎撃のためのミサイル発射は間に合わない。

 しかし、非同期軌道スカイフックは衝撃波なしに大気を切り裂き、目に見えない跡を残して再び大気圏外に戻っていった。レーダーには、一瞬、旅客機並みの反応の物体と接触した様子が記録されていた。

 同時刻、日本海を遊弋するアメリカのイージス艦に奇妙な動きがあった。ロシア、中国の各国にも軍事的動きがあったようだが、うわさはすぐさま否定された。

 首相官邸に報告が上がった時に物体は既にレーダーから消えていた。



 警視庁警備部公安課の池上は、都内のホテルで保護された男女6人から、オジなる人物がブラックアウト時に部屋にいたはずなのに消えたとの証言をもとに彼の捜索を命じられていた。出版社経由で関わった弁護士がオジの行方不明を不当逮捕と問題視したことも尻を叩かれる要因だった。オジの遺体が発見された第一報後、捜査が進むにつれ時系列の違和感に気が付いた。都内のホテルで会談したとされる日時には、オジは殺害され埋められていたということだ。

 池上が柘植准教授の研究室に訪ねたのは2月の底冷えの早朝だった。

 柘植は前回と同じように安物のコーヒ-カップで美味い紅茶を入れてくれた。あんたは紅茶が似合うよ、そうぬかした。

 柘植は毒舌を吐くでもなく、池上の時系列の違和感について話を聞き、我々の想像だ、そう断った上で話を始めた。我々って誰だ、そう詰問したかったが、絶対話すまい。それに誰なのかも推測がつく。

 非同期軌道スカイフックが地表すれすれに手を伸ばしたとしても、地上から数キロメートルほど上昇しなくては接触することはできない。その高度まで浮上したとして、ランデブーは一瞬だから、慎重な位置計算が必要になる。それをやれるのが、ホームレスのオジだけだ。おそらく、あの宇宙生物にはオジの持つ色を数字に置き換える能力が必要だった、地獄のような重力の井戸の中で唯一の存在だった。オジを失うことは絶対にできない。だから、オジが死んだとき、死んだ人間と全く同じ体をダークマターで作り上げ動かした。もちろん意識とか記憶も仮想現実的なシミュレートをした、でなければあのホテルに自分を助けてくれるチームを集めることができなかった。そう考えるしかない。

 池上はため息とともに大学を後にし、駅前の甘味処でやけのようにたい焼きを口にした。


 週刊誌の贈収賄事件報道が世間を騒がしたのは梅祭りの話題が流れるころだった。名前の出た多くの議員達は辞職した。その中で、大物議員に殺人の疑いで逮捕状といううわさが永田町界隈で駆け回った。しかし、うわさのまま立ち消えとなった。

 アイドルのランランがハリウッド映画に出演、というニュースが週刊誌にスクープされた。芸名も本名の近藤玲子からとったレイに変え、セミヌードに近い写真集の出版も話題となった。写真家の坂本雄介が撮影した物憂げなレイが都会を漂う妙になまめかしいものだった。

 最後のページに宇宙から眺める地球が収められていた。よく見ないと分からないが、映画好きなら「2001年宇宙の旅」に出てきたディスカバリー号らしきものが、日本列島の上を漂っているのが発見できるかもしれない。ちょっとした都市伝説を提供した。

 T大学の柘植准教授が発表した電磁パルスに脆弱な社会に警鐘をならす書籍がベストセラーになった。専門書にもかかわらず売れた理由に都内で発生した広範囲のブラックアウト騒ぎと絡めた推察がタイムリーなことを挙げる解説もあった。半年もしないうちに教授に昇格し、1年後には政府が推し進める研究開発機関の理事にまで担ぎ上げられた。やっかみやスキャンダルがあらゆるところから噴き出たが、長続きしなかった。

 柘植のベストセラー本で名前を売った荒川は、出版部門のトップとの声が社内の趨勢だった。ある日、スーツ姿の男たちが政府との機密情報に関する誓約書にサインを求めてきた。目の前のスーツの男は、部下の足立智子との不倫現場写真をしまうと、離婚するならいい弁護士紹介するよ、と名刺も置かず出て行った。

 出版社の一番目立つ応接室のソファーに傷があるのは、権力の圧力を屁と思わない編集者に、強面の刑事が蹴り飛ばした時のものだ、とまことしやかに語り継がれている。


 永井巧は柘植准教授の後釜を狙うと宣言した川名潤子に毒され、自分も同じ目標を心に誓った。




  完

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