第3話 接近


 

 昼間のオジは、目立たぬように動きはするが、夜ほどの危険は意識していなかった。通行人は無意識によけてくれるし、自分に危害を加える連中も、昼の人目が多い時間帯は躊躇する。だから、オジはいつもの縄張りを回って、食料や小銭、生活必需品を拾い集めていた。

 広葉樹の葉が落ちた公園は遠くまで見通せるせいか、意外に狭く感じる。期限切れ寸前の弁当とペットボトルの水をベンチに置いて、オジは早々の夕食に手をつけた。冬はものが腐るスピードが遅い、この弁当だって明日までは十分持つ。微かな幸福感に箸はすすむ。

 助けて、声がした。

 聞いたことのある声だ。オジは固まったまま木々の間に視線を向けた。再び声がした。すぐ近くからだ。あたりを探っても人の気配はない、ずいぶん昔、フラッシュの光の中で追われた記憶が浮かび上がってきた。段ボールの小屋から逃げ出したものの捕まり、痛めつけられた。助けて、オジは泣き叫んだ。その時、オジの言葉と重なるように、助けを求める気配があった。助けて、助けたらあたしも助けて、助けて、あたしを助けて、助けて。

 その後の記憶はない。オジは段ボールの小屋で目を覚ました、左足が痛み、激しい頭痛と、フラフラの体だけが意識に残っていた。あの時は、いまより少し気温が高かった。

 思考は飛び回り、気が付くと弁当は半分に減っていた。

 助けて、今度ははっきりと聞こえた。声の方向から、男が歩いてくる。マフラーを首に巻き、マスクをしていて表情は読めない。たしかにこっちに向かってくる、オジの警戒感が最大音量で鳴る。ゆっくり立ち上がると、影のように木々の間に姿を隠す。

 助けて、もっと大きな声がした。記憶にある娘の幼い時の声だ。助けて、俺の声だ。どこか遠い昔の記憶だ。

「×××、こんなところにいやがったのか」

 首の後ろをつかまれ、オジは仰向けに引き倒された。顔の横の革靴の匂いが記憶を刺激する。捕まえたか? 複数の足音が迫ってくる。オジは顔を振りながら、助けて、小さな悲鳴を上げた。足音は止まり、オジを見下ろす顔は五つを数えた。

「人違いじゃないのか」

 きれいな革靴と首にマフラー掛けた男がしゃがみ込んで、オジの顔を覗き込む。皮肉な笑いが唇に浮かび、パンと手を叩く。

「×××さん、私ですよ。嫌だな、忘れたんですか」

「さんざん探し回って、こんな近くにいたなんて。○○の奴からここで見かけたと聞いたときは金玉が縮み上がるほどビビったもんですがねー」

 男は言葉を切る。

「いやあ、これほど落ちぶれたのなら、こちらから出向えようってこいつらに言ったんですよ」

 声に笑いが含まれ始めた。

「黙って逃げてればいいものを、山っ気出したんですか。そうそう、娘さん、結婚しました。私が涙を流して喜んだら、号泣してました。おかしいでしょ」

 男は笑いながら、オジの頬を右手で撫ぜるように叩き、涙を流し、震える指先をオジの前に突き出した。

「あんたが、いつ警察に駆け込むか、ライバル議員にネタばらしするのか気が気ではなかったんです。まさか命まで狙われるなんてことも心配してたんですよ。ほら、震えがとまらんよ」

 知らない、助けて。オジは声にならない悲鳴を上げ続けていた。こいつ、なにを言ってるんだ。俺は知らない。妻子のために消えたんだ。福島に逃げて、そして、運よく別人になった。

 革靴の男が立ち上がり際に、オジの脇腹を蹴る。骨が折れる音がした。

「先生、いけません」 

 先生と呼ばれたマフラー男をマスク姿の男が抱かかえるように後ろに引きずる。オジは息を吐くも妙に現実感がない。

「畜生、いきなり逃げやがって。さっさと首吊ればよかったんだ。そうすりゃあ、たんまり金をやったのに。何年もビビッて生きてきた俺のことも考えろ!」

 オジは体を丸めて、すがるように見上げる。

「おい、帳簿のデータ持ってるはずだ、探せ」

 マスクの男に指示を出す。男たちの手が手荒に動き、首のネックレスを引きちぎる。そんなもんやる、助けてくれ。オジは口の中でごにょごにょつぶやく。仰向けのまま、男たちがネックレスの中から何かを取り出すのを見ていた。

「おやおや、なつかしいマイクロフィルムだ」

 マスクの男から受け取ったゴミのようなものを、薄いフイルムの間に収め二つ折りの名刺入れにしまう。

「今はね、これに価値が出たんだ。大先輩たちににらみを効かせられるからね。ほら、君が運んだ現金の届け先とサインがね、当時の秘書連中なんだ。そいつらもいまは議員様だ」

 革靴の奴が丁寧に説明する笑い声に、オジは自分が何をしたのか理解した。押さえつける力が緩んだすきに、オジは四つん這いで逃げようと手足を動かすと、背中に痛みが走る。息が抜け、そのまま大の字に体が伸びる。腹の下から、温かいものが流れ出し、急速に痛みが消える。

「助けて、俺、何も知らない。もう助けられない」

 オジは数日前の光景を思い出した。

 浮浪者狩りと称するガキどもの遊びに狙われた。オジはテントを抜け出し森の闇で、声を聞いた。助けて、逃げるのに必死なオジの脳はあらゆる可能性を探し回り、その声をキャッチした。助けて、声は哀願した。幼い声は自分の娘の声だ。声の中に色があふれ、色の中に方程式が見えた。ひどく複雑な方程式だが、オジは昔計算したことがあった。答えも解っている。

 オジの脳に数式が浮かび、感謝の声がする。

 助けて、オジは数式の海にもまれ、助けたんだから助けて、願った。助けたら助けてくれる? 幼子のような無邪気な思いにオジは、うん、といった。

 オジの中にある熱いものが、周囲に流れ出し、塊り、若者たちの視力奪った。視神経に刺激を与え急速に視力が落ちた彼らは自覚のないまま、近視のような状態で森を駆けずり周り、視力が戻った時はオジ別の木の下にいた。

 オジは涙を流した。急速に思考が回復してくる。救いを求めた幼子のような純粋なオジの声に救済の手を差し伸べた何かに、オジは詫びた。もう、助けることはできない。体から力が抜けていく。約束の時間に、君を空に押し上げることはかなわない。

 再び強烈な痛みがオジを襲った。

 同時に急速に視界が開けた。ふざけるな、オジの思考が明瞭に弾けた。お前の親父に汚れ仕事を押しつけられたんだ、それをさも自分の力がそうさせたかのように考える馬鹿に嫌気がさしただけだ。いかにもといった風に、わいろや口利きなどのやばいデータを持っているはずないだろう。

 怒りのうめき声が、言葉になった。

「馬鹿は死ぬまで馬鹿だ」

 


 坂本雄介は編集長の肩書を持つ荒川の要請に、アパートの外階段を上りながら「了解です」と答えた。いつもの持ち物にモバイルバッテリーを多めに準備するだけ、手間はかからない。前回と同じビルの屋上だから相手ビルには話を通しておいた、荒川が付け加え、明日の夜9時に集合となった。防寒の準備だけはしっかりと頭の中でメモし、ぶるっと身震いをした。アパートのドアを軽く叩く。返事を待たずに開けた小さな玄関に、薄汚れたスリッパが端に避けられていた。

 羽毛のシュラフの中で、若い娘が射るような視線を向けてくる。

 昨夜は仲間たちとうまい酒を楽しみ、暖かい懐と夢のような将来を語り合い、上機嫌で帰ってきた。どこかで意気投合したたのか、若い娘を持ち帰りしたようだった。前後の記憶をすっかり失い、化粧っけのない青白い顔とすらりと肢体を薄いガウンのみで包み込んだ娘を、ベットではなく、シュラフに押し込めてソファーに放り投げたようだ。

 目が覚め、シュラフの中の娘にため息を吐くと、轟音のする頭を抱えて、近くのコンビニにサンドイッチを買いに出かけた。普通の社会人は活動を始めている時間だが、坂本にとってはかなり早い朝の時間感覚だった。

 買ってきたサンドイッチをソファーの前のテーブルに置き、不信の視線を絡ませてくる娘に言い訳を始めた。

「昨夜のことはよく覚えていないが、君にいたずらはしてないはずだ。その薄着だって、着せてない。第一、君の着ていたものがここにはないだろ」

 理路整然と話したつもりだが、心の動揺は隠せないようだ。娘はフンと鼻を鳴らし、シュラフから上半身を抜け出した。

「お願いだから、シャツとパンツ貸してくれないかしら。そうすれば、悲鳴を上げないわ」

「了解」 さっきも同じような言葉言ったな、そう考えながら坂本は洗って仕舞ってあるワークシャツとカーゴパンツを放った。

「どこで会ったのか、覚えているかい」

 台所で薬缶に水を注ぎながら聞く。返事がないので振り返った目の前に、娘が立っていた。結構高い身長だな、坂本は場違いな感想を覚え、トイレなら向こうと指さす。

「覚えていないの」

 いきなり切り出す。

「名前を思い出せない」

 ぼろぼろ涙を流し、ペタンと座り込み子供のような泣き声を向ける。坂本はがっくり肩の力を抜き、ソファーに戻れと、と諭す。とりあえず、コーヒーを入れるから、それを飲んでから話を聞く。坂本はコーヒーサイホンのセットとコーヒーカップを準備し、娘がソファーに戻る気配を読んで、面倒なことになった、と眉をしかめたが、コーヒーを準備する作業に乱れはなかった。

 コーヒーのふくよかな香りに、娘の泣き声が消える。高級そうに見えるカップは、陶芸の体験取材で作ったものだ。巨匠の作品と間違える人はいないだろうが、はったりは効く。コーヒーを一口含むと、娘は目を丸くする。世界中に進出している専門店の場違いな味とは根本的にうまさが違う。砂糖やミルクなど不要の味だ。

 坂本はソファーの前の床に座ると、自慢げにもう一杯どうだ、とポットを掲げる。

「おいしい、信じられない」

無垢な表情を浮かべ、本来の表情を取り戻しつつあった。

「とりあえず、病院に行くしかないだろうな。本当に家出じゃないんだろう」

 うんうん、とうなずき再び顔をしかめる。どうしたものか、どこで拾ったのか記憶がない以上、仲間内での連れだった可能性がある。評判を落としめす行為は仕事に支障をきたす。かといって、あまり世話をやいて居着かれても具合いが悪い。

「あっ、大人の考えしてる」

 娘がいたずらっぽい目を向け、コーヒーカップを差し出す。坂本はあわててお代わりのコーヒーを注ぎ、テレビのリモコンを手にした。時間的にワイドショーが幅をきかせていた。適当にザッピングした中に、彼がスクープしたアイドルの恋愛を話題にしていた。スクープから2カ月近く経ち、既に話題は風化しているのに、坂本は忘れていた続きに意識を向けた。

 テレビ内では、若手の女子アナウンサーが「おめでとうございます」とクリップを画面にむけていた。そこには、二人の恋愛の時系列が案内されていた。いわく、純愛を貫きいよいよゴールが近いとさわやか美談になっていた。

「〇〇くん、ドラマで主役降ろされたでしょ。それで彼女の親に泣きついたのよ。したたかに計算しているからね、あいつ。私に耳打ちしていたくらいなんだから」

 娘が肩をすくめながら、仲間内でゴシップ話すように、解説する。

「口説かれでもしたの」 と坂本。

「まあね、でも年上過ぎるし私の好みじゃないわ」

「言うねー。彼女の方はどうなの」

「あの娘は純情よ。一緒に仕事した時もキャッキャキャッキャして楽しかったな」

「いつ頃の話?」

「ウーン、●●局のアイドル運動会でよ。10月の終わりごろ」

 軽口の後、言葉が途切れた。

「あたし、名前が思い出せない。だけど、この人知ってる」

 娘の動揺が手に取るように分かった。直後に、ソファーの上の顔色が生気を失い、唇が震えている。坂本は娘からテレビ画面に振り返った。

 芸能界のプロダクションに付帯しまくりの話題が終わり、アイドル失踪に移った。

 ランランこと近藤玲子さんが入院していた病院からいなくなったと所属事務所の社長が公表しました、アナウンサーが落ち着いた声で続ける。画面の半分にベッドの上でチューブや点滴につながった女性が映し出された。看護師や医師の姿はない。集中治療室という赤い文字がもう一枚の画像には映っている。その奥のベッドの姿に変わりはない。隠し撮りだな、坂本は直感した。画面の構図が変だ。

 アナウンサーの説明が元気な頃のランランが歌い踊る姿に重なった。2カ月前のテレビ局の事故で入院していましたが、ベッドに姿がみえないことに母親が気付きました。ランランさんは意識不明で、自分で動ける状態ではありませんでした。警察では昨日の昼過ぎに起きた集中治療室の発火事故とともに事件・事故の両方で捜査が始まりました。

 坂本は当初化粧をしていないこの娘が、ランランだとは気がつかなかった。しかし、彼女があまりに驚愕の表情をしているので、まさか、とつぶやくと同時に顔がアイドルのランランと一致した。

 過呼吸に近い荒い息づかいで、ランランは震えていた。

 テレビの中でコメンテーターが、意識不明の状態でいきなり目が覚めても動けないんじゃないの、医師らしき白衣のゲストに聞いていた。そうですねー、その医師は動けるはずはないと断言した。原因不明の昏睡と発表があったようだが、こんな長期の昏睡は問題ですね、と締めくくった。

 動けないなら誘拐? 

 そんな発言と勝手な憶測でワイワイした後、ランランの元気だった頃の動画に移る。

「私がこの子なの?」

「自信はないが似ているし、君は記憶が戻ってないの?」

「覚えていない、だけど、知っている気がする」

「連絡とってみよう、いいね」

「いや」 断固とした声だ。

「私はいや、頭の中で声がしたの、逃げろって。今もそう、あんたのそばにいるほうが安全だって」

 おいおい、こんなおっさんの方がよっぽど信用できないでしょう、坂本は皮肉な考えを抑え、何とか説得しようと向き合う。

「損得計算している、いやらしい」

 いやらしいと言われて弁解するほどの純情は持っていないが、何に不信感を持っているのだろう。それが何なのか、興味はある。テレビではしゃぐアイドルと今目の前にいる娘と、あまりにかけ離れている。ローマの休日ではないが、下心も湧いてきた。

 再び、娘が目を細めた。

「君のこと、何と呼べばいいのかな」

 坂本は皮肉っぽい顔を向けた。 



 柘植准教授ですか、研究室のドアをノックし返事を待たずに入ってきた男は、開口一番で聞く。近くの百円ショップで気にいって購入したマグカップにコーヒーを入れた直後だ。

「警視庁警備部公安課の池上と申します」

 気崩れしたスーツの内ポケットから警察手帳を取り出し、柘植の目の間に突き出した。しゃちこばった顔の写真から目を上げ、わざとこういう格好をしているな、柘植は熱いコーヒーで指先を温めながら黙って次の言葉を待った。

「先生にお聞ききしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「私でよければいくらでもお答えしますよ」

 皮肉かな、柘植は自分の性格に自己嫌悪を一瞬浮かべ、すぐに忘れた。逆にわくわく感が唇に浮かんだ。学生達が座る折り畳み椅子に座るように手のひらを向けた。

「では、先日航空自衛隊小松基地所属の整備の隊員とお会いしました。どのような内容だったのかお教え願いますか」

 直球の質問だ。高校時代の旧友が連絡をくれたのが3日前、素早い反応はかなり危機感を持っている証拠だろう。旧友にはすまん、と心の中で謝罪する。どちらにしろ、接触したのは事実だし、名前が割れている以上、隠すことに意味はない。

「コーヒーどうですか、ところで、刑事さんは二人一組なのでは?」

 柘植は客用のコーヒーカップを置き、肘掛椅子に座り直した。池上を少し見下ろすように腰の位置を直して、嫌な視線と向き合う。どちらの立場なのか、柘植は考え、一人で来た以上いろいろ面倒なことを省いてきたのだろうと結論付けた。まあ、こちは、身内は守らなければならないからな。

「スパイ罪で逮捕もあるんでよ、先生」

 押し殺した声に苛立ちはない。脅せば何とでもなると考えているのか。

 柘植のことを少しでも調べていたなら、逆効果だということを知らないのか。

「10月の中頃に隕石の落下をレーダーが捉えたという話をスペースガードの報告書で読んでね、それで旧友に確認したんだ。なにせ、隕石は簡単に追跡できないし。軍のレーダーって軍事機密だもんね。隕石の落下をレーダーで捉えていたが落下寸前にコースを変え消滅したそうだ。ところが、地表近くまで落下する隕石は必ず発光と衝撃音があるはずなのに、なかったとかなり衝撃的な話だ。俺が連絡とって聞いたのはこの件だけなんだが」

「先生、他にもあるでしょう。C国大使館の職員とかアメリカ大使館、R連邦など活発に接触していましたね。そのあたりも詳しく」

「うーん。あんた、知らなければ良かった、と後悔するよ。もう、遅いけど」

 柘植はパソコンを操作し、モニターを池上に向けた。日本列島と左上にC国。能登半島の上に当たる日本海あたりから、東京あたりまで一直線で赤い線が引かれている。ほぼ同じ位置にもう一本青い線が並んでいる。青い線は赤い線よりC国寄りに伸びている。

「二カ月ほど前に定例のような領空侵犯があって、新田原からスクランブルで上がった戦闘機は、レーダーで追跡したが目視できずロストした。夜間で天候が悪かったと正規の報告書にはあった。問題は目視でなく、通常は日本海を日本列島に沿って北上するのに、領空侵犯した物体は日本海から太平洋への横断コースとった。百里基地からも迎撃に戦闘機が出撃した。これは、完全に戦闘状態で防衛庁はパニックに襲われた。ペトリオットの発射命令もでた。なにせ、関東直撃コースだ。しかし、百里からのパイロットは敵戦闘機の確認はできず、レーダーからはポッと消えた。ペトリオットの発射数秒前。それが赤い線」

 言葉を切った柘植は池上が何か言う前に講義のような解説を続けた。

「次は一カ月前で、同じような領空侵犯があった。今度も前回とまったく同じ、違いは未確認飛行体の高度で弧を描くようだった。いきなりC国上空に出現し列島中央で高度一万メートルまで降下しその後は大気圏外に飛んで行った。今回も大騒ぎがあったが、ミサイルではないとの判断で東京上空のスクランブルは回避されたという。綱渡りの事態だったようだが」

 パソコンを操作し、今度は首相官邸を含む一帯の地図が表れた。

「謎の飛行物体が直撃したであろう一帯だ。まるで囲ってあるのが首相官邸と各国大使館だ。赤い点は交通事故の発生地点、大きくなるほど件数が多い。次は幽霊騒ぎだ、こっちは青。黄色はテレビ局で、ここはひどかった。番組収録中に電子機器がショートし火災が発生。その場にいた数人が意識障害を起こし、一人は今も集中治療室にいる。この円の中にすっぽり収まる。俺は当初、電子パルスとマイクロ波を併用した攻撃だと考えた。マイクロ波を浴びると脳は幻想を見ることがあるから、幽霊騒ぎや交通事故の多発も説明できる」

 理解できたかな、柘植は聞く。池上が居心地が悪そうな目を天井にむけた。

「政府はいろいろ対立しているC国の仕業と考えたのだろう。官邸スタッフの中には幻覚や意識障害を起こしたものも少なくないからな。ところが、C国はC国でアメリカを疑い、アメリカはC国を疑う。かなり情報は錯綜したようだ。さてさて、どこまで知らされてるんだか知らないが、これからが本題だ」

 先ほどの地図に、潤子が描いた地図を重ねる。すべての場所がブルーのマーカーの内側に収まった。

「再び話は飛ぶが、週刊誌の写真に幽霊が映っていると話題になったことがあった。交通事故の写真だったから、センセーショナルな扱いだった。ところが、その写真には何か不思議なものが見える人と見えない人がいるようだ。理由はいろいろありそうだが、とにかく見えるという人にどう見える描いたのがそのブルーの線だ」

 柘植は荒川から預かった写真を放るように池上の前に置いた。公安の刑事は硬直し、言葉を発しなかった。ただひたすら黒い空に浮かぶ靄の影を追う。柘植の目には夜の街並みしか見えなが、池上は空を覆う恐怖しか感じなかった。


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