4 庭園の姫君(1)
半月後……
褐色の岩と砂漠の中を進む凱旋軍の馬上でゆられている隆司の目に、緑の帯が地平線の彼方に見えてきた。
なんとか馬に乗れるようになった隆司に、心地よい早春の風が頬をなで、木蓮の香りを運んでくる。病院にいたころは
近づくにつれ草原から田畑となり、沿道には、畑仕事をしている人が見受けられ、黄帝の凱旋行軍に気がつくと手を止め、
さらに進むと、地平線に連なる巨大な城壁が霞むように鎮座しているのが目に入ってきた。
麗蘭の国都は、小国といえども壮大な城壁に囲まれた巨大な城砦都市で、黄帝の隊列が城壁の中央の大きな門をくぐると、沿道には多くの人が集まってきた。人々は隆司がくると、万歳するものや、年寄りなどは手を合わす者もいる。
隆司の横を並んで進む大柄の項越が振りむき。
「隆司殿の噂は、本国にも届いていますぞ。皆、大軍に囲まれて全滅の危機にあることも知らされていた。隆司殿は、黄帝の危機を救うだけでなく、蛮族の国を奪って帰ってきたのだ。彼らにとっては、命の恩人どころではない、もう神様のようなものだな」
そんな褒め言葉に隆司は、わずかに微笑んだだけだった。
死がすぐ隣にある世界。もし、負けていれば帰ってこられないのだ。
ここにきての思考の冴えは、今は単なる運によるものと思っていた方が無難だ、とても浮かれる気にはなれなかった。
******
遠征から帰った隆司は項越の屋敷に住むことになった。
数日後、次の遠征の御前会議があり、隆司は黄帝に呼ばれて中央宮殿を一人歩いていた。
まだ、時間があるので楼閣の途中にある庭園の椅子に腰かけて、使用人からもらったリンゴを食べはじめた。広い庭には、樹木や花が植えられ、小さい池も配置されている。
「明るい日本庭園みたいだな……」
すると、庭の向こうが騒がしい。
隆司が向かうと、艶やかな着物を着た若い姫君と、その周りに数人の従者が木の上を見ていた。木の上には冠をかぶった猿が一匹いる。
姫は周囲に「なんとかせよ!」と言っているが回りの従者も困っている。
「矢で射よ! 」
姫は怒鳴るように言うが
「殿中です武器の使用は………」
いらだった姫は
「役立たずが!」
さらに怒鳴り散らしている。側近の者が棒や網で追い、餌でおびきよせようとしているが餌だけをたくみに取って逃げていく。
隆司は腕を組んで見ていたが。
「ははん、あの猿の冠を取り返そうとしているのだな。たぶん冠は姫のものだろう。めちゃくちゃきれいな
隆司は周囲を見渡し小さな穴の開いた木を見つけ、猿に向かって持っているリンゴをみせつけた。
姫を始め周囲の者も隆司に気づくと、手をとめ隆司の行動に注目している。
隆司は猿が気づいたのを知ると穴の中にリンゴをいれ、その場から離れて後ろを向いて知らんふりをした。
猿は警戒しながらも隆司の置いた餌の穴に向かい、手を突っ込んで餌を探ると、急に手がぬけなくなりキャンキャンとあばれはじめた。
暴れている猿に、姫をはじめ数人がかけよってくると。じたばたしている猿がかぶっている冠を簡単に取ることができた。
姫は隆司に近づくと
「妖術をつかったのか! 麗覧の国は結界の中、妖術は使えぬはず。まして殿中ではさらに結界の力は強い」
姫はきつい口調だが、黒い眼を丸くして、羨望のまなざしだった。
薄紅をつけた細く潤いのある唇、すらりとした真白い首筋から頬に艶やかな黒髪の数本が川面のように揺らいでいる。隆司は、こんな美女にみつめられたことがない、少し桜花に似ているような気もする。
隆司は緊張しながら。
「い……いや、簡単なことですよ。餌を掴んだままで手が抜けないのです。餌を離せばよいことに気がつかないのです」
姫は隆司を感心しながら見つめている。
その後、手が抜けずに暴れている猿に従者が首輪をかけ、そのうち手が抜けて猿は自由になった。
「すまぬ、礼をとらせよう」
姫が言った瞬間、猿が姫の頭上を飛び越えた。驚いた姫がよけようとすると、着物の裾を踏んで隆司に向かって倒れてきた。
「うわ!」
隆司は、抱きとめると言うより、姫に押し倒されて下敷きになった。そのとき、隆司の右手はなにか柔らかいものを掴んでいる。
「こ……これは……」
姫もおどろいて
「は!………こ……このー!」
隆司の右手は、姫を支える形で姫君の胸を掴んでいたのだ。次の瞬間、隆司は姫の平手打ちをくらってしまった。
「どさくさにまぎれて、貴様は!」
「だって、急に倒れてきたのは姫ではないですか………それに叩かなくても」
「そ……それでも、胸をさわるとは。この破廉恥者が。もう礼はやらん!」
怒鳴られて、委縮した隆司は
「す……すみません」
気弱に謝ると、拍子抜けした姫は少しがっかりした表情で
「………貴様も男だろ、少しは言い返したらどうだ、情けない奴め。砂塵の谷の戦いで敵の名将イザルは、剣聖の春真君より賢者の軍師を討とうとしたそうだ。きさまなど賢者には足元にも及ばぬだろうが、多少知恵があるのなら、そんな卑屈な態度を取るな。見ていて歯がゆいは、さっさと立ち去れ! 」
従者は、冷や汗をかいて成り行きをみている。
隆司は小さくなって立ち去った。
******
隆司が去っていくと、姫は従者に向かって
「あんな軟弱な小僧がここで何している。殿中でなければ手討にするところだ。どうせ新参の小姓が迷いこんだのだろ。それより、お前たちもしっかりせんか! あんなやつに引けをとるとは」
従者達はおびえるように黙っている。
姫は疲れた表情で
「あー、やっぱり着物はだめだ! 見栄えよくしようと思ったが、あんな恥をかくようでは……しかたない、いつもの軍服にするか、部屋にもどって着替える。早くしろ! すでに隆司様が来られているはずだ」
「かしこまりました、シオン将軍」
従者たちは、着物にも関わらず大股で立ち去るシオンに、慌てて付いて行った。
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