ファンタジー心療

春夜如夢

第1話 軽めの……なんて?

 「ここであってるんだよな……。」


 消毒液の混ざった空気が鼻につく病院の待合室で、胃の辺りをさすりながら俺は手にした紹介状を眺め沸き上がる不安を口の中で呟いた。


 薄桃色の封筒の中央には担当だろう医師の名がありその隣に縦書きのスタンプで『ファンタジー心療科 紹介状在中』とある。


 これは決して医師の悪ふざけではない。


 ストレス社会日本において、人々は日常のあらゆる失望から精神疾患に陥る者、自殺者が急増。減り続ける出生率と相まって人口増加率は危機的状態にあった。


 ついに国の制度として医療に取り入れられたのがファンタジー心療。20代~30代の鬱傾向に絶大な効果があるという。

 通院中は休学、休職扱いだが申請すればきちんと最低限の生活補償がされるという。



 俺の場合は毎朝の吐き気に悩まされて受診したところ、かかりつけの内科医師に渡されたのがこの紹介状だった。


 静かながらもどこか耳鳴りに近い病院内のざわめきに鬱々とした気分が一層深まり、ため息をつく。そんな自分に内心辟易とした。他人の小さな会話すらわずらわしいなんて、偉くなったもんだと自虐的にもなる。


 勤務する会社内で人間関係のいざこざにうんざりし、20代半ばにもかかわらず朝は固形物が喉を通らないほど食が細くなっていた。


 俺自身心療内科のようなものを薦められるとは思って居たが渡されたのは一昨年から医療に導入されたばかりのファンタジー心療科の紹介状だったから正直、不安でいっぱいだ。


「お次でお待ちの柿本様~、柿本 一喜かきもと いつき様~」


「はい。」


「柿本様ですね、3番診察室にお進みください。」



 促されて行った診察室にはやや小柄な男性医師がいた。丸顔に坊主頭で銀縁の眼鏡。

 医師は立ち上がってにっこりと笑うとぺこりとお辞儀した。


「はじめまして、貝塚かいづかと申します。」


「あ、はじめまして。柿本です。よろしくお願いします。」


「どうぞお掛けください。あぁ紹介状、お預かりしますね。」


 ネームプレートには『貝塚 つとむ』と書いてある。紹介状の宛名はこの名前だった。人の良さそうな印象の医師だ。


 質問され、睡眠時間や朝の吐き気の症状と勤務時間の過ごし方、身体の調子など簡単に答える。


 口内を診てもらい歯の噛み合わせ、ベッドに横になって腹部の触診。

 関節の状態確認。痛みや動かし難いところがないか、何故か今日から一週間の予定も聞かれた。


「内科の先生の所見と合わせて考えますと、やはりストレスですね。

 適度な気分転換と運動で睡眠の質を改善する必要があります。あともっと野菜摂りましょう。

 20代の方にはありがちですけれどね。

 軽めの冒険を処方しておきます。

 楽しみながら行って来てくださいね。」


「は、……───はい?」


 診察の途中にさらりと混ざる言葉が理解できずにいると、奥から出てきた若いナースに貝塚医師はカルテを渡して指示する。


「初めてのご利用だから、うんと丁寧に説明してください。5番ゲート銅で3H4Dご案内ね。」


「はい、柿本様こちらへどうぞ。」


 やけに天井の高い部屋に案内された。若いナースは愛川 実奈あいかわ みなさんというそうだ。ふんわりとした雰囲気の美人さんだ。


 促されてゆったりした椅子に座ると、ごわついた紙を渡された。


「柿本様は急な処方でびっくりされていると思うので、まずファンタジー心療科についてご説明しますねぇ。

 非現実的な生活の提供による心身の健康、維持を目的とした心療を行っています~。

 現在、柿本様は心身共にお疲れです。速やかに一番ストレスから遠い生活を送る必要があるわけですね。

 そこで今回処方されたのはスローライフと少しの冒険、宿つき2泊3日コースです。

 こちらの画面をご覧ください。」


 口調の端々がやや間延びする癖のある愛川さんの説明に合わせて視線を動かす。


 手持ちのタブレットに映し出されたのはレンガ造りの家や町並み、遠くに見える森。畑で働く人や歩く人々も映る。


 顔は分かりにくいが服装はいつか見た中世ヨーロッパが舞台の映画そのものだった。


「こちらはリアルタイムの映像です。」


「ど……どういうことですか?」


「通常の生活空間や便利な街中にいてはすぐストレスのあるもの、例えばスマホやPC、ネットと繋がりが多すぎて会社や学校などをすぐ連想してしまいますよねぇ。

 そこで普段と真逆の『人工異世界』での生活を体験して大幅な気分転換、短期間での生活改善を図っていただきます。

 こちら5番ゲートから直通新幹線で一時間の距離にある特設フィールドが先程の映像の場所です~。」


 つるつると流れるような説明をした愛川さんが示した右方向。機械音と風を感じて視線をやると、白い壁に表示されていた大きな『5』が縦に割れ左右に壁が開いていく。

 赤銅色の流線形をした新幹線がそこにあった。


「お渡ししたには柿本様の身分証が印字されています。

 今回のフィールド入場時に必要ですので新幹線内に落としたり失くしたりなさらないようにご注意くださ~い。

 新幹線移動中はフィールド入場前の健康チェックと現代の衣類持ち物からフィールドに合わせた服装持ち物への交換を行ってくださいねぇ。

 貴重品は指紋認証型のセキュリティボックスをご利用ください。」


「ぁ、あの、え……今からですか?」


「はい、20分後出発ですねぇ。ファンタジー心療科は国の政策ですので休職届けは出発と同時に会社に発送されます。

 ご心配もあるでしょうが、会社側は社員の健康維持に尽力する義務がありますから否は言わせませ~ん。つまり柿本様はこちらの車両に乗るだけです。」


「そんな強引なことをしたら戻った後、会社から色々言われるんじゃ……。」


「大丈夫です。会社には二次対策として勤務環境改善の調査・指導に加え、かなり割りの良い助成金が入ります。旨味がある分今まで拒否や抗議を示した企業は在りませんでしたよ。まさにWinーWinです。」


「そんな大掛かりならお金も高いですよね……?」


「あくまで医療ですから。保険がきくので今回も通常の内科初診程度のお値段ですよ。」


「そう、……ですか。」


 ファンタジー心療科が提供する治療を受けるという名目で、異世界旅行に格安で行けると。


 マジか日本。良いのかこれが政府肝いりの医療改善策で。どんだけ赤字だよ。



「最終意思確認です。柿本様、特設フィールド行き新幹線・銅にお乗りになりますか。」


「はい」


 ────まあ、行くけれども。








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