第20話 れいは神を求めて生きることにした

 れいは、早々に教会を後にした。

 なんだか今まで体験したことのないような、不思議な空間だった。

 小さな子供を連れた親子連れ、少しいかつい顔の中年男性、眼鏡をかけたインテリそうなキーボード弾きの女性、そして野村牧師の母親であり、この居酒屋のオーナーであるぽっちゃり気味の女性。

 様々な人が、そろってゴスペルを歌ったり、聖書を読んでいる様子は、なんとなく不思議なまとまりさえ感じさせる。

 なんだか子供の頃に見た、コメディー洋画を彷彿させる。

 帰り道、れいはこんな言葉を思い出してみた。

 愛と好きとは違う。好きというのは、一時の感情である。

 親の反対とか、世間体によって左右されることもあるし、もっと魅力的な人間が現れると冷める場合もあるし、年月がたつと忘れ去る場合もある。

 愛も、人間の愛はあくまで条件付きの愛である。

 明るいから好き、親切だから、丈夫だから、賢いから、容姿端麗だからと好きの条件はあくまで長所である。

 要するに、自分に何を与えてくれるから、メリットがあるから好きになる。

 でもそんな愛の形は、いつか冷めるときが訪れる。

 いや、裏切りなど憎しみに変わる場合すらある。

 でも、真の愛はアガペーの愛のごとく、与える愛であるという。

 私もそんな愛の人になれたら、憎しみ、嫉妬、淋しさ、孤独感から解放されるのにとふと思う。


 翌日も、いつものようにスイートハートで勤務だ。

 昨日の続きの今日の居場所があることは、幸せなことである。

 早川がいなくなった今、ちょっぴり淋しいが、この仕事は楽しい。

 しかし、若い新人ばかりが入店するなか、れいはいつまで続くのかと不安にかられるときもある。

 まさか、一生涯スイートハートで勤務するなどということは、時代が許さないかもしれないし、私の受け入れ場所もなくなるかもしれない。

 次の道を探す準備をしなければならないときに、さしかかっているのかもしれない。


 現在、派遣切りが世間をにぎわわせている。

 派遣というのは基本、一か月契約で更新がなければ用済みであるが、正社員のように解雇ではないので、解雇理由も不明なままである。

 しかし、不況になったり、業績が悪化すると真っ先に切られるのが派遣である。

 最初からその契約で入社しているのだから、仕方がないといってしまえばそれまでだが、感情がそれについていけないのは当然であろう。

 自分は一生懸命仕事をしたのに、なぜ用済みなのだろうか?

 まるで居場所を追い出されたような淋しさと怒り、そして明日はどうなるだろうという不安から、矛盾と疑問が湧き出てくる。

 不況のなか、バブル時代のように、世間に安定とやすらぎを求めるのは無理なのだろうか? バブルというのは、働く汗が生み出したいっときの夢だったのであろうか?


 れいはふと、野村牧師のいる教会に通おうかと思った。

 ここなら、心のやすらぎが得られるかもしれない。

 イエスキリストのことはよくわからぬが、いかつい風貌の人も含め、いろんな人がひとつになって和を醸し出してるところが実に面白い。


 れいは最近、ネットの作詞サイトに入会した。

 いろんな人の作詞にコメントしたり、また逆に、いろんな人からコメントをいただくこともある。

「素敵な歌詞ですね。頑張って下さい」

「素晴らしい歌詞を有難うございました。リスペクトしちゃいそうです」

などと、れいの今までの人生からは、想像もつかない賛辞を頂くこともあるが、突っ込んだ批判もある。

 しかし、作詞サイトはあまり失礼なコメントは削除されるようになっている。

 作詞家の夢を抱き続け、生きていこう。

 夢は明日を、明日は未来を、未来が人生をつなげていく。

 早川は介護士を、隼人は未来喫茶を、そしてれいは作詞家の夢を抱き、それぞれ未来に向かって確実に一歩ずつ歩んでいる真っ最中である。

 原口もそんな夢をもってほしいものだと、れいは願った。


 END


 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢を現実に変える魔法は愛しかないでしょ すどう零 @kisamatuma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る