第19話 痴漢の冤罪の悲劇

 隅田はある株式市場一部上場会社に勤務していたサラリーマンであったが、ある日、電車のなかですれ違っただけの若い女性に腕を掴まれ「この人、痴漢です」と言われ、それを見ていた駅員に警察まで連行されたこと。

 隅田さんは、当時四十歳で子供も二人いたが、警察はあくまで正義の味方であり、自分は無罪だから話さえすれば、すぐ無罪放免になるだろうと信じ込んでいた。

 しかし、痴漢の冤罪に関してはそう甘いものではなかった。


「おまえがやっただろう。早く自白した方がいいよ」

 警察は、隅田を犯人扱いしきっている。

 拷問こそなかったが、完全に被疑者扱いである。

 警察というのは、学校の風紀委員のように口でこういうことは止めましょうと注意するのではなく、犯人を検挙するのが目的である。

 営業職じゃないけれど、検挙するたびにポイントが上がり、出世コースが速くなる。よく警察沙汰にするなという言葉があるが、いったん警察が来ると、ありもしないことまで詰問され、素人の手には負えない厄介なことになるのである。


 会社は、この場合味方になど決してなってくれない。

 ましてや、当時隅田さんは、営業職だったが、痴漢容疑をかけられているハレンチ極まりない社員を、外部に出すわけにはいかない。

 人事部長は、人情味のある人だったが、会社の意向には逆らえなかった。

 退職金を払うという条件で、隅田さんは退職届を出した。


 隅田さんは、隅田は留置所に入れられることになった。

 そのなかで、警察が相談を持ち掛けてきた。

「あなたは痴漢じゃないよね。私はそう信じてる。しかしまあここから早く出たいだろう。いやもしかすると、最悪の場合、刑務所行きなんてこともありうる」

 隅田は、これを聞いた途端、頭が真っ白になり、思考力を失ったという。

 留置所はたとえ無罪であっても、最低二週間留置されるというが、この状態なら永遠に出られないかもしれない。

 それどころか刑務所行きになりかねない。

 そんなバカな。俺は痴漢じゃないのに犯人扱い!

 これじゃあ、家族が可哀そうだ。子供はいじめの対象になりかねない。


 しかし、これは警察のワナだった。

「そこでだ、一案がある。一応、あなたが犯人だということにして、保釈金五万円を払ったら、この留置所から出してやるので、心配することはない。裁判で覆せばいいのだ」

 たいていの人は、一刻も早く留置所を出たい一心で、最後の裁判で覆せばいいという点に、一筋の光明をみたかのような、錯覚に陥る。

 が、それは大間違いであり、一度刑が確定したものを裁判で覆すことなんてことは100%といっていいほど不可能なのだ。


 結局隅田さんは二年がかりで、無罪を証明したが、その間、金を費やし職も失った。(参考図書‘僕は痴漢じゃない’著 鈴木 健夫)

 それまでは、順調な人生だった。

 経営者のせがれとして生まれ、厳しい両親のもとで教育を受け、浪人して美術大学を卒業し、有名企業に就職して、順調に出世コースを歩み続けるはずだった。

が、人生どこにどんでん返しの石が転がっているかわからない。

「証(あかし)はこれで終わります。皆さんがこの本を買って頂いて、宣伝して頂いてベストセラーになり、僕に印税生活を味わわせて下さることを願います」

 教会の会堂から、爆笑未満の軽い笑いがでた。


 野村牧師が話を続けた。

「隅田さんは、現在無職です。ついこの間まで派遣社員でしたが、お定まりの契約切れで現在は職探しの真っ最中ですが、これも神の元へと帰る試練のときだと思うんです。聖書の言葉にもあるでしょう。

『あなたがたの体験する試練は、人の知らないものではありません。神は試練と同時に、脱出の道も与えて下さいます』」

 れいの知る限り、確かにえん罪で苦しんでる人は何人かいるし、リストラにあっている人も大勢います。

 しかし、神は試練のみならず、脱出の道も備えて下さるという。

 隅田さんも、きっと職が見つかるときがくるだろう。

 ピアノのゴスペルと共に、証(あかし)コーナーは終わった。

 後に献金袋がまわってきたとき、れいは千円札を入れた。


 礼拝が終わると食事会である。

 婦人方が、手作りの食事を持ち寄っている。

 ちらし寿司、芋きんとん、芋の煮物など色はあまり鮮やかではないが、いかにも家庭料理らしい温もりが感じられる。

「さあ、遠慮なさらずにどうぞ」

 元アウトローの野村牧師が、れいに声をかけた。

 ふと、はだけたシャツの胸元にアウトロー時代のいれずみが見えている。


 野村牧師は、れいの隣に腰かけた。

「この教会は、面白くて社会勉強になるでしょう。いろんな人がいて、まあ私一人で開拓したんですがね」

「えっ、そうなんですか」

 れいは内心驚いた。

「この刺青、気になります?」

 れいは、無言のままである。

「これは、私の過去の証し。過去を消すことなんかできない。消しゴムのように、消す道具も存在しない。だから、修正液を塗り重ねるように、過去の上に現在を積み重ねていくしかないんですよ」

 まあ、そうだな。

 よく、いじめとかの記憶は忘れた方がいいという。

 

 まあ、そうだな。

 よく、いじめとかの記憶は忘れた方がいいという。

 学生時代、いやなことがあっても、しょせん学校というのは社会にでるための準備期間であり、多少乱れていても、社会で真面目に働けばいいという。

 まあ、そうだろう。なんといっても未成年であることで許されるというメリットがある。

 最後に、原口が言った。

「精魂こめて神を愛せよ。そしてあなた自身を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。これが最大の神のいいつけである。

 このことは、見返りを求めないアガペの愛だよな」

 野村牧師は言った。

「その通りです。アーメン」

 愛には四つの種類があるという。

一、アガペーの愛ー見返りを求めない与えるだけの愛

一、エロスの愛ーエッチだとかではなく、異性間の愛

一、フィリオの愛ー友人同志や兄弟のように、give&takeの与え、そして与えられる愛であり、与えるばかり、また与えられるばかりは通用しない。

一、ステルゲーの愛ー親子間の愛であるが、あくまでも親子間に限られる。

 神の愛は、もちろんアガペーの愛である。

 

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