第14話 アイドル岸慎吾と詐欺被害
原口はれいの質問に答えた。
「実は井上親子は、慎吾のDVDやコンサートに行くための費用を、サラ金で捻出していたのだ。そして、岸慎吾所属のなにわボーイの関係者を名乗るインチキ団体にも、騙されて金を払ってしまったのだ。岸慎吾とメールの交換ができますなどとなりすましていたが、井上は、まんまとそれに引っ掛かってしまったんだ」
れいはため息をついた。
「詐欺というのはひっかかる被害者が一人でも存在すると、そこから十人の詐欺師が発生するというわ。だからランダム(無作為)にアプローチする必要がある。
反対に被害者が一人もいないと、警察の目を逃れ、早々に辞退するという、まったく困った関係だ。そういった意味では、井上親子も、被害者だったかもしれないな」
れいは、自説を展開した。
「詐欺師もサラ金も、一見ラクして幸せになる手助けを致しましょうみたいな、天使のような顔をして近づいてくるが、正体は人間を地獄に追い込む悪魔のような、巧妙な鬼畜の手口よ」
こういった場合、井上親子をけなしても憎しみが増大するだけで、そこからは解決策は生まれない。
憎しみは悪魔の領域であるので、これ以上原口を悪魔の手に渡すわけにはいかない。
原口は、ふと考え込むように言った。
「そうだな。今、詐欺や強盗というと、大抵は闇金の被害者だものな。しかも現代は、闇金は借りる方も違法行為であるから、警察も弁護士も司法書士も味方にはなってくれない。だから、井上親子は切羽詰まって俺を狙ったんだな」
ひとつの悪が枝分かれして新しい悪を産むが、被害者は周りに存在する弱い立場の人間である。
もしかして、悪というのはエゴイズムに負けてしまい、まっさかさまに崖から落ちてしまった人間の行きつく先かもしれない。
「でもこのことは、岸慎吾とは直接関係がないんじゃない?」
「もちろんそうだよ。だって井上親子は、慎吾のDVDやコンサートチケットを購入するためだけに悪事に走ったが、大半の人は健全な方法で手にした金で、なにわボーイを応援したものな。しかしね、なにわボーイのいいところだよ。自分たちの為に一人でも苦しんでいる人がいれば、人気にあぐらをかかず反省する。
スターに登り詰めると、傲慢になってしまいできることじゃないよ」
そういえば、今年のDVDの売上総一位は、なにわボーイだったらしい。
ジャパニーズ事務所のお笑い部門だとか言われているが、こういったなにわ人情が人気を支えているのかもしれない。
原口は、すっかり気分を変えたようなカラりとした笑顔を見せた。
「知り合って間もないれいさんになんだか、辛気臭い話をしちまったようだな。さあ、これからどんどん食べて下さい」
手羽先、レバー、皮、ねぎま、大根サラダが眼前に置かれているが、れいはしんみりしてしまって、食欲がわかない。
「ここの焼き鳥は、香ばしくて美味しいよ」
原口は、よほど空腹だったのだろうか。むしゃむしゃと頬張っているのにつられ、れいも、ねぎまを口にした。
「本当ですね。こんなおいしい焼き鳥初めてです」
れいは、正直な感想を口にした。
原口は焼き鳥丼をも注文し、テイクアウトに二つ追加注文した。
「ああ、久しぶりにすっきりしたよ。誰かに聞いてもらうって大切なことだな」
「いいえ、私こそ今まで体験したことのない世界が、目の前に広がってきたようで、社会勉強になります」
れいは、テーブルに二千円を置いたが、原口はそれを引っ込めた。
「いいよ。今日だけは俺のおごりだ。でも、また会ってくれるといいな」
れいは一瞬考えた。
これは、原口とれいとの個人的つきあいを意味しているのだろうか?
れいは今三十六歳、四捨五入すると四十歳だが、やはり男性との個人的つきあいというと、結婚を連想する。
結婚の見込みのない人とは、友人どまりにして、それ以上の個人的つきあいをする必要はないと考えるのが賢明であろう。
原口は子持ちであるが、もしれいが原口と結婚したら、娘の麻衣ちゃんの母親役を勤めねばならない。
れいには後妻など想像もつかない。
れいの周りには、離婚したり、また結婚しても愚痴をこぼしたりしている人が多かった。
共働きの場合は、旦那が家事を手伝ってくれない。
いや専業主婦の場合でも、私の働きでなんとか家庭を維持しているなんて言ってる女性が多い。
結婚というのは、綱渡りのようなものだ。
いつ、ダメになるかわからないし、主人が失職するケースはいくらもある。
子供を抱えて離婚などということになると、心身共にしんどいのはわかっている。
現在れいが勤めているスイートハートにも、小学校五年の娘を抱え、朝六時から夕方六時まで休憩もなしに、働いている四十歳前半の母親も存在している。
もう若くないのに、母親が倒れたら子供はどうなるんだろうと余計な心配をしてしまう。
れいは、以前子供の非行で悩んでいる母親の会に参加したことがある。
息子が現在、少年鑑別所に入院中であり、これを機に更生してくれたらという意見には、真向から反対するおじさんがいた。
「とんでもない。鑑別所に行けばワルの間ではくが付いたということになり、鑑別所仲間とつるんでさらに悪事を働き、少年院に入院するのがオチだ」
れいは、それを聞いたとき絶望的な気分になった。
それでは、子供を救う手立てはどこに存在するのだろうか?
キリスト教会のなかには、牧師自身が元反社会的勢力や元暴走族であり、その体験を活かして非行少年の更生に取り組んでいる教会も存在しているが、これは最後の砦であろう。
息子が反社会的勢力になったことで悩んでいる母親も存在している。
「私は息子が小学校のとき、職員室に呼び出されると、問答無用で往復ビンタをくわしてたの。もちろん、職員室にいる全教師の前でよ」
れいは、驚嘆した。
保護者が呼び出されるということは、なにか問題を起こしたのには違いないが、わが子の言い分を一言も聞かず、いきなり往復ビンタだなんて。
息子にとって、母親というのは唯一の味方である筈である。
味方であるはずの母親が、息子の心よりも世間体を重んじ、母親の体面を汚されたので、復讐として往復ビンタをしたのかもしれない。
これじゃあ息子が行き場をなくしてぐれるのは、当たり前じゃないか。
母親にも見捨てられ、行き場のない荒んだ気持ちの隙間に、アウトローが最初は親切にし、面倒をみてくれるという方法で入り込んできたのだろう。
世間体よりも、物質よりも、やはり心の交流が大切だと思った。
れいは、結婚だけが男女の愛のカタチではないと思っている。
離婚しない唯一の方法は、結婚しないことだというが、お互いが人間として認め合ってつきあっていけばいいんじゃないか。
しかし、男の方は生理的にはそうは思わないらしい。
原口との結婚は考えられないが、今のところは店員と客として付き合っていこう。
「れいさん、久しぶりだな。一緒に帰ろうか」
声をかけてきたのは早川である。
「そうね、ねえ、私もスイートハートでバイトして一年になるわね」
「そうだな。俺はそれ以上だ。ところでれいさん、原口さんと付き合ってるんだって」
「えっ、付き合うだなんてとんでもない話よ。一度、焼き鳥屋に連れてもらっただけよ」
誰かに見られていたのだろうか?
「原口さんって痴漢の冤罪をかけられたり、アウトローの準構成員みたいなことをしてた人だぜ。それを知ってて付き合ってるの?」
「そのことは、原口さん本人の口から直接聞いて知ってるわ。でも、個人的につき合ってるなんて事実はないわよ」
「そういった重い過去をもった人と付き合うには、覚悟が必要だぜ。れいさんは、気軽な友人だと思ってても、向こうはそうは思っていないことが多い。
徹底して自分の味方になってくれることを望んでいるケースが多い。それを少しでも逆らったら、俺を裏切ったとなどと逆恨みされることになりかねないぜ」
「要するに、フェアな友人というよりは味方か子分になれということなの?」
「アウトローの世界では、子分のことを舎弟というだろう。まあ、そういったことも覚悟した方がいいかもしれないな」
「でも、原口さんっていつも笑顔で寛容な人に見えるけど」
「それは原口さんの血のにじむような努力でもあり、人前では明るくふるまうための演技でもあるよ。
冤罪をかけられたというだけで、世間は容疑者扱いだものな。火のないところに煙は立たぬ。疑われるようなことをしでかしたアンタにも原因があるなどという、偏見で見られのがオチさ。だから、親しみやすいように、いつも笑顔をつくってるんだ。まさに血のにじむような努力だぜ」
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