第13話 原口が受けた痴漢冤罪事件

 原口は、一軒の焼き鳥屋を指さした。

「ねえ、素藤さん、焼き鳥好き? ここのは美味しんだよ。俺に奢らせて」

「えっ、そんなこと言われると、無理にでも私の手料理、持ってこなきゃなりませんね」

「やだなあ、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ただ、れいさんにも美味しいものを食べてほしいと思っただけだよ。それとも、相手が俺じゃ不満かな?」

「とんでもない、でも久しぶりだなあ。焼き鳥なんて」

「ねえ、本音を言うと素藤さんは、俺と岸慎吾との関係を聞きたかったんだろう」

「はい。ばれましたか?」

「このことを話したくて誘ったんだ。でも、俺にとっては芳しくない話だけどね。あまりかしこまってするような話じゃないんだ」

「酒でも飲みながら、しんみりと話たいですか?」

 原口は、しんみりとでも覚悟を決めたように言った。

「まあ、そうだな。俺にとっては忘れてしまいたい過去でもあるが、でも忘れることはできない。だいたい、過去なんて消しゴムで消せるものじゃないものな。修正液で塗り重ねていくしかないんだ」

 修正液で塗り重ねるというのは、現在をよくすることだろうか。

「過去をひとつの糧として、現在をつくっていくしかないと思うんだ。

 たとえば差別を受けたから、差別について考え、自分は人を差別したり疎外しないように努力しようとかね」

 なるほど、どこにいってもいじめや差別はあるけど、それについて考えるのは必要なことである。

 だっていい人が好かれ、悪い人が嫌われ疎外されるということはないのだから。

 いい人すぎてかえって誤解されたり、妬まれることもあるし、また正義の味方という通り、正義感の強い人はかえって疎外される対象となる。

 また、人を悪の道に陥れる悪党や詐欺師は、一見身なりもキレイで、愛想もよく、誰にでも親切ないわゆるいい人であるケースが多いが、愛想の上辺に魅かれ、気がつくと相手の奴隷になってそこから逃れられないケースはいくらでもあるのだ。

 ただ、人間は上辺を見るので、愛想の悪い人はなぜかいじめや疎外の対象になりやすい。


「えっと、焼き鳥はいつものお任せコースとノンアルビール、素藤さんは、後で追加注文ということでいいかな?」

 原口と二人で焼き鳥屋ののれんをくぐると、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 カウンターにはアレンジメントフラワーが飾られ、女性客や家族連れも結構いる。

「素藤さん、お酒飲む?」

「いえ、私はウーロン茶頂きます」

 れいは、いわゆる酔った上での浪花節人情話や大ぼら吹きというヨタ話というのは、大嫌いだった。

 そのときは、ああ、この人はいい人だと感心させておいて、シラフになると、そんなことを言った覚えはない。ただのヨタ話さ、信用するあんたの方が悪いんだなんて、拍子抜けすることを平気でいう。

 そういったことを繰り返し、人の信用を無くしてしまった人が、ホームレス予備軍になるんだろう。


 原口は、グイッとノンアルビールを飲み始めた。

「今日は俺の身の上話を話していいかな」

「うーん、私はいいですよ。しかし、身の上話というのは、大抵の場合、過去の苦労や愚痴でしょう。今更それを思い出しても仕方ないですよ」

「それはそうだ。しかし、今日は素藤さんに俺のことを洗いざらい話して、わかってもらいたいんだ」

「ええ。聞くだけならいいですよ。しかし、私は過去に対して何の助言もしてあげられないですよ」

 原口は、串ざしのねぎまを食べ始め、れいも同じものをほおばった。

 同じものを同じタイミングで味わうことで、相手は心を開いてくれることもある。

「今から五年前の出来事だけど、俺は印刷会社の営業をしているサラリーマンだった。小さな会社だったが、手堅く実績を伸ばしていて、俺は張り切っている最中だった。そんな時電車の中で、女子高生らしき女の下着をスマホで盗撮しようとしている中年女がいた。おれはその中年女に注意をしたら、途端に痴漢呼ばわりされた。

 痴漢の目撃者というのはサクラで、初めから仕組まれたワナだったんだ。

 俺はあのとき、電車を降りて逃げればよかった。しかし、気がつけば駅員二人に腕をつかまれ、警察に連行された。もう警察にいけば一巻の終わりである。

 俺は、執拗な拷問に負け、五万円払えば釈放してやるとの悪魔のささやきに負け、釈放されたが、その代わり前科がついてしまったんだ」

 れいは、返す言葉が見当たらない。

 ただただ、原口の話に聞き入るばかりである。

「俺を待っていたのは、会社の解雇と近所の人の冷たい視線だった。変態呼ばわりされたこともある。確かに俺は、痴漢もののアダルトビデオを借りていた時期もあった。しかし、そのアダルトビデオが、警察の取り調べで徹底的なものになってしまい、痴漢の前科がついてしまったのだ」

 れいは、とっさに返す言葉が見当たらず、ただただ原口の話に聞き入るばかりである。

「俺を待っていたのは、会社の解雇と近所の人の冷たい視線だった。

 変態呼ばわりされたこともある。確かに俺は、痴漢もののアダルトビデオも借りていた時期もあった。しかし、そんなことが痴漢の前科がついただけで、一変してしまったんだ」

 れいも、アダルトビデオは見たことがある。

 なかには、アイドル顔負けの清純な女の子が素裸で、男優と疑似ベッドシーンを演じている。

 未成年が見るのは悪影響だが、好奇心で見たいと思うのが男性の欲望だろう。

「あの人は、アダルトビデオ愛好家の痴漢予備軍、そんな噂までたてられたんだ。

 つらいことだけど、五万円払ってしまった以上、前科がついたので、なにも言い返せやしない。まったく、冤罪というのは気の弱い奴ほど損だよ。罵倒されようが、暴力をふるわれようが、やってないと言い切るべきだったんだ。後悔しても後の祭りだよ」

 原口は、ノンアルビールを一気に飲み干した。

「人間は誰でも、死ぬ時点で人生のジャッジが下されるのです。

 今は人生の途中で間違いだったと思うことでも、それを逆手にとってプラスに生かす人だっているんですよ」

 原口は、幾分気を取り直したようだった。

「話しの続きだがな、後からわかったことだが、その中年女と女子高生はグルになり、慰謝料をせしめるのが目的だったんだ」

 まるでドラマのような話である。

「相手はグルになり『私たちは、マスコミ関係者にも顔が広い。このことが週刊誌に載ったら、あなたの家族まで世間の目にさらされ、迷惑するだろう。私たちはそれを止めてさしあげましょう』などと一見やさしい言葉をかけ、大金を要求してきたのだ。それも、俺に直接交渉するのではなく、家内に要求してきたのだ」

 れいは口を開いた。

「わかった。子供が学校にいじめられるなんていって、脅したんでしょう。

 でもいじめが怖くては、学校にいけないというのが私の持論だけどね」

「しかし、家内は最初は取り合わなかった。そうしたら、あの腐れ井上親子は、子供を学校の裏口で待ち伏せして脅したんだ」

 れいは、怒りに震えた。子供を人質にとるとは、誘拐まがいではないか。

「井上っていうの? その親子、私も許せないわね。これは私の想像だけど、バックにアウトローまがいの野郎でも控えたりしてね」

「噂では、井上親子は、闇金に借金がたまっていたらしい。現在は昔のサラ金と違って、闇金は借りる方も犯罪なんだ。だから、警察も弁護士も司法書士も誰も味方にはなってくれない」

 れいは、気になっていたことを聞いてみた。

「それと、岸慎吾とどういう関係があるの?」

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