第12話 世の中の流れに合わせていかないと
「みんな、いろいろ提案してくれてありがとう。有意義な意見が多かったが、一部を紹介しよう」
数学の基礎ともいえる小学校四年までの九九と分数、円周率でつまづく生徒が多いので、それを徹底的に教え込むこと、うん、その通りだ。基礎ができてなかったら、進めないものな。
珠算塾がすたれつつあるが、やはり電卓よりも珠算は必要である。電卓は桁を間違えることがあるが、珠算ができれば暗算も可能である。
あと、麻薬の恐ろしさを小学生から教え込む。できたらリアルな芝居仕立てにして、麻薬の後遺症を知ってもらう。うん、これも必要になりつつある。
ある元暴走族は麻薬を吸っては、刃物を使うので有名になり「人刺し男、ナイフ使いの名人」と言われ、いい気になっていたが、なんと刺した相手がアウトロー組長の息子で自ら命を狙われる羽目になってしまったが、キリスト教を信じて救われ、現在は牧師として、自分の体験を活かして更生活動をしているという。
もうひとつ、これは最も大切なことであるが、戦争反対。
なんでも、日本は敗戦まで日本が世界を相手に戦争し、大日本帝国を創造するなどと本気で思っている人が九割であり、天皇は神とされていた。
そのなかには、東京大学生までが含まれていたというのだから、驚きである。
昭和二十年の終戦いや敗戦により、天皇は自らを人間だと名乗ったという。
戦争というと、あたかも革命のように思われているが、あれほど悲惨なものはない。勝っても負けても悲惨さは変わらないよ」
れいは感心した。
このことは、いつの時代でも将来生きていく上で必要なことばかりである。
店長が続けて発言した。
「ひとつ、ユニークな意見がある。進化論反対という意見。でもこれはちょっとやばいぞ。ダーウィンの進化論を支持する権力者は、やはり無くならないと思うんだ。
科学者もそうだし、政治家でも進化論を信じてはいないけど、都合の良い考え方だと思っている人は多いはずだ。世の中、真実が通用するという保証はないぞ」
まあ、その通りだとれいは思う。
実際、科学の世界でも差別やいじめは存在し、派閥争いや大御所の意見が絶対だったりする場合がある。
科学の世界で異端者と呼ばれる人は、ウソやいんちきを吹聴する人ではなく、大御所に逆らった人のことを指すという。
「まあ、進化論反対の意見はさておいて、他の意見は本社に推薦しておく」
れいはちょっぴり不満だった。
だいたい、戦争というものは、政府など権力者が始めたものであるが、いつもその犠牲になるのは、社会的に弱い女子供や身体障碍者である。
しかし、昭和二十年の敗戦の焼け野原から、よくここまで復興し、発展したものだと感心する。
経済大国とまで呼ばれるようになったのに、感染による不況が訪れている。
目に見えないものから、夢を想像し、ビジョンを描きながら、文化や化学を創造していくことは、いつの時代も同じである。
日本人は義務教育を受けているので、読み書き計算ができてあたり前の国だ。
しかし、中国だとそういうわけにはいかない。
華僑など金持ちに生まれた人は、勉強ばかりするが、貧しい村に生まれた人は、学校にも行けず、二十歳過ぎても自分の名前すら書けないし、1+1の計算すらできない。
奴隷制度がないのは、世界各国のうち日本だけだという。
日本には、緩やかな差別はあったが、奴隷制度だけはなかった。
だから、世界各国から見ると、日本で言われる差別は無きに等しいものだというのである。
ある在日韓国人曰く「日本に生まれただけで、かなりラッキーで恵まれている。
僕は、この豊かな日本にきて本当に幸せだよ」
在日外国人は、日本は大好きだという。
しかし、日本も徐々にアメリカ化sているが、れいは、昭和時代の良さをもう一度、生かす必要があると思う。
一か月後、雑居ビルの一室に学童保育が開校した。
ハートスクールという名で、一見カフェと見間違えるような洒落たインテリアである。観葉植物が飾られ、授業が終わったあとは、スイートハート特製のたこ焼き風フィッシュボールがお土産として持ち帰り自由である。
授業内容は、数学、国語、理科のほか、戦争の悲惨さや麻薬の後遺症を教え、授業後は料理レシピが配布され、一人でも包丁を使った料理が出来るように教育する。
もちろん、これは強制ではないが、一人暮らしまたは家族の介護をするとき、調理は重要なことである。
なんと生徒には、原口の義理の娘ー麻衣も出席している。
やはり、男手一つで育てるには、しんどいのかもしれない。
しかし麻衣は、案外生き生きして好奇心一杯の瞳を輝かせている。
れいはカリキュラムを見た。
一般の授業のほかに、麻薬撲滅運動の一人芝居というのがある。
キャストは、なんと隼人であり、隼人のメッセージ
「僕は、一時暴走族に入っていた時期がありました。先輩たちはシンナーに手をだし、のちに麻薬中毒になり、少年院や少年刑務所に入所するハメになりました。
なかには、シンナーを吸って誰も相手にされなくなって、暴走族に入るしか居場所のない人、暴力をふるって傷害で退学になった人もいました。
僕も一度だけ吸ったことはありますが、やめました。
しかしなかには、少年院出でも更生して、キリスト教の牧師になり、かつての自分のようだった非行少年に伝道している人もいます」
隼人は、苦しそうな困惑したような表情を浮かべた。
それは、手慣れた俳優の演技というよりも自然な芝居だった。
ハートスクールの授業料は月五千円であり、一般の塾と比べれば、安価である。
いわゆるかぎっ子もいるし、私立の小学校に通っている子もいる。
私立の小学校に通っている子は、算数や国語は必要ないから、社会勉強だけ受講する子もいる。
国語や算数の講師は、現役大学生で、内定取り消しになった元ナンバー1ホストもいる。なんでもその元ホストは、一流大学に通いながらホストをしていたが、イケ面ゆえにホスト雑誌にも掲載され、それが企業側にバレて内定取り消しになったという。もったいない話だが、これも世の中の偏見なのだろう。
しかし、世の中や時代のせいにするよりも、自分が環境を変えていくしかないんだ。原口はれいに訴えるように言った。
「なあ俺の知り合いで逮捕され、冤罪で拘置所に入れられたけど、そのときの仲間を連れてきていいかな」
スイートハートは客商売なので、どんな人も分け隔てはしない。
「まあ、お客様ならどなたでも大歓迎ですが、いわゆる故意に人に迷惑をかける人はダメですよ。規則はちゃんと守って下さいね」
杓子定規な物言いだが、ここはひとつ釘を刺す必要がある。
「本当はこんなこと、楽しい話でもないし素藤さんに言いたくないことだったんだけどね、素藤さんならなんでも話せる気がしたんだ」
れいは、返事にとまどった。
「三分間指名有難うございました。またのお越しをお待ちしております」
マニュアル通りの言葉を交わすしかなかった。
「いらっしゃいませ」
れいは、いつものようにホール周りをしている。
午後三時の比較的、ヒマな時間帯であり、お客は三組しかいない。
サングラスに地味な黒のTシャツにデニムパンツの若者が、新聞で顔を隠すようにひっそりと珈琲を飲んでいる。
引き締まった身体に、どことなく素人とは違うオーラを漂わせている。
ひょっとして岸慎吾?
横顔だけで判断するわけにはいかないが、かといって、真正面から凝視することは、許されるはずがない。
「このお皿 おさげしてよろしいですか?」
れいは、好奇心半分に近づいた。
あっ、目から下は岸慎吾だ。
「あのう、岸慎吾さんでしょうか?」
れいは、まわりに気付かれないように、小声で尋ねた。
「はい、でも内緒にね」
慎吾の胸元には、クロスのネックレスがかけられている。
なんと原口が現れ、慎吾の隣に座った。
慎吾は申し訳なさそうに、原口に頭を下げている。
原口は、最初は憮然として無視するような表情をしていたが、次第に表情が和らいできている。
これは、なんだか意味深だがれいには見当もつかない。
五分ほどしただろうか。
「もう気にしなくていいよ。済んだことだし、人間神様じゃないんだから、誰にでも間違いはあるよ」という原口の穏やかな、しかし多少あきらめ気味の声が聞こえ、原口は席を立った。
そのとき、慎吾はスイートハート特製のたこ焼き風フィッシュボールのテイクアウトの包みを原口に持たせ、原口の伝票を奪った。
それから五分後、慎吾は店を出た。
原口と慎吾の間に、一体何があったのか?
れいは知りたかったが、自分から聞けるはずもない。
早川に聞いてみることも、はばかられるが、気になって仕方がなかった。
午後七時、れいは仕事が終わり、スイートハートを出た。
「素藤さん、今帰り? もしよければ晩飯食べない? いつも麻衣がつくってくれるけど、たまには外食もしたいな」
声をかけてきたのは、原口だった。
「えっ、麻衣ちゃんが夕食つくってるんですか? まだ小学生なのに偉いなあ」
原口は照れたように、頭を掻いた。
「いやあ、ハートスクールのお陰ですよ。麻衣は食いしん坊だから、ハートスクールで習った料理を基本に、自己流でアレンジして創作料理とやらをつくってるんですよ。たとえばキャベツをレタスに変えたり、ミニトマトを納豆たれで焼いたりね」
「へえ、これだったら野菜嫌いのお子様でも食べられそうですね」
原口は、嬉しそうに笑った。
「そう言われると光栄ですね。一度れいさんの手料理を食べてみたいななーんて、ずうずうしかったかな?」
原口は、笑いを誘うような言い方をした。
「そうですね。今度持ってきますよ。できたら麻衣ちゃんと二人で、食べてくれたら、これを機に共通の話題もできて、親子万歳ってことに発展しますね」
「そうなれば、れいさんは俺たち親子の救世主キリストだな」
わっははは、原口とれいは声をあげて笑った。
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