第10話 隼人は原口により更生の道を歩む

 早川が声をかけてきた。

「まあ、早川さんにはお世話にあっているわ。あれっ、でもどうして、あのおじさんの名前知ってるの?」

「だって、いつも俺の家に宅配してくれるドライバーさんだもの。サインを見ると、いやがおうでも覚えるよ。ときどき、荷物を引き取りにきてもらうこともあるんだよ」

 へえ、意外な偶然。客商売をしてたら、こういう偶然に出くわすこともある。

「れいさん、これは大きな声で言えないことなんだけどね。あの人、娘さんがいるだろう。ときどき、電車のなかでカップ麺をすすっているという」

「あれっ、よく知ってるわね」

「年の割に大人びた子だから、印象的なんだ。この前、化粧して繁華街を歩いてたよ。今の世の中危ないんじゃないの。女の子は何に利用されるかわからないものな」

 そういえば、一昔前、東京の渋谷で小学生がデート嬢として利用されたばかり。

 こういうパターンは、いつも売春する女性側が責を負い、買春する男性にはお咎めなしのケースが多い。

「子供が非行に走ると、親の責任ということになる。まあ、補導されないいよう、気をつけることだな。警察に指紋とられると厄介なことになるぜ」

 れいは、警察沙汰になったことはないが、原口の義理の娘 麻衣が道を踏み外し、麻薬や売春に利用されないように祈るだけだった。


「いらっしゃいませ」

 れいがスイートハートに勤めだしてもう半年になる。

 指名も増えてきて、努力が認められているようだ。

 れいは自分なりに、テーブルを拭くとき、専用の洗剤を使い、匂いが残らないようにしている。

「素藤さん、原口様からのご指名です」

 見るとなんと原口と同じ福本通運のユニフォームを着た隼人ー早川を脅した十八歳の少年が並んで座っている。

 隼人は髪の色も黒に戻し、緊張したかのようにかしこまっていて、原口の顔色を伺っている。

 まるで、一昔前の熱血教師と、説教されたばかりの落ちこぼれ少年のようだ。

「紹介するよ。彼、この前入社ばかりの俺の可愛い後輩だ。よろしく」

 れいは、苦笑するのをこらえた。

「俺はハーブ茶、ちょっと酸っぱいけど、隼人もそれでいいか?」

 隼人は、小学生のようにこくんと頷いた。

 れいは、隼人の過去はここでは黙っておこうと言った。

 なんといっても、ここだけは日常とかけ離れた別次元空間なのだから。

「お腹すいてない? 俺はイタリアンちぢみを頼むけど、隼人はえんどうちぢみにするか?」

「あっ、僕いいですよ」 

 おずおずと遠慮がちに語る隼人。

「遠慮しなくていいよ。今日だけは俺のおごりだからな。朝から何も食べてないんだろう」

「いや、お菓子を食べてきました」

「おい、お菓子だけじゃ栄養が偏るぜ。この仕事は長時間座りっぱなしだからな。

 腰痛になる恐れがある。しっかり、カルシウムと鉄分を取るんだぞ」

「そうですね、魚とチーズを食べて頑張ります」

「朝はしっかり食うんだぞ。さもないと夜になると酒が飲みたくなる。

 飲酒運転、厳禁だぞ」

 隼人は答えた。

「僕は酒も煙草もしない主義ですといっても、そんな余裕がなかっただけですがね」

 そのとき、隼人の注文したえんどうチヂミが運ばれてきた。

「あのう、先に食べていいですか」

 原口は感心したように言った。

「今時珍しい礼儀正しい奴だな。親のしつけが良かったのかな」

「いや、そうでもないですよ」

 隼人は、口ごもっている。チーズチヂミが運ばれてきた。

 チーズの香ばしい香りが、フワリと鼻孔をくすぐる。

「ああ、うまい。これでカルシウム補給だ。隼人も一口食べるか?

 チーズって、血圧や血糖値を下げる効果もあるんだぞ」

「いや僕は結構です。原口さん、どうぞ遠慮なく召し上がって下さい」

「隼人って、ずいぶん礼儀正しいな。親のしつけがよかったのかな」

 隼人は困ったように、頭をかいた。

「僕の母親は非常に変わった人でね、病的なほど、人の食事のマナーにこだわるんですよ。自分と違う食べ方をしたら、怒ったりするんですよ」

「へえ、変わった人だね、初めて聞いたよ」

「たいていの人はそれを聞くと、変わり者の頭のおかしい人だとか言ったりしますがね、うちの母親は、変わった高校出身なんですよ」

「私立の宗教系の女子高校だったりして」

「深くはわかりませんが、その高校は山の上にあって、私たちは神の選民だから一般社会という下界に降りてはならない、そして、下界の人とは交わってはならないなんていう、とんでもない教育を受けてきたんですよ」

「それ実話か? 昔の殿様みたいだな」

「僕が食事をしている仕草を、上目遣いに観察してるんですよ」

「もしかして、隼人のお母さん自体がその高校で、そういったしつけを受けてきてたんじゃないか?」

「そうかもしれないが、僕としてはたまったものじゃないですよ」

 原口は遠くを見るような目をした。

「自分の親を悪く言わない方がいいぞ。孝行をしたいときには親は無しというだろう。さあ、出ようか。今日限りは俺のおごりだ」

 隼人は、原口に一礼して店を出た。


「早川君、今日、隼人が店に来たのよ。それも、原口さんと一緒に」

「らしいな。世の中狭いっていうけど、ラッキーな偶然だね」

「隼人って今度はトラックのドライバーとして、更生の真っ最中ね」

「俺も隼人に限らず、犯罪者が更生してくれるのを待っているよ」

「そうね。犯罪者になりたくてなる人はいないわ。たとえば、女囚は全員が男からみ、そのうち半数は既婚者だというわ」

「れいさんも、男で失敗しないようにしてほしいなーんて、俺が言うには十年早いな」

「はい、胆に銘じます。ところで、早川君は死刑制度についてどう思う?」

 早川は、突然の質問に考え込んだ。

「今、流行りの裁判員制度か? そうだなあ、自分にとって憎い奴だったら、死刑という法的な方法で復讐したいと思うのは、当然だろう」

「でも、肉体の死は誰にでもあるし、それって本当の復讐になるのかな?」

「私は体験したことないけど、麻薬で頭がおかしくなって、親を殺したなんて人もいるわ。例えば、メキシコではエリートというと、金持ちや立派な職業をもった人ではなくて、麻薬を辞められた人をいうんだって。死刑が本当の復讐になるのかしら?」

 早川は考え込んだ。

「もし、自分の身内が罪を犯したら、自分にまで影響するしな。結婚や就職がおじゃんになったというのは、よくある話だな」

 れいも、他人ごとながら考えた。

「そうね、他人からは同じDNAが流れているなんて思われることも、しばしばあるわ。そうなると、自分にとって不都合な切っても切れない宿命ということになるわ。例えば、親が有名反社組長だったとする。もちろん、子供は世間の偏見にさらされて生きることになる。いじめや差別の対象になることも多いわ」

 早川は反論した。

「でも、アウトローの子がアウトローの道を進むとは限らないよ。

 たとえば、テレビで伝説の大親分田岡組長の長女は、父はいつも弱い人の味方でした。親戚も相手にしない人のことを真っ先に考える人でした。

 父に怒られた記憶はあまりないですね。父はあまり怒らない人でした。怒って人間が変わるものではない、親分子分というよりは、まるで本当の家族みたいでしたね。一緒に食事をして、母はときには勉強を教えてあげてって目を細めて言ってたな。

 まあ、後から「田岡の長女さんにとって、田岡親分は肯定すべき父親でしたが、いわずものかな、田岡氏は暴力団、私たちは暴力団を肯定するわけにはいきません」とメッセージされていたがね」

「アウトローは、アウトローの苦しさをいちばん知ってるからね。いつ殺されるかわからない世界。一番の敵は身内である。だから、アウトローが引退したら、一度に顔つきが変わって、子供の頃の顔つきになるというよ」

 れいは、病死意外に死に直面したことはないが、殺人に発展すると、恐怖感から人間嫌いになりそうだと思った。

「これは、私の理想なんだけどね、できたら悪いことをした人でも、更生してほしいの」

「れいさんって、きれいごとを言う人だな。一度罪を犯した人間は、一生それと闘って生きていかなきゃならないんだよ。アニメみたいに悪者が正義の味方に変身なんてわけにはいかないんだよ」

「そうねえ、日本には更生施設がないものね。一生、世間の偏見にまみれ、レッテル背負って生きていかねばならない。しかし、現実には、更生し、自分の体験を活かし、非行に走った子供を更生運動に取り組んでいる人もいるわ」

 早川はあいづちを打った。

「」

「」

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