第7話 れいの過酷な人生見聞

 少年はれいの迫力に圧倒されたのか、困り顔で早川を縛っている縄を解き始めた。

 早川は、やれやれというような安堵した顔で、ため息をつきながら言った。

「おい、俺は今でもおまえに悪い事をしたと反省している。だって、お前がいじめいあってるとき、なにもしてあげることはできなかったものな」

 少年は不服そうに言った。

「そんなこと、もう気にしていない。八年も前の小学校のときだものな。

 俺はただ、お前のような人間がうらやましくも憎くもあったんだ。

 苦労知らずのノー天気な顔をしたおまえを、懲らしめる必要があると思ったんだ」

 れいは、口を開いた。

「それって今はやりの無差別殺人に似たものかな? だとすると今のうちに辞めた方が身のためよ」

 れいは諭すように言った。

「また、ハンパ世間を知ってるおばさんの説教かよ」

「説教というよりは、現実を言ってるのよ。実は私の知り合いに、それと似たことをしてた人がいたの」

 いつのまにか、れいは少年と対等に話していた。

 多分、孤独な少年なのだろう。非社交的で、無視されることを何よりも恐れている内気な少年。しかしこういう少年ほど、悪党にひっかかりやすく結構なカモにされる危険性大である。

「私の知り合いの男子はね、勉強嫌いで劣等生だったというわ。だから無視されないためにも、悪いことで目立とうと思って不良の仲間入りをしたの。

 自分の後輩をいじめる奴を殴ったことがきっかけで、いつの間にか殴り役専門になり、自分は後輩から慕われていると思い込むようになったの。

 でも、それが続くたびに、自分はただ後輩から殴り役専門として利用されているだけなのではないかと思うようになったの」

 少年は、深刻そうな顔で聞いていた。

「そんなある日、アウトローの悪口を言っているなんて妙な噂をたてられたの。

 本当は何のことなのかさっぱりわからなかったが、ある日、車に引きずられ、その子と後輩五人がマンションの一室に連れ込まれたの。そして、本物のアウトロー五人が出てきて『おい、こいつは噂通り、俺らの悪口を言ったとんでもねえ輩(やから)だな』と念を押したの。

 本当は悪口など言ってなかったが、後輩はアウトローが怖くなり口々に五人とも「はい、この先輩はアウトローの悪口を言いました」と宣言したの。

 それから、その子はアウトロー五人に頬が腫れるほど殴られたんだって」

 少年は、あきれ顔をして言った。

「俺が思うに、その殴った相手がアウトローの息子だったりしてな」

「まあ、そうかもしれないわね」 

 れいは答えた。

「その子はそのことが原因で、自分は単に後輩されているだけだということに痛感し、暴力は何も解決しないことに気付いたの。

 それからは、不良を辞めて定時制高校を卒業したらしいわ」

「良い話だな。しかし、俺は不良にもなりきれないハンパ人間だぜ。それにこの就職難だ。俺を受け入れてくれる世界が、どこにあるというんだ」

「自分を完全に受け入れてくれる世界なんて、あると思う? ないわよ。たとえあったとしても、それは自分を利用しようとする悪党かもしれないわよ」

 少年は、ポカンとしたような怪訝そうな表情を浮かべた。

「この世にある物質は、すべて人間が、頭で想像したことが、現実となって創造されているの。戦後、焼け野原だった日本が、再建したのは誰に与えられたわけでもなく、日本人が創造し、努力したからじゃないの?」

「そりゃそうだけど」

 早川と少年は二人揃って、不思議な顔でれいを見つめている。

「私だってそうだったわ。私のような学歴やキャリアのない女子を受け入れてくれるところなど、なかなか見つからなかった。

 だから、私は自分を変えたのよ。本を読み、いろんな知識を身につけ、人見知りせず、いろんな人と接し、敬語も身につけたわ。

 それによって、いろんなチャンスが舞い込んだのよ」

「そうよ、実は私、今度テレビに出演することになったの。まあ、素人参加お笑い番組だけどね、売出し中の芸人さんと共演するのよ」

「なかなかすごいじゃん」

 いつの間にか、薄暗かった軟禁部屋に、希望の光が差し込んでいる。


 早川は少年に言った。

「そうだよ。お前、今の生き方を続けてると、しまいに犯罪者の前科者になっちまうぞ。お前は今なら未成年だから、十分にやりなおせるぜ」

「そうかもな。俺も将来、どうしたらいいか不安でたまらなかったんだ。

 それで、早川みたいな幸せな人間を不幸に陥れることで、自分の同類にしようと思ってたのかもしれない」

 れいは口を挟んだ。

「まるで、麻薬中毒者の論理ね。中毒になった人は、親、友人、職場、近隣など、身近なライフラインから相手にされなくなり、疎外されていく。

 だから、そういう人同志集まり、更なる刺激を求め麻薬から抜けられなくなっていくのよ。自分でも知らないうちに、地獄へと流されていくのね」

 早川と少年とは、半ば感心したように聞いている。

「れいさんって、カリスマ占い師みたいだ。それで、テレビにスカウトされたんだよね」

「違うわ。私、占いには全く興味がないの。私は、お笑い番組で説明上手な女として、売出し中新人芸人に『あんたら何言ってるの? 私があんたらに教えてあげるわ』と説教する役回りなんだって」

 早川は笑いながら、うなづいた。

「れいさん、確かにひきこまれるような説得力あるものな。ぴったりの役柄だよ」

 れいは少年に言った。

「差別やいじめなんて、時代や状況が変わろうともあるのよ。

 例えば私は、女性差別から逃れられない。いくら私があと十年若くて、才色兼備でも、女性である限りはそこから逃れることはできないの。

 そのなかで、まっとうに生きていかねばならない。たとえ、それが原因で犯罪を犯したって、誰も同情はしてくれるはずもない。

 むしろ、ああいう女性と一緒くたにしないでほしい、十羽一肥はごめんだと非難されるのがオチだわ」

 少年は無言のままである。

「ねえ、あなたはまだ、十八歳。人生これからじゃない。なんでもいいから、好きなものを見つけて、それを追及していったらいいんじゃないかな。できたら、一人でできて、なおかつお金のかからないものがいいわよ」

 少年は、背中を向けて部屋を出て行った。

「おい、俺はお前がまっとうに生きることを願ってるからな。隼人」

 れいは、早川が少年に、背中越しに声をかけるのを聞いて、初めて少年の名が隼人だと知った。


「いらっしゃいませ。フィッシュボール二人前ですね」

 昨日のことを乗り越え、れいは仕事モードに戻りつつある。

 フィッシュボールというのは、スイートハートのメニューの一つで、見た目はたこ焼き状だが、たこは入っておらず生地に魚を混ぜ込んでいて、サラダ油を使わずさっぱり風味に仕上げている。

 実際、フィッシュボールを食べた人が、二週間後にはコレステロールが20, 中性脂肪が200低下したという実例もでていて、スイートハートの人気メニューベスト4である。

「素藤さん、またいつもの人から指名かかってるよ」

 振り返ると、運送会社のおじさんがれいを指名していた。

 これで三度目の指名である。

「いらっしゃいませ。ご指名ありがとうございます」

 男は、ちょっぴり得意げにれいに一枚のB5サイズの用紙を見せた。

「この作詞 俺が書いたんだ。いい詩だろう」

 男は自慢げに、太い字で書いた用紙を、れいに差し出した。


    「面影さがし」

 道端に咲いている白ゆりのつぼみに 

 お前の面影みるようだ

 おしろいつけた右手でお酌

 笑顔のわざで ボトルキープ

 いつしかのれんは コンビニに

 今頃 どうしているのやら

 百合のように 強く大きく咲いてくれ


「これ、俺の力作なんだ」

「お客さんって、演歌がお好きなんですね。カラオケなど得意ですか?」

「そうだな。だって、昔通っていたスナックは、ほとんどカラオケ居酒屋に店舗変えしてるものな」

「なんだかこの詩は、人生の応援歌といった感じですね」

「今、戦後最大の不況の時代ですものね。だから、百合のように野原のなかで、雨にも風にも負けず、大輪を咲かしてほしいという希望が感じられる詩ですね」

「そうだな、百合って誰かが栽培しているわけでもないのに、温室育ちのバラや蘭にも負けないくらい、太い茎で力強く咲いてるだろう。これに自然のたくましさを感じるんだ」

「自然っていいですね。私は都会育ちだから、自然に触れる機会がなくて、海とか湖とかに憧れますね」

「」

 

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