第4話 岸慎吾の幼馴染ー早川君の苦労話
「話をもとに戻すよ。俺、中学一年のとき、両親が蒸発して以来、ずっと一人暮らしなんだ。その当時、隣に住んでたのが慎吾兄ちゃんで、俺、慎吾兄ちゃんのおかあさんに、家事は手とり足とり教えてもらったんだ」
れいには、想像もつかない世界である。
れいの場合は、小学校から高校までおとなしめの公立学校だったが、高校三年の二学期、クラスの集団活動に合わなくて十日間さぼったくらい。
そのときは、両親を悩ませるはめになったが、厄介払いくらいで人生に負けるわけにはいかず、三学期は学校に行き、無事卒業した。
「まことにまことにあなた方に告げます。イエスキリストを信じ、敬虔に生きる人は、誰でもみな、迫害にあいます」(聖書)
迫害は、良い悪いの問題ではなく、まわりと合わない人に矛先が向けられる。
「結構苦労したのね。私には想像もつかない」
しかし、目の前にいる早川は、けろりとしたような顔をしている。
「テレビはないから、ラジオもおばママ、あっ俺、慎吾兄ちゃんのママのことをおばママって呼んでたんだ。どこかに、おかんの面影を探してたんだろうな。ラジオもおばママから、使用済みのものを差し入れてもらってたんだ」
「でも、そういう人って大人になってから、それが肥やしとなり、成功すること間違いなしよ」
私は思わず励ました。
「慎吾兄ちゃんは、お笑い志望でよく漫才師の真似をしたり、自分でネタをつくったりして、俺を笑わせてくれたんだ」
失礼ながら、早川は学校でいじめにあったりしていなかったんだろうか。
授業はついていけたんだろうか。
「おばママは、俺をまるで慎吾兄ちゃんの弟みたいに可愛がってくれたんだよ」
「ねえ慎吾ってさ、一人っ子なの?」
「いや、もともと弟がいたがね、病死してしまったんだ。それ以来、俺は慎吾兄ちゃんの弟分みたいなものだったな」
「近所にいい人がいた人がラッキーだったね。それがもし悪党だったら、表面は親切にしていい人だと信頼させ、後から悪の世界に入らそうとするものよ」
早川は、昔を懐かしむように言った。
「そういう人もいたよ。最初は弁当をおごってくれたりして、後から三日だけでいいから、宗教に入ってくれ、新聞も無料だから受け取ってくれとか、泥棒の見張りをしてくれと頼まれたこともあるよ」
「そうか、子供に店員の相手をさせ、その隙に万引きをするなんていう悪党の話は聞いたことはあるわ」
「だから俺、今でも他人におごってもらったり、ものの貸し借りも苦手なんだ」
「そうね。保証人になると相手の借金をみな払うことになるし、闇金は借りた方も違法だからね」
「そうだな。借金に追われると、ノイローゼや拒食症になるものな。ホームレスの方がましだよ」
私は、早川に同情を感じたわけではないが、早川の苦悩を理解しようと努めていた。
「おばママは、クリスチャンでね、真夜中になると、家の近所の公園でよく俺のことを祈っててくれたんだって」
「じゃあ、ひょっとして、岸慎吾ってクリスチャンなの?」
「慎吾兄ちゃん自体は、クリスチャンじゃないみたいだけど、否定はしていないよ」
「じゃあ、早川君はクリスチャンなの? クロスのネックレスしてるけど」
「まあ、俺はクリスチャンというほどでもないが、おばママの影響で憧れてるのは事実だよ。なんだか、真実で力強い感じがするからさ」
「ねえ、教会って行ったことある?」
「おばママに連れられて、クリスマスのイースターのとき、慎吾兄ちゃんと三人で行ったからな」
「どんな雰囲気だった? 三角の屋根で、窓がステンドグラスになってて、聖歌隊がいて」
「うーん、そんな映画みたいな雰囲気じゃ全然なかったよ。
その教会は礼拝堂がないから、居酒屋を借り切って礼拝してたんだ。礼拝時間も午前中じゃなくて、深夜労働をしている人に合わせて、午後二時から始まってたんだ。
変わった教会だろう。そして聖歌隊は、以前水商売の女性が多かったな」
「ああ、そういえばなんとなく、聞いたことがある。元アウトローが牧師で、信者の半数が非行少年の親御さんとかね」
「その教会もそういう人は来てたな。だから、俺決心したんだ。いわゆる麻薬と犯罪だけはしまいって。本人だけの問題じゃなくて、家族全員に悪影響を与えるからな」
れいは納得して、思わずうなづいた。
「麻薬だけは怖いよ。メキシコでエリートというと、日本のように弁護士や医者でもなくて、麻薬を辞めた人がエリートなんだって」
「そういえば、刑務所の少年院も男女問わず、覚醒剤が一位、窃盗が二位だものね」
「俺、教会ってなんだか品行方正で、すました人の集まりだと思ってたんだ。でも、教会は罪人の集まりなんだな」
「私、その罪って言葉、嫌いだった。罪というのは、いわゆる神から離れたエゴイズムのこと、でもね、人間って誰でも罪を犯す危険性ってあるよね」
「そうだな。騙されてそうなるケースもあるし、麻薬のように自分だけがしなかったら、外されるというケースもある。また、自分を可愛がってくれた人からの人情から断れないケースもある」
ふと、れいは思い当たるふしがあった。
れい自身はそういう体験はないが、昔、高校時代のクラスメートでバイト先の悪い奴にひっかかり、犯罪に加担した子がいたことは事実である。
ヤンキーでもなく、演劇部の部長をしていた平凡な容姿の子。
そんな子が、高校三年の夏休みを過ぎた二学期から、急に行方不明になってしまい、連絡すらも取れなくなってしまったのだ。
その子の母親は、そのことで心労を痛め、入院してしまったというが、行方不明になって二か月後、姿を現したが、以前とは代わり映えしていなかった。
しかし結局、高校は中退し、その半年後電車の中で出会ったが、金髪に染め、飲食店でバイトしているという。
まったく世間知らずは、何がきっかけで人生転落するかわからないと思った。
れいは時計を見た。もう二十一時近い。
「あっ、ごめんね。こんな時間まで引き止めて。でも楽しかったわ。また、早川君とお茶できたらと思うの」
「全然OKだね。俺も楽しかった。素藤さんってなんでも話せそうだな。ほんの少しおばママに似てるような気がする」
「じゃあ、また明日ね」
そう言いながら、れいは少し複雑な気分だった。
自分は早川代わりにホール周りをするのである。
早川はまだ、その事実を聞かされていない。
そんなことがあっても、今までと同じように早川と友人みたいに接することができるだろうか。
れいはいささか疑問だったが、しかし、早川との間に友情を感じていたことは事実だったが、友情というよりは、むしろ母性愛に近いものだった。
れいは、早速ホールに立つことになった。
早川は、れいと交替ということで、掃除専門に回された。
しかし、いやな顔ひとつせず、ただもくもくと店長のいいなりになって働く早川を、れいは偉いと思った。
やはり、苦労人だからだろうか?
「おばちゃん、さかなボールまだ?」
労働者風の中年男が、れいに催促する。
さかなボールというのは、たこ焼きの形をしているが、中身にタコは入っておらず、代わりにさかなのみじん切りが入っていて、魚ももつ成分が、コレステロールや中性脂肪を減少させてくれる健康食である。
実際、健康診断を受ける前は、二週間毎日食べにくる客もいるくらいで、テイクアウトにも人気がある。
れいがホールに出るようになって、今まで三十歳以下の若者オンリーだった客層が、徐々に中年や実年層へと広がりつつある。
これは、喜ばしいことである。
「早川君、このお鍋、お願い」
れいは、早川に大きな鍋を洗うように頼んだ。
「合点、承知のすけ」
などとわざとおどける早川に、れいは安堵感を感じた。
れいは、どんな逆境にいても、それを糧として成長していけたら、その逆境であるはずの過去は輝かしいものであるが、反対にどんな恵まれた環境にいても、悪い道に入るなら、恵まれたはずの環境はかえって仇となってしまう。
早川は、自分の環境を常に楽しんで生きている。
れいは、早川の生き方をもっと知りたいと思った。
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