第3話 水商売風喫茶 スイートハート

 二十二歳の雇われ店長の話によると、ホール周りはいわゆる指名制度というのもあるらしい。

 客が気にいった店員がいれば、横の席について三分間接客するのだ。

 店員が砂時計をもってきて、三分間たったら席を立つことにしている。

 まるで、キャバクラかホストクラブ風だ。酒のない水商売。

 指名料は一人につき、百円である。

 別に指名がかからないからといって、クビになることもない。

 全く、今までにはない新しいタイプの水商売風喫茶である。

 なぜ、こんなに指名料が安いかというと、あまり高い指名料だと店員に無理なサービスを要求し、店員も金のためには、客の無理な要望に答えなければならないという悪循環が生まれる。

 だいたい水商売は、店から時間給といった固定給がないので、店員は客から金をとるために、無理な要望に答えなければならない。

 そうすると、客と店員の間に、従属関係が生まれるが、酒を提供する水商売ではないのでそんな必要はなく、あくまで健全なフレンドリーな、三分間友達の関係である。


 れいは、三分間友達を達成したいと思っていたが、正直自信がなかった。

 若い子なら、失言も許されるが、三十五歳のれいなら、失言も許されないと思っていた。

 れいの仕事は営業前は掃除、営業中は皿洗いである。

 食器はすべて、白か黒で統一され、高級感を漂わせているのだ。


 若い子に、浪花ボーイの岸 慎吾が好きなどと言ったら、笑われるだろうか。

 CDは常にヒットチャート十位以内。

 トークには、アイドルながらお笑いのセンスがあり、それが同性にも受け、この頃は吉本系のお笑い芸人との共演も多い。

 慎吾は現在二十六歳だが、あと四年後、三十歳になったらどうなるだろう。

 木村拓哉のような、圧倒的なオーラを漂わせている、貫禄のある大スターになるのだろうか。

 いやその前に、次々と若いアイドルが登場してくるが、彼は生き残れるのだろうか。れいはちょっぴり不安である。


「おばちゃん、これ洗っといて」

 入店したばかりの十八歳の高校生が、れいに大きな鍋を渡した。

「はい、わかりました」

 れいは、自分の息子のような年齢の子に敬語を使った。

「おばちゃんじゃ失礼か。素藤さんだったな。俺さ、岸 慎吾に憧れてるんだ」

 れいは、吹き出しそうになった。

 その少年は、どう見てもアイドルになれそうな容姿ではないのだ。

 身長は160cm以下、小太りのもじゃもじゃ頭である。

「そう、そんなことより、今は勉学に励んだ方が身のためよ」と一瞬言葉が浮かんだが、黙っていた。

 えっ、女の子ならともかく、同性が岸 慎吾を好きということは、なにか特別な関係でもあるのだろうか。

「実は俺、今から六年前のことだけど、慎吾兄さんの隣の部屋に住んでたんだ」

 幼馴染ってわけか。慎吾は、確か関西の田舎の出身だという。

 私は、がぜんこの平凡いや、さえない少年に興味が湧いた。

 現金なものだ。今までおばちゃんなどと言われて、礼儀知らずのハンパ少年だと思ってた子が、私にとっては岸 慎吾を知る重要な足掛かりになっている。

「ねえ、あなたの話後からゆっくり聞きたいな。そうだ、仕事が終わったら駅前のファーストフードの二階で待ってるわ。私の名前はおばちゃんではなく、素藤れい」

「ああ、俺もよく行くんだ。あそこのレモンパイうまいよね」

「じゃ、九時に待ってるわ」

 れいは、なんだか決まりきった掃除仕事が急にキラキラして見えた。


 仕事中に、れいは店長から呼び出された。

 店長といっても、所詮は雇われ店長であり、給料は売り上げによって左右され、店のなかのことは、なんでも店長の責任であり、売上アップして当たり前。

 二か月以上左前で、客の苦情が多いと即転勤である。

「素藤さん、あなたは結構掃除をかんばってくれてるね。今度、ホールに出てみないか。うちも若い客ばかりでなく、ご高齢者にも必要とされたいんだ。

 昨今の高齢化社会、若い客ばかり対象にしていては生き残っていけないよ。

 それに、若い子は新しもの好きで、飽きるのも早い。だから、素藤さんは年配者にできるだけ、笑顔で接してほしいんだ」

 れいは、嬉しかった。やはり、少しでもシミや汚れを失くしていこうという心づかいが認められたのだ。

「来週から、早川君と交代だ。早川君に負けないよう、頑張ってな」

 じゃあ、私はさっきの子ー早川君の代理としてホールへ立つんだ。

 まるで、主役を争う椅子取りゲームのようなものだ。

 誰かが、表舞台にでた時点で、今までの人は裏方にまわる羽目になる。

 れいは、複雑な気分であり、手放しでは喜べなかった。


「やあ」

 ファーストフードの二階は満員だったにも関わらず、早川が手を振ったので、れいはすぐ席についた。

「素藤さんだったっけ。もう、スイートハートでバイトして、ベテランの域なの?」

「とんでもない、まだ二か月目よ」

「でも、素藤さんにかかると、どんなガンコな油汚れやシミでもとれると評判だぜ」

「ああ、私は家から専用洗剤を持ってきてるのよ」

「ええっ、どんな洗剤?」

 早川は身を乗り出したが、れいは教えなかった。

「企業秘密よ」

 そう、これは他人に教える必要はない、掃除の秘訣のようなものである。

 昔、豊臣秀吉が草履取りから天下を取ったように、やはり掃除など身近なところから、信用を積み重ねていくしかない。

 ちなみに、豊臣秀吉は、主君織田信長に差し出す草履を、ふところで温めて履かせたように、とにかく主君の弱みを知り、それをカバーした上で、必要とされるように努めたという。


「ねえ、岸慎吾の話、聞かせてよ」

 れいは、そのために早川を呼んだのだ。

「私が慎吾のファンになったのは、ルックスだけじゃなくて、三枚目的なかすれた声とお笑いのセンスかな」

「うん、そうだね。でも、慎吾兄ちゃんは俺にとっては恩人なんだよ」

「えっ、どういうこと? 慎吾兄ちゃんは私にとっても恩人よ。私、慎吾のおかげで毎日の生活に張りがでたんだものね。慎吾に会えると思うと、張り切るぞっていう気分になるの」

「うん、わかるな。その気持ち、俺、こう見えても苦労人なんだよ」

 目の前にいる早川は、苦労人というよりもチャラい感じである。

「俺さあ、中学一年のとき、両親が蒸発したんだ。まあ、両親といっても、俺の父親は最初からいないのも同然だったけどね。おかんが急にいなくなったときは、びっくりしたなあ」

 多分、闇金とかヤバいところから借金して飛んだ(行方知らずになった)のだろう。

 わが子は母親の一部分のようなものであるが、それを残して行方知らずになるということは、わが身を切られるように胸の痛いことだろう。

 しかし、わが子に迷惑をかけたくない一心だったに違いない。

「だから、中一のときから新聞配達をしてたんだよ。本当はダメなんだけどね。販売店の所長さんも似たような境遇の人でね、特別に許可されたんだ。

 でも、その所長さんは、去年亡くなって会社組織になっちゃったけどね」

 れいは、感心したように聞いていたが、人はつくづく見かけによらないと思う。

「俺は、長屋育ちでね、近所のおばさんが、料理、掃除、洗濯の仕方を手取足取り教えてくれたんだ。俺、今でもそのおばさんとは、年に一度は会ってるよ」

 話が湿っぽくなりそうだ。

「ねえ、おなかすいてない? レモンパイ一緒に食べようよ。私も一度食べてみたかったんだ。私だけデブになるのは嫌だから、早川君も巻き添えにしちゃおうなんて企んでたのよ。バレたかナ?」

 早川は吹き出した。私もつられて吹き出すところだった。

「今日に限っておごるわ。その代わり、今度のお返し楽しみにしてるわ。私におごらせたら、高くつくわよ」

「素藤さんってお笑いのセンスありそう。慎吾にいちゃんのファンだけのことはあるわ。お言葉に甘えてレモンパイふたつ」

 早川が、オーダーを取りにいったとき、見知らぬ男が早川の足を引っかけた。

 二十五、六ぐらいだろうか。首にはタトゥーが入っている。

 早川は、バランスを失って床に尻もちをついたと同時に、威圧感を聞かせた声で

「邪魔なんだよね。あんた達」

 何者だろう。れいは思い当たるふしはなかった。

 熱いコーヒーが早川の腕にかかってしまった。

「早川君、大丈夫? 今の人だあれ? 心当たりあるの」

「まあ、あるといえばあるな。慎吾兄ちゃんを妬むとんでもないやからだよ」

 芸能界のライバル事務所の回し者ってわけか?

 れいは、ますます興味が湧いた。

「ねえ早川君、詳しく教えてよ」

「それじゃ条件がある。浪花ボーイのファンクラブ入会してくれる?」

「勿論よ。ああこれで一歩、慎吾に近づける」

 れいは、まるで女子高生に戻ったみたいだと思った。

 こんな純情さが自分のなかに残っているとは、自分でも意外だった。

 







 

 

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