前日譚 小春日和前 十六、日常ⅱ/粉骨砕身ⅳ /捲土重来ⅳ

◉登場人物、時刻

⚫︎日常ⅱ

戸田高雲斎    中堅國人衆。棟梁家の血に

         連なる。

保坂平左衛門   大久保六郎兵衛尉の家臣・

         家子いえのこ

         親族衆で今回が初陣。


巳初みしょの刻 午前九時から午前十時

巳正みせいの刻 午前十時から午前十一時


⚫︎粉骨砕身ⅳ

戸田高雲斎    中堅國人衆。棟梁家の血に

         連なる。

大久保六郎兵衛尉 高雲斎家臣。

保坂平左衛門   大久保六郎兵衛尉の家臣・

         家子いえのこ

         親族衆で今回が初陣。


巳正みせいの刻 午前十時から午前十一時


⚫︎捲土重来ⅳ

〈南武方〉

南武刑部大輔   棟梁家の宿老。大身の國人

         衆。

         前棟梁に妻を娶らせた

         『当國棟梁之伯父』。

櫻井余呉右衛門  南武家の重臣。

         先陣を務める。

田中次郎兵衛   南武家の先陣馬廻に参加す

         る軍役衆(雑兵)。


南武甲斐     南武刑部大輔の子。南武家は

         守護家の支族で「峡の国」南

         部に一大勢力を持つ有力

         國衆。

         直情径行のきらいがある。

〈戸田方〉

戸田高雲斎    中堅國人衆。棟梁家の血に

         連なる。

大久保六郎兵衛尉 高雲斎家臣。

保坂平左衛門   大久保六郎兵衛尉の家臣・

         家子いえのこ

         親族衆で今回が初陣。


巳初みしょの刻 午前九時から午前十時

巳正みせいの刻 午前十時から午前十一時


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前日譚 小春日和前こはるびよりのまえ 十六、日常ⅱ / 粉骨砕身ⅳ/捲土重来けんどちょうらい


庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳初みしょの刻 保坂平左衛門(戸田方本隊)


 叔父上たちが集落の陰に消えて、しばらく。

 後方よりガヤガヤと音がする。

 殿に許しを得て、物見に向かう。

 

 山を廻り込んだ向こう側、いまだ小さな米粒ほどの大きさで、大袈裟な砂塵さじんを上げながら、待ちに待っていた被官衆・軍役衆の第二陣が着到ちゃくとうした。

 


庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳正みせいの刻 保坂平左衛門(戸田方本隊)


 そなえ*1の再編が進む。

 戦場で再編など、混乱する事が目に見えていたので、笠印、袖印*2に予め番号を振ってある。それを各所で叫んでいる。


 少数だが鍛冶屋、矢師、軽食売りなど商魂たくましい商人・職人や傾城屋なども付いてきていて、少し離れた場所で臨時の市を成している。

 私も博労ばくろう*3から三貫二百文で当座の馬も手に入れることが出来た。軽くならしたが、取り敢えず大丈夫だと思う。あとは実戦で使えるかどうかだ。


一六イチロク〜、一六。一六は此方こちらへ」

 本隊馬廻の番号は一六イチロクだ。何やら分からないが、縁起の良い数字らしい。本来、新入りがやるべき仕事であるが、第二陣に私が本家預かりになった事情を知られていない状況では、任務に支障がある、と言う事で別の方がやっている。私はその隣に立って、挨拶周りだ。

 気難しい方、顔見知りで気さくに激励して下さる方。反応はさまざまだ。



 再編が始まった頃。


 これが終われば、正面から南武方とぶつかっても五分の勝負が出来る………………先陣のみなと合流できる、そう思った頃。



 おかしな一団がいる事に気がついた。

 腹巻は一応しているが、所々欠けている。

 槍や弓などは持たず、刀すら持っていない者もいる。

 何より此方こちらの呼び掛けには全く反応せず、かれた様に前に進んでいる。

 不思議と周囲の空気が黒ずんで見える。


 …………ボロボロの見た目と相まって、朝日の中だと言うのに幽鬼の行進百鬼夜行と見まごうほどだ。


「おい!何処どこへ行く?此方こちらで原隊に入れ!」

 声をかける。だが幽鬼の群れは反応しない。立ち止まるどころか、此方こちらを見る者さえ居なかった。


 今度はもう少し声を荒げ、声をかけようとする。

「おい!聞こ………………」

「止めておけ、無駄だ」

 近くにいた歩弓侍の方が教えてくれた。

「奴らは今回の発端となった百姓衆だ。今朝方、救いがゆを恵んでもらうまで、数日、真面まともに飯を食っていないらしい。目の前に濫妨狼藉らんぼうろうぜきが出来る村があって、止まる理性なんて残ってないだろう」

「しかし、隊より先に出しては危険では?」

「………………こっちの言う事なんか聞こえてない。無理に止めようとすれば、此方こちらに襲いかかってくるだろう。…………ここだけの話、奴ら小荷駄を襲おうとして一悶着ひともんちゃくあったんだ」

 精も根も尽き果てた感で言う歩弓侍。

 絶句する私。

「略奪した食物を食って一息吐けば、理性のない獣から人に戻るだろう。までは味方と……人とは思わない方が良い。御主だって後ろから襲われたくはないだろう。そんなものは武士もののふの死に方ではない。犬死にだ」

 


庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳正みせいの刻 保坂平左衛門(戸田方本隊)


 どうする事も出来ず、力無く雑兵どもを見送った。……その先、川向こう、大久保党の力強い姿が見える。大久保党は遠巻きに矢を射掛け、槍歩兵のみになっていた敵後備を敗走させていた。今は掃討戦に移っている。


 (至 山地)        (至寺倉) 

 道               道   川

丘丘道丘丘丘丘丘丘丘丘崖崖崖崖丘 道  川川

丘丘道道丘丘丘丘 丘道道道道道道道道  川川

丘丘丘道丘丘丘  道道崖丘丘丘崖 道   川

丘丘丘崖道丘崖 丘丘丘丘崖丘崖  道   川

 崖丘丘道崖崖 崖崖崖崖丘丘崖林林 道  川

崖崖丘   (尾根筋)  丘崖崖林 道  川

丘丘丘丘丘丘崖丘丘丘丘丘丘丘丘丘林 道  川

丘丘丘丘丘丘崖丘丘崖崖崖丘丘丘林林『戸』 川

丘丘崖崖崖崖丘丘丘 丘崖丘     道  川

丘丘丘丘崖崖丘丘   丘      道  川

 丘崖崖崖丘      「木花集落」道  川

             (南武方)道  

浅瀬小川小川小川浅瀬小川小川小川小浅瀬小川小

丘丘丘丘丘丘丘丘    「『後』落」道

丘崖丘丘崖丘丘崖丘崖「神『先』   道

丘丘丘崖丘丘丘崖崖丘丘崖      道

(尾根筋・戸田方目標)道道道道道道道道  川

崖崖崖崖崖丘丘丘崖崖崖崖林林    道  川

崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖丘丘林 道道道道  川川

丘隘路隘路隘『南』隘路隘路隘林林川川川川川川

道川川川川川川川川川川川川川川川川川川川川川

(至 渡の郷)

『戸』=戸田本隊 『先』=戸田先陣

『南』=南武本隊 『後』=南武軍後備

「神」=神社

隘路あいろ=人一人、馬一頭通れるのがやっとの狭い崖道


 山の向こうである為、確かな事ではないが、敵本隊は動いていない様だ。微かに見える敵最後尾が同じ場所にいる。

 先陣が敵後備を片づけ、敵本隊に襲いかかるのが先か、我らが再編を済ませて、敵本隊に襲いかかるのが先か。いずれにしても後は隘路あいろに行き詰まる敵を後ろから射落とすだけだ。

 これは戦とは言わない、一方的な虐殺だ。


 そして、必要な事だ。

 そうだ……必要な事だ。



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳正みせいの刻 南武甲斐(南武方本隊)


「えぇい、何をやっているのだ!全く進まんではないか!」

 後ろから近習の声が答える。

「先程、落石で道が通れなくなっていると報告があった通りです!今、懸命に岩を退けている最中かと!」

 その報告も物見が行き来する事も出来ないので、前から伝言の様に伝わってきたものだ。

「何故、もっと早く退かせられないのか!!」

「作業できるのが一人か、多くて二人のみですので、時間がかかっているものかと!」

「役立たずがぁっ!」


 ……何故こんな時に落石が?行きは通れたでは無いか?敵の仕業か?もしや裏切りが?


 …………まさか、こんな所で死ぬのか?大望を成す事も出来ずに。私は選ばれた者ではないのか?

 嘘だ。そんなはずはない。嘘だ!

 私はこの國に平和をもたらす者の筈だ。

 こんな所で死ぬ筈はない。死ぬ筈はない!

 そんな事が許されるべきでは無いのだ!



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳正みせいの刻 櫻井余呉右衛門(南武方先陣)


「急げ!弓を先に!次は弓持ゆみもち*4。小荷駄は矢を弓持へ。有りったけ持ってこい。槍はその後だ!」

 歩槍侍と槍雑兵は一番先手で既に位置に着いている。後は弓兵を位置に着かせるのが最優先だ。残りの本隊馬廻りの歩兵は後で良い。

 合流した南武先陣の生き残り十九騎、被官衆・軍役衆は一部、脱落兵が出たが七十九人。それに殿の護衛十騎を加え、総勢百八人。その内弓兵は二十人強だが、馬に乗っていない騎馬兵も弓隊に加わっているので、五十人強の弓兵がいる。


 町屋川の上流から浅間山へ上がり、山を縦走する様に、尾根をぐるっとまわってきた。当然、馬は使えない為、全て徒士だ。完全装備で山の中を這いずり回るのは重労働だが、後備が壊滅しかかっている。それを救えるのは我らだけだ。


 急げ、急げ!


 しかし敵の勢いは強い。中途半端な初撃では敵の勢いに引きずられて、勝機を失う。

 有利な体制から一方的に攻撃する初手が必要だ。壊滅的な初手が。

 その為には弓数が必要なのだ。


「弓は三列で並べ。横に弓持ゆみもちを付けよ。間断なく矢を射掛けるのだ。狙いを付けるな。弓数を生かし雨のように敵を包み、押し潰すのだ」

 

 力強い声がする。


 竜胆りんどうの重ね色目*5の狩衣かりぎぬの下に腹巻だけを付けた姿に引立烏帽子ひきたてえぼし

 黒漆こくしつに薄く螺鈿細工らでんざいくほどこされた大小は金具かなぐは金で華やか。

 おおよそ山中にいるべき姿ではない。


 場違いな姿。

 それでも反発の声が生まれないのは、報せを受けて駆けに駆けて下さった事が分かるからだ。

 更に「御主らがれば、我が鎧は要らぬ」とまで申されれば、何を言うことが出来よう?


 この御方をこそ、我らが主人あるじ

 南武に仕えた我が家累代るいだいの当主の中で、私ほどの果報者は居るまい。



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳正みせいの刻 櫻井余呉右衛門(南武方先陣)


 ……眼下では決着が付いてしまった様だ。

 間に合わなかった。

 我が後備は敵先陣に殲滅せんめつ*6された様だ。逃げ場が無く、散り散りに逃げることすら出来なかった。


 ……すまない。

 しばし、目をつぶり冥福を祈る。

 我らもじきに泉下へ向かう。

 我が同胞ともよ、その時はまた、酒を酌み交わそう。

 今はただ、貴方方あなたがたの稼いだときを無駄にしない。



 眼下の敵先陣は敵本隊に戻り、うつほを受け取ると、そのまま若のいる我らが本隊に向かう。

 川向こうの集落まで進んでいた敵本隊の先手も徒士兵ばかりではあるが、此方こちらに推し出す様子を見せる。


 その時、我らが主人あるじ南武なんぶ刑部大輔ぎょうぶたゆう様の力強い命が下る。

「目標、敵先陣。その殲滅後せんめつごし出した敵本隊の先手を射抜く。弓隊、斉射、」

 私を含めた弓隊が天に腕を伸ばしつつ、弓を引き絞る。

「構え、」

 腕を下げ、弓を斜め上、中空の見えない的に狙い定める。

はなて!」

 五十人強の弓武者たちが一斉に矢を放った。



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◉用語解説

*1【そなえ

 部隊のこと。


*2【笠印、袖印】

 敵味方の識別のために紙などで作られた識別票。笠や具足の袖に付けました。


*3【博労ばくろう

 馬を取り扱う商人のこと。


*4【弓持ゆみもち

 馬上の主人の弓や矢を運搬する非戦闘員。

 当時の軍役を記した資料(後北条氏『着到帳』)を見ると「歩弓侍」と「弓持」が別項目で立てられています。「歩弓侍」の装備規定は「甲立物かぶとたてもの・具足・指物(旗)」で重装備ですが、「弓持」は「具足・皮笠(陣笠)」とあり軽装である事から、自身が弓で戦闘をする者ではなく、主人の弓道具を運搬・管理する戦闘補助員だったと考えられています。

 こう言った戦闘補助員は他にも見られ、甲斐武田氏の『軍役定書』には「甲持かぶともち」「持鑓(馬上の主人の持鑓を運ぶ非戦闘員)」が、越後上杉(長尾)氏の『軍役帳』には「手鑓(武田氏の持鑓に同じ)」がそれぞれ見えます。


*5【竜胆りんどうの重ね色目】

 戦国時代の技術で作られた絹糸はまだ細く、その生地で出来た服は裏の生地の色が見える程、薄い物でした。

 その事を逆手に取ってワザと裏地の色を透けさせ、その変化を楽しむ当時のファッションを『重ね色目』と言いました。

 『竜胆』の重ね色目は表地が蘇芳すおう(濃い赤紫色)で裏地が青(現代の青色ではなく、現代の感覚で言うとうっすら黄身が入った緑に近い色)のもので、秋に着られる重ね色目でした。


*6【殲滅せんめつ

 現代戦ですが、軍事用語では部隊の三割を喪失する事を『全滅』といい、部隊の五割を喪失する事を『壊滅』と言います。そして部隊員全員が皆殺しにされて、全戦闘力を喪失する事を『殲滅』と言います。



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