前日譚 小春日和前 十四、粉骨砕身ⅱ

◉登場人物、時刻

【戸田方】

戸田高雲斎    中堅國人衆。棟梁家の血に

         連なる。

大久保六郎兵衛尉 高雲斎家臣。

保坂平左衛門   大久保六郎兵衛尉の家臣・

         家子いえのこ

         親族衆で今回が初陣。

佐奈田十郎    戸田軍の若近習。弓の名手。

         有能だが思い込みが激しい。


巳初みしょの刻 午前九時から午前十時


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前日譚 小春日和前こはるびよりのまえ 十四、粉骨砕身ふんこつさいしん



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳初みしょの刻 保坂平左衛門(戸田方先陣)


汝等うぬら、近習衆は何をやっておったっ!」

 殿が敵に襲われたとの報せに接し、追撃を中断して本隊と合流した。六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょうさまのカミナリが落ちている。

 …………最初に聞いた報せは生死不明で、背筋が凍ったものだ、無理もない。


「そこまでにせよ、六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょう。オレも迂闊うかつであった」

 六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょうさまの怒りは収まらない。

「その通り。殿も殿で御座る。こんな巫山戯ふざけた敵のり様で御命を失のうたら、末代までの笑い物ですぞ!」

「分かった、分かった、自省するから。今はそれより今後の事だ」ウンザリした様に殿。


「今後も何も、殿の御命に危険が迫った以上、ここはこれまでです。敵に此方こちら絡繰からくりもバレた様ですし、ここまで充分に勝ちましたし、もうそろそろ潮時ではないでしょうか?」

 ……六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょうさまの仰言おっしゃる通りかも知れない。


「それは駄目だ。我々は未だ目的を達していない」

 殿はそれまでの軽い口調と一転して、鋭い口調でいう。


(至 山地)         (至 寺倉) 

 道               道   川

丘丘道丘丘丘丘丘丘丘丘崖崖崖崖丘 道  川川

丘丘道道丘丘丘丘 丘道道道道道道道道  川川

丘丘丘道丘丘丘  道道崖丘丘丘崖 道   川

丘丘丘崖道丘崖 丘丘丘丘崖丘崖  道   川

 崖丘丘道崖崖 崖崖崖崖丘丘崖林林 道  川

崖崖丘   (尾根筋)  丘崖崖林『戸』 川

丘丘丘丘丘丘崖丘丘丘丘丘丘丘丘丘林『先』 川

丘丘丘丘丘丘崖丘丘崖崖崖丘丘丘林林 道  川

丘丘崖崖崖崖丘丘丘 丘崖丘     道  川

丘丘丘丘崖崖丘丘   丘      道  川

 丘崖崖崖丘      「木花集落」道  川

←(南武先手の逃げた方向)(南武方)道  

浅瀬小川小川小川浅瀬小川小川小川小浅瀬小川小

丘丘丘丘丘丘丘丘    「木花集落」道

丘崖丘丘崖丘丘崖丘崖「神」(南武方)道

丘丘丘崖丘丘丘崖崖丘丘崖      道

(尾根筋・戸田方目標)道道道道道道道道  川

崖崖崖崖崖丘丘丘崖崖崖崖林林    道  川

崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖丘丘林 『後』道  川川

丘隘路隘路隘『南』隘路隘路隘林林川川川川川川

道川川川川川川川川川川川川川川川川川川川川川

(至 渡の郷)

『戸』=戸田本隊 『先』=戸田先陣

『南』=南武本隊 『後』=南武軍後備

「神」=神社


「オレ達は分捕り戦をしに来たのだ。此処ここまでは数軒の半手はんでの家*1しか無かった。濫妨狼藉らんぼうろうぜきの出来る敵の治める集落は、ほれ、目の前だ」

 山間の谷筋、小川が川と合流する地点に開けた土地があり、そこに比較的大きな集落がある。

 三十数戸、百人強の人々が住む南武方の「木花集落」だ。もっとも今は人の気配はなく、何処どこかに逃げ散っている様子である。


「あの先は、この回廊の最大の難所で、狭い崖道がけみちになっている。人一人、馬一頭が通るのがやっとだ。その証拠に南武の者どもがほれ、未だに渡りきれておらぬ」

 殿がむちで指し示す先。

 南武軍の最後尾が隘路あいろに入ろうとしている。敵前で隘路あいろ に入るなど、おおよそ兵法というものを知っているとは思えない無様ぶざまな行軍だった。ときが無いのを悟ったのだろう、敵方後備うしろぞなえは見事な馬を何頭も乗り捨てにしていた。武門の恥だ。


「南武軍本陣先手は新倉の方へと落ちていった。どう考えても、あの後ろに並ぶのは自殺行為だからな。しかし、それではあの山の向こうへと渡った南武本陣と合流するには、大きく山を回り込む必要がある。つまり、我々の如何様イカサマが南武本陣に伝わるまで、未だときはある、という事だ」

 今度は殿が西を指す。深い山間やまあいの道で、小川の源流部に通ずる。その道は狭く険しく、今日中に南武本陣と合流するのは無理かも知れない。

 ……それにしても如何様イカサマとは。殿らしい仰言おっしゃり様ではあるが、思わず苦笑してしまう。


「木花集落の向かい、あの隘路あいろの手前の山までは、せめてもの取らねばならぬ。彼処あそこまで進出できれば、飢えた百姓衆に安全を確保した上で、濫妨狼藉らんぼうろうぜきをやらせてやれる。彼処あそこに陣城を構えれば、長期に渡り木花集落を手中に収める事が叶う。そうでなければ、何の為に勝ってきたのか解らぬ。あと、もう一踏ん張りなのだ」



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳初みしょの刻 大久保六郎兵衛尉(戸田方先陣)


 いつも殿には驚かされる。行き当たりばったりの危うい策を立てられるかと思えば、その実、大事な核心を見失う事がない。天賦てんぷの才というべきか。

 ……我らは食い詰めた百姓衆を救う為に戦を始めたのだ。此処ここで退いてしまっては、勝った事にはならない。


 ……とは言え、我ら奉公の者としては、殿に危ない橋を渡らせる事は出来ない。

「……かしこまってそうろう。しかし、殿の身を危険にさらす事は出来もうさぬ。ここは我らに御任せあれ。我ら先陣の者どもが、あの要所を確保致しまする。殿は此処ここで第二陣の被官衆・軍役衆を御待ちあれ」

「……うむ」

 何かを考えておられる殿。


「……ならば、本陣の疲れておらぬ兵を十五騎ばかり、連れて行け。先陣は度重なる激戦で三十騎にも満たぬ数になっておる。それではむずかしかろう」

「御案じめさるな。我ら大久保党、二十七騎たりと言えど、一人一人が一騎当千のつわもの揃いでありますれば、この程度の任、造作もなき事」

 驚く殿。殿とは長い付き合いだ。私であれば、その様に答えると殿は思っておられたろう。

 ……驚かれたのはきっと別の事だ。


「二十七騎?二十八騎いるようだが?」

「……保坂平左衛門、前へ」



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳初みしょの刻 保坂平左衛門(戸田方先陣)


「はっ!」

 何だろう?と思ったのは一瞬。急いで六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょうさまのかたわらに駆け寄る。


「この者は若く未熟なれど、真っ直ぐな気性を持つ素晴らしい若者です。殿の御側おそばで多くを学べば、きっと御家の御役に立ちましょう」

 慌てて頭を下げる。


 嬉しさが込み上げる。

  六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょうさまが私の事をそんな風に見ていてくれたなんて。

 不安になる。

 私は其れ程の者ではない。御推挙頂いた上で殿の期待を裏切れば、 六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょうさまの顔にも泥を塗る事になる。

 何程の事が出来よう?未だ大久保党に付いて行くのもやっとの私に。


  六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょうさまは言う。

其方そなた何時いつも百姓を見て心を痛めておる。味方だけではなく、敵の百姓も含め。或いは其方そなたの方が正しいのかも知れぬ。やはり、人々が奪い合わなければ、生きていく事すら出来ぬこの世はおかしい。この乱世に、我らはとうの昔に慣れて、そんな事すら忘れてしまった」

 何時いつ何時いつも思っていた。

 私は如何どうして当たり前の事で苦しむのかと。

 人と比べて何かが欠けているのではないのかと。

「しかし、其方そなただけは違う。理想に酔って、現実を見失なうな。現実の痛みに負けて、理想を捨てるな。いつまでも乱世に慣れる事の出来なかった御主なら、或いは誰も見つけられなかった平和を見つける事が出来るのかも知れぬ」

「…………はぃ」

 情けない事にかすれて、声にならなかった。

「さて、では私たちはこれから存分に手柄を立ててくる。そこで殿と思う存分、見ているのだな」

 此方を揶揄からかう様に笑って言う 六郎兵衛尉ろくろうひょうえのじょうさま。

 必死に頷くだけで、もう声も出なかった。



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◉用語解説

*1【半手はんでの家】

 戦になった際の濫妨狼藉らんぼうろうぜき(掠奪)を防ぐ為、対立する武士と武士の境目の村はそれぞれの武士に半分ずつ年貢を納めました。これを半手と言います。

 本来、寺倉集落(戸田方)、木花集落(南部方)共に「半手の村」になっていてもおかしくないのですが、“回廊”の独占を目指した南武方が木花集落を年貢の減免、武士の警固砦の造築、脅迫など有りとあらゆる手段で味方につけ、対抗上、同じ手段で元々、戸田方の管理する荘園内だった寺倉集落を口説き落とした設定になっています。


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