前日譚 小春日和前 十三、粉骨砕身 ⅰ

◉登場人物、時刻

【戸田方】

戸田高雲斎    中堅國人衆。棟梁家の血に

         連なる。

佐奈田十郎    戸田軍の若近習。弓の名手。

         有能だが思い込みが激しい。


巳初みしょの刻 午前九時から午前十時


-----------------------

前日譚 小春日和前こはるびよりのまえ 十三、粉骨砕身ふんこつさいしん


庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳初みしょの刻 佐奈田十郎(戸田方本隊近習)


 逆光のなか。

 槍に突き落とされる様に、馬から堕ちていった黒いかげ殿


 山のの月。臥所より庭に照り返す蛍を共に見し夜。

 あの日、身命しんみょうしてこの方を御守りすると誓った。

 その誓いを愚かな私は、守れなかった。


 

 君がため 惜しからざりし 命さへ…… 


「……っぁぁぁああああっ!」


 死のう。

 落馬した体の痛みも消えた。元よりこれから死ぬる身であれば、意味などないが。


 し斬った賊の太刀を引っつかむと、三人の賊に斬り掛かる。

 此方こちらを見ていなかった賊のくびを斬り落とす。力任せの蛮用に耐えきれず、太刀もひん曲がる。捨てる。


 賊の一人が斬り掛かってくる。

 大上段から振り落とされたそれを、籠手こての金具の多い部分を突き出し、防ぐ。もう痛みも感じない。


 脇差を素早く抜き、賊の胴丸と帯の緩んだ草摺くさずりの間に差し込んだ。力任せに脇差をひねると、賊は倒れてそのまま動かなくなった。


 周りを見渡すと、最後の賊は一目散に逃げるところだった。

 逃がさない、逃がしてなるものか!

 …………弓がない。弓持ゆみもち*1が居ない為、夢中の内に弓を失ってしまった。

 周りの近習から四方竹弓しほうたけのゆみを奪うと、筈高はずだかに負ったえびらから征矢そや*2を引き抜き、矢を放つ。

 

 距離はわずかに二間*3。

 最後の賊は胴丸の上、くびの根本から射貫いぬかれて、喉から征矢を突き出した奇怪きっかい塑像そぞうとなって、倒れ伏した。




 殿、仇は取りました。この愚か者を御許し下さりますか?……今、御傍おそばに参ります。

 両膝を突き、脇差を抜こうとする。

 しかし、脇差がない。……そう言えば、二人目の賊を刺して、余程深く食い込んだのか、抜けなくなって、そのままにしたのを思い出した。


 不覚。武士もののふの最期に、これ程無様ぶざまとは。

 こうも未熟であるから、やってはならぬ仕損しくじりをするのだ……


 見回す。

 この際、賊のでも良い。脇差は無いか?

 

 

 その時、倒れている人が肩を痛そうにさすっているのが目についた。

 …………バツの悪そうな顔をした、肩をさすっている殿を。


 話しかけてくる。

「…………やぁ、」


 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………えっ?



庚戌かのえいぬ二年長月十六日 巳初みしょの刻 戸田高雲斎(戸田方本隊)


「殿っ!」

 近習の誰か、鋭い声が響く。

 この先の策を練っていたオレが物思いから覚めると、至近から三本の槍が伸びてきた。

 

 これは避けられぬ……?!


 咄嗟とっさあぶみから足を抜き、後ろに倒れる。後の事など考えない、無防備な落馬。

 人生はすべから博奕バクチよ。


 周辺が落ち着く。…………如何どうやらオレは博奕バクチに勝ったようだ。左肩を中心に全身が痛い。腰にも背にも妙な違和感がある。

 それでも生きている。

 敵は近習の奮闘により、退けられたようだ。

 全身に渡る身体の痛みも、絶体絶命の危機を脱した代償と考えれば、安いものだ。




 …………あの近習、真っ白に燃え尽きてるけど、何だろう?



-----------------------

◉用語解説

*1【弓持ゆみもち

 馬上の主人の弓や矢を運搬する非戦闘員。

 当時の軍役を記した資料(後北条氏『着到帳』)を見ると「歩弓侍」と「弓持」が別項目で立てられています。「歩弓侍」の装備規定は「甲立物かぶとたてもの・具足・指物(旗)」で重装備ですが、「弓持」は「具足・皮笠(陣笠)」とあり軽装である事から、自身が弓で戦闘をする者ではなく、主人の弓道具を運搬・管理する戦闘補助員だったと考えられています。

 こう言った戦闘補助員は他にも見られ、甲斐武田氏の『軍役定書』には「甲持かぶともち」「持鑓(馬上の主人の持鑓を運ぶ非戦闘員)」が、越後上杉(長尾)氏の『軍役帳』には「手鑓(武田氏の持鑓に同じ)」がそれぞれ見えます。

 この時の戸田軍には護衛につく歩兵(作中名称の被官衆・軍役衆)が居ないので、当然これらの人々もいません。


*2【筈高はずだかに負う、えびら征矢そや

えびら」は矢を入れて背に負う道具。「筈高はずだかに負う」はそのえびらを右腰から背中へ斜めに背負う事で、良い武者の証とされました。「征矢そや」は狩りにつかう「狩矢」、練習・儀礼用の「的矢」などに対し、戦場で使う軍事用の矢を言います。


*3【二間】

 約3.6メートル。

 中世の和弓は最大で400メートルほど飛んだそうです。ただし、最大射程の辺りではほとんど殺傷力は無かったと考えられます。

 有効最大射程がどれくらいかは分かりませんが、仮に半分としても200メートル。

 現代でも弓道競技の「遠的」は60メートル先の的を射るそうなので、いずれにしても二間の距離は「至近距離」と言って良い近さだと思います。


 君がため 惜しからざりし 命さへ

  長くもがなと 思ひけるかな

(後拾遺和歌集 百人一首歌 藤原義孝)


『貴方のためならば捨てても惜しくはないと思っていた命さえ、貴方と会う為ならば、出来るだけ長くありたいと思うようになりましたよ』



 お読みいただきありがとうございます。もしよろしければ、感想、フォロー、評価お願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る