前日譚 小春日和前 六、萌え出づるⅰ/幕間狂言
◉登場人物、時刻
⚫︎
???? 主人公。今回は出番あります。
数え年で八歳。棟梁家の庶長
子(側室から生まれた長男)。
伊兵衛 村の中で主人公が侍身分である
事を唯一知っている
子供。数え十五歳。
今回の石合戦で副将を務める。
⚫︎幕間狂言
〈戸田方〉
戸田高雲斎 中堅國人衆。棟梁家の血に連
なる。
大久保六郎兵衛尉 高雲斎家臣。
◉この二人は主人公ではありません。
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前日譚
その日は秋祭りの日だった。
直ぐに中打ちと
……うち続く天候不良による
天災が続いても、いや、それだからこそ尚の事、人々は熱心に神仏を
しかし、天気だけは抜けるように高く晴れ上がっていて、幼い子供たちの夢をどこまでも高く
…………もちろん、そんな夢は叶うわけもない。一生土地に縛られて、実りもしない作物を育て、そして、おそらくは飢えて死ぬ。
樹の皮を
そんな毎日が幼い者たちにも世界が自分たちに少しも優しくないことを教えてくれた。
苦しい毎日。で、あるからこそ。
ハレの日である今日を精一杯、楽しむ。
次の年に友が、自分が、生きているとは限らないのだから。
「
「…………これは異な事を。あれは
子供達特有のの甲高い声が秋の高い空に響く。
その堅い内容には相応しくない声だが、それはこの文面が
秋祭りの一環として行われるこの行事は
…………しかし、本当に争い事に成りかねないほど酷いイザコザは、巧妙に避けられていた。連綿と続いてきたこの神事*6の、それが知恵なのだろう。
また、これはこの後行われる石合戦*7の始まりを告げる儀式でもある。村戦の演習として行われる石合戦であるが、実際の村戦も、作法として、また、同時に行われる事の多い訴訟として、開戦前にお互いの正当性を主張し合うことが多い。その演習も含んでいる、という訳だ。
この神事には幼い子供達も参加しているが、次の石合戦に参加できるのは十歳からの子供に限られる。年が明ければ
…………………………
チラリと横を見る。
ぬぼっとしたのっぺら坊の様な少年が所在なさげに
しかし、
演習とはいえ戦の前に興奮しているのか、口の
少し遠い地よりの親戚がたまたま来たと説明しているが、見知らぬ者を泊める事が大法*10に触れる世間、余りある事ではなく、周囲には
…………村の大事な祭礼に無関係な武家の子を参加させたと発覚すれば、いくら父が
昔、世話になった人の子か何かは知らないが、父は何を考えておるのだ?こんな危ない橋を渡らずとも良いものを…………………………
何事もありませんように………………
神事の前に、神仏に祈る。そのような欲深き私に神仏は罰を下されないだろうか?
室内から物音がする。
「殿、御目覚めですか?」
日が開けるまでには
この年は初め
今日も冷たい風が吹きつける、寒々しい心身を凍えさせる。何とかしなければ、そう思っても手立ては無く。
飢えた人々が分捕り戦を求めて、
誤解が解けたが、百姓衆が遠巻きに館巻きを続けているからだ。いつ暴発するとも知れない、そんな危うさを持っている。彼らは行く所がない。分捕り戦がなければ、どうせ飢え死にする、そんな死兵は何をするか分からない。
そんな中で話し合いが続いている。
「郷の百姓衆を救うためには分捕り戦をするよりあるまい」「そうは言っても
このままではいかぬ、とは皆、分かっているのに。
「……殿、殿?…………入りますぞ?」
返事がない、殿になんぞあったかと、部屋に入る。殿は夜具をたたみ、寝所の畳の上で宙を
「……殿?」
「…………今ならば、奴は国府に……一刻の」
全くこちらを見られず、何かを考えておられる。これは、出直そうと退出しかけるが、それより早く、
「
驚く。
「無理ですぞ、殿。
殿は大きな声で
「誰ぞある!者ども、出陣の用意をいたせ!女どもは朝飯に炊いた米を至急、握り飯にせよ!半刻後には出るぞ!!」
「殿っ!」
「南武が兵を発向しこちらに向かってきておる、と報せが入った。今、
殿の御考えを吟味する。…………半刻後は無理としても、確かにそれならば利はある。しかし、南武刑部大輔が戻るまで、どれほど
「……馬上のみで先行する。徒士侍、雑兵ども*14はこの際、置いていく。後から追いつけば良い。
「しかし、それでは、」
「腹を
「それはそうでは御座いますが…………」
「重ねて言うが刑部大輔が戻るまでが勝負なのだ。馬上のみの先行で一気に流れを
…………周囲が慌ただしくなる。先ほどの殿の御命令が伝わったらしい。ガヤガヤと金属の
「
「…………委細承知っ!」
片膝をつき礼を行い、部屋より出でる。
思うところはあるが、今はただ動くのみ。
諸将、郎党どもに下知を伝える為、動き出した。
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◉用語解説
*1【
比較的遅く収穫される稲の品種。一番早い
*2【中打ちと
「中打ち」は土壌の通気性確保、土を柔らかくする事による麦の根の成長促進、雑草の除去を目的に
地域や年により異なりますが十一月は十日、一月は十五日、二月は二十日ほど行います。
「肥持ち作業」は麦を育てる前に稲作で失った養分を回復させる目的で
麦の生育後も与え続けられ、これも地域や年によって異なるものの十一月は七日、十二月は十日、一月は六日、二月は十五日、三月は四日と毎月行われます。
*3【田つぶ】
タニシの事。タニシの卵には神経系の毒があり、成体も人体に有害な寄生虫を持っている事が多いので、食べるのはやめましょう。食べ物の無い中世当時ではそんな事は言っていられなかったのでしょう。
*4【作毛】
毛は稲や麦などを表す言葉。つまり、ここでは稲の生育が危うかったという意味です。
*5【クミの村】
この当時の村は村人といえども武装し、村同士で戦争をしていたため、いざという時に援軍を送り合う同盟を組んでいる村というのがありました。
これを
これらは日常の生業上の付き合いから発生し、村戦の為の同盟軍まで発展しましたが、これらの付き合いを失う事は即、村の滅亡に繋がる重大事になったため、村は日頃からこの関係を非常に重要視しました。
これらは非常に広域の付き合いであり、例えば関連文書が国宝指定されている菅浦文書に残る菅浦荘(現、滋賀県長浜市西浅井町菅浦。以下、全て滋賀県の地名)と大浦荘(長浜市西浅井町大浦)の村戦では、それぞれ関わったクミの村が菅浦方に河道北南(長浜市川道町)、西野(長浜市西野町)、柳野(長浜市高月町柳野一帯)、塩津(長浜市西浅井町塩津)、
海津が西浜と東浜に別れて争っていたり、八木浜が地侍と町衆で敵味方に別れていますが、これは元々この地域のそれぞれの勢力が“もめ事”を抱えていたことが想定され、応仁の乱や関ヶ原の戦いの時に起こった「仲の悪いあいつらが西軍なら俺たちは東軍だ」といった現象が村戦のレヴェルでも起こっていた事が考えられます。
そういう意味でも村戦は武士の戦と何ら変わりないものだと言えます。
*6【連綿と続いてきたこの神事】
実はこの神事はかつて実在した神事がモデルになっています。新潟県東蒲原郡の“カゼノサブローサマ”と呼ばれる神事がそれで、藤木久志先生が著書『戦国の作法〜村の紛争解決』にて書いておられます(18p)。
その神事は「子供たちが川をはさんで悪口を言い合う」という物で、藤木久志先生の知り合いの方が「かつてそういう神事が確かにあった」と語ったという内容なので、先生のご年代を考えると昭和初期頃か、それより前に消滅した神事ではないか、と思われます(詳しい事をご存知の方がおられましたら、教えていただけると幸いです)。
カゼノサブローサマというのは
*7【石合戦】
菖蒲を刀に見立て(菖蒲合戦)、石を投げ合って合戦の真似事をする中世の子供たちの遊びです。正月や五月五日の節句に神事としても行われました(本作は秋祭り)。今作の石合戦は、子供しか参加していませんが、大人も混じる事があったようです。
石を投げ合うという内容の為、死者・負傷者を出したと言われ、施政者から度々禁令が出たようです。一説によると織田信長が近隣の子供たちを集めて楽しんだ遊びの一つとされています。
*8【
いわゆる成人式。刀の帯刀と烏帽子が許され、成人として認められます(村の“若衆”となる)。
ここから下、全て余談です。
地域・村によっても異なりますが、数年、経験を積んだ上で、村内での家柄が良かったり、周囲に認められると若衆の中から、
なお、官途名を付けるには朝廷の官職の知識が必要だった為、元の名に“衛門”を付ける事で官途成を済ました村が多く存在しました(元の名が平助なら“平左衛門”、伊助ならば“伊右衛門”など)。
これを“
そして、
なお、宮座は村の政治執行機関ですが、これに入っていなければ政治的発言ができなかった訳ではなく、重要事項は村に参画する全ての人の総意(署名が“老若”となっている資料が多く残っている)で決められる事が多かったとされています。
また、被養者を除く宮座に参加していない村人(=若衆)は村戦の際の実戦力、村の祭司の仕切りなど重要な仕事をしていた為、中老・乙名に政治的要求をする事が多く、なしくずし的に総意で決める事が増えていきました。
なお烏帽子成、官途成・大夫成・衛門成は共に村に礼金を支払う必要がありました(地域によるが銭で五百文〜七百文程度、酒などの祝儀の品、銀などさまざま)。
*9【四尺八寸】
180センチ強。現在では普通ですが、中世の平均身長は150センチ強だと言われているので、頭ひとつ大きいことになります。
*10【大法】
「慣習法」「不文法」「守られるべき常識」「しきたり」「“成文化された法律”に根拠を持たない、それでも守られるべきルール」という感じの意味です。中世の村では見知らぬ者を泊める事は固く禁止され、これを破る者は厳しい罰を与えられました。
治安を守るといった理由はあったのでしょうが、当時は「見知らぬ者を泊めた者は厳罰」という事がすでに“常識化”していました。
ちなみにこの常識が適用されない「宿がある町・村」を「宿場(駅)」と言いました。
*11【
包囲のこと。室町時代、幕政改革や異議申し立てをする為に諸国の軍勢が将軍御所などを包囲する事を「
ここでは餓死に
*12【世直し一揆】
徳政一揆のこと。徳政令を求めて、一揆を行うこと。徳政はその手続きとして、たいてい領主の代替わりを伴いましたので、その意味では領主の世代交代をも要求していることになります。
上記のように今回は「分捕り戦の要求」であって、「世直しの要求」ではありません。
*13【徒士侍、雑兵ども】
この場合の「徒士侍、雑兵ども」とは侍身分の者、被官衆、軍役衆や今回の騒動の発端になった分捕り戦を求める百姓衆全てを含んだ、歩兵全てを指しています。
(それぞれの違いの詳細は一章の「【改訂・注釈】足軽・農兵・被官衆・地侍について」をご覧下さい)
*14【半刻後】
一時間後。「二刻」は四時間。
*15【
現代でいう補給部隊のこと。矢などの消耗品や槍・刀・甲冑などの補修用具、そして何より
五、六日分のそれらを運ぶ部隊を
◉
この後、史学の初心者な私が考える『戦国時代の村とはどういう存在か?そこに住むお百姓さんたちはどういう人たちだったのか』という注釈をつけます。二回に分け、第一回はこの後。第二回は22時頃に更新します。
お読みいただきありがとうございます。もしよろしければ、感想、フォロー、評価お願いします。
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